吹奏楽マガジン バンドパワー 吹奏楽マガジン バンドパワー
目次
【はじめに】
【第1回】天地創造〜ノアの方舟 映画『天地創造』より(黛 敏郎)
【第2回】ノアの方舟伝説 ≪ノアの方舟≫(アッペルモント)

【第3回8代目の人類メトセラ ≪メトセラU〜打楽器群と吹奏楽のために≫(田中 賢)

【第4回】ヤコブのみた夢〜三日月に架かるヤコブのはしご(真島俊夫)
【第5回】モーセによるエジプト脱出〜出エジプト記 (天野正道)
【第6回】続:モーセによるエジプト脱出〜行進曲ラメセスU世(阿部勇一)
【第7回】ジェリコの戦い(紀元前14〜13世紀)〜ジェリコ(アッペルモント)
【第8回】ジェリコの戦い その2〜狂詩曲≪ジェリコ≫(モートン・グールド)
【第9回】豪腕の士師サムソン〜歌劇≪サムソンとデリラ≫より〜バッカナーレ(サン=サーンス)
【第10回】イスラエルを統一した英雄王ダヴィデ(紀元前998年頃)〜春になって、王たちが戦いに出るにおよんで(ホルシンガー)
【第11回】ソロモン王とシバの女王(紀元前950年前後)〜バレエ組曲≪シバの女王ベルキス≫
【第12回】スパルタクスの反乱(紀元前73〜71年頃)〜交響詩≪スパルタクス≫(ヤン・ヴァンデルロースト
【第13回】パクス・ロマーナ時代(紀元前27年〜西暦180年頃)〜行進曲≪パクス・ロマーナ≫(松尾善雄)
【第14回】イエス・キリスト(その1…生涯)交響曲第2番≪キリストの受難≫(フェルレル・フェルラン)
【第15回】イエス・キリスト(その2…キリスト教迫害)〜ローマの権力とキリスト教徒の心(グレインジャー)
【第16回】イエス・キリスト(その3〜イエスの苦悩)〜ロックオペラ≪ジーザス・クライスト・スーパースター≫(ウェバー)
【第17回】十字軍(1096〜1270年頃まで)〜<忠誠行進曲>〜組曲≪十字軍の戦士シグール≫より(グリーグ)
【第18回】百年戦争(1337〜1453)とジャンヌ・ダルク その1〜吹奏楽のための叙事詩≪ジャンヌ・ダルク≫(坂井貴祐)
【第19回】百年戦争(1337〜1453)とジャンヌ・ダルク その2〜8つの打楽器群のための≪ジャンヌ・ダルク≫(ジェリー・グラステイル)
【第20回】大航海時代への序章:マルコ・ポーロ〜キャプテン・マルコ(広瀬勇人)
【第21回】大航海時代(15〜16世紀)マゼラン その1〜交響詩≪マゼラン≫(フェルレル・フェルラン)
【第22回】大航海時代(15〜16世紀)マゼラン その2〜マゼランの未知なる大陸への挑戦(樽屋雅徳)
【第23回】大航海時代以後(15〜16世紀):キリスト教の世界進出〜エル・カミーノ・レアル(アルフレッド・リード)
【第24回】オランダ独立80年戦争(1567頃〜1648)〜交響詩≪エグモント≫(アッペルモント)
【第25回】海上クロノメーター(高精度時計)の発明(1700年代)〜ハリソンの夢(ピーター・グレイアム)
スペシャル >>インデックス
富樫哲佳の吹奏楽曲でたどる世界史
【第17回】十字軍(1096〜1270年頃まで)

<忠誠行進曲>〜組曲≪十字軍の戦士シグール≫より(グリーグ)

 「十字軍」とは、ヨーロッパのキリスト教国家連合が、イスラム教に乗っ取られた(と解釈した)聖地「エルサレム」を奪還するべく派遣した戦闘軍団のことを指す。1096年から、およそ200年の間に、全部で8回にわたって派遣された(回数は研究者によって違う)。

 現在、「エルサレム」は、ユダヤ教にとっては、ユダ王国の首都「聖地」。キリスト教にとっては、イエスが磔刑・埋葬された「聖地」。イスラム教にとっては、開祖ムハンマド(モハメッド)が神に会うために昇天した「聖地」。多くの宗教にとって、それぞれ重要な場所なのである。

