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目次
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【第26回】稀代の性豪・カサノヴァ(1725〜98)カサノヴァ 〜独奏チェロとウインド・オーケストラのための(ヨハン・デ・メイ)
【第27回】ナポレオンのロシア侵攻(1812年)大序曲≪1812年≫(チャイコフスキー)
【第28回】ピータールーの惨劇(1819年8月16日)ピータールー序曲(マルコム・アーノルド)
【第29回】フランス7月革命(1830年)民衆を導く自由の女神(樽屋雅徳)
【第30回】アメリカ南北戦争(1861〜65)その1 行進曲≪南部連合旗≫(ジェイガー)
【第31回】アメリカ南北戦争(1861〜65)その2 機関車大追跡(ロバート・W・スミス)
【第32回】アメリカ西部開拓時代(1860年代〜1890年代頃)映画『11人のカウボーイ』序曲(ジョン・ウィリアムズ)
【第33回】露土戦争〜サン=ステファノ条約(1875〜78年)〜スラヴ行進曲(チャイコフスキー)
【第34回】アルメニア人虐殺(1800年代末〜1900年代初頭)〜アルメニアン・ダンス/パート1、2(アルフレッド・リード)
【第35回】シャクルトン、南極からの奇跡の生還(1914〜15年)仲間たちへ(清水大輔)
【第36回】第一次世界大戦(1914〜18年)その1〜行進曲≪消えた軍隊〜彼らは死なず≫(アルフォード)
【第37回】第一次世界大戦(1914〜18年)その2〜映画『アラビアのロレンス』のテーマ(モーリス・ジャール)
【第38回】リンドバーグ、大西洋無着陸単独飛行(1927年)〜スピリット・オブ・セントルイス(清水大輔)
【第39回】ジョージ6世戴冠式(1937年)戴冠式行進曲≪王冠≫(ウィリアム・ウォルトン作曲)
【第40回】第2次世界大戦(1939〜1945)その1〜アメリカン・サリュート〜「ジョニーが凱旋する時」による
(モートン・グールド)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
スペシャル >>インデックス
富樫鉄火の吹奏楽曲でたどる世界史
【第33回】露土戦争〜サン=ステファノ条約(1875〜78年)

スラヴ行進曲[セルビア・ロシア民族共通主題による行進曲]
(チャイコフスキー)

 1875年、オスマン・トルコ帝国の支配下にあったスラヴ系民族の国ボスニアで、トルコに対する不満が爆発し、暴動が発生した。

 この暴動自体は、すぐに沈静化したが、いい機会だとばかり、セルビアとモンテネグロが便乗し、トルコに対して戦線を布告した。

 それを見ていたロシアも、すぐさま便乗。ロシアにとって、バルカン一帯は、かねてより狙っていた地域だったのだ。さっそくブルガリアで迫害されているキリスト教徒を助ける名目で、20万人もの大軍を投入して介入。当初劣勢だったセルビア軍はロシアの援軍で形勢逆転し、トルコを打ち破った。これを一般に「露土(ろと)戦争」と呼んでいる(露=露西亜:ロシア、土=土耳古:トルコ)。【注1】

 ロシアにしてみれば、セルビアを応援することで、のちに、このエリアを一挙に手に入れてしまう腹づもりだった。それゆえ、何が何でも、セルビアには頑張ってもらわなければならなかった。

 だから、戦争真っ盛りの1876年に、モスクワで、セルビア負傷兵の救援募金コンサートが開催されたのも、当然といえば当然だった。

 このコンサートに新作を依頼されたチャイコフスキーは、セルビア(スラヴ系)とロシアの両民族に知られている聖歌や民謡などのメロディーをいくつか使用し、オーケストラ用に熱血愛国行進曲を書き上げた。それが、この通称≪スラヴ行進曲≫である。要するに、これはロシアによるセルビア応援歌なのだ。あの大序曲≪1812年≫と同じ旋律も出てくる。