 西暦1000年初頭。東西に分裂したローマ帝国のうち、東ローマ帝国は、勢力を増していた、トルコ人のイスラム教王朝「セルジュク朝」に、多くの領土を奪われた。焦った東ローマ帝国は、すでに巨大権力となっていたカトリックのローマ教皇に救援を要請する。

 この要請に応じたカトリック教会は、名目上「イスラム教徒に乗っ取られた聖地エルサレムを奪還せよ」とヨーロッパ各国に呼びかけ、巨大な軍隊が結成された。これが「十字軍」である。参加者には教会から「免罪符」が与えられ、罪が許される特典もあった。

 かくして1096年、「十字軍」は中東に向かって突進し、エルサレムはキリスト教に奪還される。

 だが、確かにキリスト教から見れば、エルサレムは「奪われた土地」であり、そこを奪還することは宗教上の使命でもあったろうが、実体は、とんでもない軍隊だったようだ。つまり、イスラム側から見れば、十字軍は、略奪、強奪、強姦、殺害、虐殺、蛮行……なんでもありの、暴徒軍団だったのだ。「免罪符」が与えられるとあって、前科者も多かったことだろう。エルサレム市内にいたイスラム教徒は、そのほぼすべてが虐殺されたようである。【注1】

 ところが、一度はエルサレムを「奪われた」イスラム側も、再び勢力を増して、エルサレムを「取り戻す」。そしてまたも十字軍が派遣され……。

 11世紀前半の中世ヨーロッパは、こんなことを200年間も繰り返していたのである。研究者の解釈によって様々なのだが、おおよそ1270年の「第8回十字軍」あたりが最後のようで、この時は疫病の流行などで、途中解散してしまったらしい。時には、周辺国をついでに攻めてしまうことさえあったし、子供ばかりで結成された「少年十字軍」まであった(この子供たちは、途中で奴隷として売り飛ばされたという。まことにひどい話だ)。

 以後、エルサレムは長いことイスラムの支配下におさまるのだった(ただし、このあとも、小規模な十字軍は何回もあった)。第2次世界大戦後、エルサレムは、ユダヤ国家イスラエルの首都ということになっているが、パレスチナ(アラブ)も領土権を主張しており、西部地区がユダヤ人居住区、東部地区がアラブ人居住区となって、テロが頻発する一触即発の状態がつづいている。その遠因が、この「十字軍」にあるともいえるのだ。

 さて、話は変わる。十字軍なんてものが始まったので、当時のヨーロッパはすべてがキリスト教国家になっていたように見えるが、実態はそうではなかった。特に北欧(現在のドイツ北部から、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、スウェーデンあたり)には、なかなかキリスト教は入り込んでいかなかった。北欧は、イエスの死後1000年も、キリスト教が伝播しなかった最後のエリアだったのだ。それゆえ、古代ゲルマン神話や伝説が色濃く残ることになった。

 しかし、さすがに11世紀あたりになってくると、そうもいかなくなり、北欧諸国も、徐々にキリスト教化され始める。十字軍は、そんな時期に開始されたのであった。

 ノルウェーの場合は、全国統一が10世紀末あたりで、オラフ王(在位:西暦1000年前後)がキリスト教に改宗し、次のオラフ二世の時代に最大の繁栄を迎えた。その後、中期の十字軍に参加して功績をあげ、帰国後、王になったのがシグルドである。通称「十字軍王」とも呼ばれている。シグルド一世の統治が1110〜1130年、そのあと2人の王の時代があり、シグルド二世の統治が1136〜1155年となっている。

 この「シグルド」は(「シグール」「シーグル」「シギュール」「シグル」「シグルス」などの読みもある)、ゲルマン神話の「ジークフリート」(ドイツ語読み)と同じ名前だ。ワーグナーのオペラ≪ニーベルングの指環≫にも登場する英雄の代名詞である(日本で言うと「太郎」みたいなものかもしれない)。シグルド本人のイメージが、のちに伝説のジークフリートに加味された部分もあっただろう。