 暗いメロディーから次第に盛り上がって作曲者お得意の繰り返しがねちっこく続き、やがてロシアの旋律が高々と演奏される瞬間、背筋を何かが走らない人はいないであろう。小曲ながら、チャイコフスキーの作曲技術が見事に盛り込まれた傑作である。

 この曲の吹奏楽版が、かつて、いかに人気があったか……若い方々には想像がつきにくいと思うが、1960〜70年代、コンクールでも文化祭でも定演でも、とにかくどこへ行っても演奏されていたような印象がある。まるで、コンクール課題曲だったような錯覚さえ浮かぶ。曲はカッコイイし、作曲者著作権が消滅しているだけにリピート・カットや、一部カットもやりやすく、適度なテクニックの見せ場もあるので、記録的なヒットとなったのも無理なかった。特にシンバル奏者には「快感!」とも言いたくなる見せ場が何ヶ所かあり、やりがいを覚える奏者が多かった。

 その頂点は、あくまで私見だが、コンクール全国大会2年連続で、ともにこの曲を演奏して1位(現在の金賞)を獲得した2つの団体、兵庫・西宮市立今津中学(1962年)と、東京・豊島区立第十中学(1963年)の演奏だったのではなかろうか(今津中は72年にもこの曲で金賞を取っている)。この時代に吹奏楽に携わっていた世代には、≪スラヴ行進曲≫は、ロシア音楽でもなければ、ましてや、セルビアだのトルコだのも関係ない、イコール吹奏楽であり、コンクールなのだ。

 海外版スコアは、最近ではLarry Daehn編(Daehn Publications)、Carl Simpson編(Masters Music Publications)などがある(小編成向けや短縮版も、他にたくさんある)。

 国内版では、木村吉宏編(ブレーン)、飯島俊成編(ブレーン/レンタル)、高橋徹編(アトリエ・エム/レンタル)、瀬尾宗利編あたりが定番だろう。どれも、ほぼ標準編成だが、飯島版はハープが指定されている。あと、浦田健次郎編(ミュージック・エイト)が入手しやすく、小編成でも相応の響きが出る。ほとんどが冒頭、変ロ短調(実音で♭5つ)で始まるので、一部パートにはやっかいだが、興奮度満点につき、始めたら止まらなくなる。

 ところで、冒頭で述べた露土戦争のその後だが、調子に乗ったロシアは、トルコを打ち負かして一気に地中海一帯までをも狙い始めた。さすがにこれには周辺諸国が反発。旗色が悪くなったロシアは、トルコが撤退することを条件に、1878年、講和を結んでバルカンから手を引く。それが「サン=ステファノ条約」である(のちに「ベルリン条約」として修正される)。これによって、ルーマニア、セルビア、モンテネグロなどの独立が承認され、ボスニアには自治権が与えられた。こんなことになるのなら、ロシアにとって、あの≪スラヴ行進曲≫の熱血は何だったのか……少々シラける結末といえよう。【注2】

【注1】ロシアとトルコが闘った「露土戦争」は、数回にわたっている。よって、単に「露土戦争」というと、いつの戦争を指すのか分らない。今回の戦争は、通称「1877年の露土戦争」、もしくは「サン=ステファノ条約が結ばれた露土戦争」などと呼ばれることが多い。

【注2】「サン=ステファノ」とは、イスタンブールにある地名。ここで条約が締結された。

Text:富樫鉄火

(2007.05.10)


富樫鉄火プロフィール:

“吹奏楽大好き”音楽ライター。得意ジャンルは、クラシックを中心に、その周縁、特に吹奏楽と映画音楽など。ライターとしてのモットーは、「音楽を普通の言葉で語りたい」、「周縁を知ってこそ、音楽は面白い」の2点。いままで、様々な形で音楽に関わってきました。そんな拙い経験と見聞の中から、肩の凝らない、だけど、少しだけためになる話を、コラムにしてお届けします。
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