 このシグルド伝説を戯曲にしたのが、ノルウェーが誇る文学者ビョルンソン(1832〜1910)である。ノルウェー国歌を作詩し、ノーベル文学賞も受賞した人だ。【注2】

 戯曲のタイトルは『十字軍の兵士シグール』(または『十字軍の王シグール』)。実は、この戯曲の邦訳、もしくは詳しいあらすじなどを、かなり以前から探しているのだが、まだ見つけることができず、今回の執筆に間に合わなかった。どうも、初演後、すぐに忘れられたようで、邦訳の形跡も見当たらない。ただ、おおむね、十字軍に参加し、帰国した英雄シグールが王になるまでを、彼の弟や愛する女性をからめながら描く物語だったようである。

 で、その戯曲に同国の大作曲家グリーグが、劇付随音楽(BGM)を書いた。それが、劇音楽≪十字軍の兵士シグール≫作品22で(1872年初演)、そこから3曲を抜粋したのが、同名の組曲版・作品56である。この組曲は、ほかにもピアノ・ソロや、ピアノ連弾用にも編曲されている。

 この中の<忠誠行進曲>(第3幕への前奏曲)が、吹奏楽版にアレンジされて、しばしば演奏されている。【注3】

 曲は「行進曲」となってはいるが、通常のコンサート・マーチとはかなり違う。グリーグといえば、すぐに思い浮かぶのが、劇音楽≪ペール・ギュント≫だと思うが、あの世界だと考えれば、当たらずとも遠からず。

 冒頭は、トランペットの勇壮なファンファーレで始まるが、すぐに、北欧独特の、深い哀愁に満ちた旋律が、じっくりと奏でられる。そのうち、シンバルやスネアドラム、金管楽器が活躍し、いかにも「行進曲」風にもなるが、全般的に「じっくり」感に溢れた、実に美しい曲である。こういう味わいは、イタリアのような暖かい地方からは、絶対に生まれない。1年の多くを雪と氷に閉じ込められる国だからこそ、生まれた音楽といえる。

 本来が弦楽器中心のオーケストラで演奏される曲である以上、吹奏楽版では、木管楽器に、極めて繊細な演奏技術が要求されると考えた方がいい。表現力を鍛える、いいテキスト曲かもしれない。コンサートのオープニングで演奏するには少々「哀愁に満ち」すぎており、大トリで演奏するには「じっくり」しすぎており、アンコールで演奏するには「落ち着き」すぎている。まさに、プログラムの2曲目、3曲目あたりに置くとピッタリきそうな曲である。

 なお、劇音楽の原曲は全部で8曲あるが(当初は5曲で、のちに追加された。歌付きの曲もある)、組曲では抜粋されて3曲構成になっている。1曲目が前奏曲<王宮にて>、2曲目が<ボルグヒルの夢>(間奏曲)(どちらも3〜4分の小曲)。最後が、この<忠誠行進曲>である。どれもたいへん品格のある曲だ。

 ちなみにグリーグは、≪ペール・ギュント≫で大劇作家イプセン(1828〜1906)を、≪ホルベルク組曲≫(ホルベアの時代から)でデンマークの大詩人ホルベア(1684〜1754)を、それぞれ音楽化しているわけで、この≪十字軍の戦士シグール≫のビョルンセンとあわせて、ノルウェーの3大文学者を取り上げていることになる(ホルベアはデンマーク人だが、当時のノルウェーとデンマークは連合王国だった)。

 イプセンは『人形の家』の作者として日本でも有名だが、かといって、そう頻繁に上演されているわけではない。ましてや、ホルベアやビョルンセンは、少なくとも日本では、誰でも知っている作家とはいえない。彼ら北欧の文学者の名前が、このようなコラムで俎上に上がるのは、まさにグリーグの偉大な音楽のおかげなのだ。
<敬称略>


【注1】「十字軍」の暴虐ぶりに関しては、歴史読物『アラブが見た十字軍』(アミン・マアルーフ著、牟田口義郎・新川雅子訳、ちくま学芸文庫)を、ぜひともお読みいただきたい。キリスト教社会で「正義の聖戦」として伝わっている史実が、「攻められた側」から見れば、いかにメチャクチャだったかが、たいへんよく分る。物事を一面のみから見ることの危険性を、これほど分りやすく教えてくれる本はない。


【注2】ビョルンソンの作品邦訳は、現在入手不可能。ただし、つい最近まで『アルネ』(岩波文庫)、『日向丘(ひなたがおか)の少女』(小学館)といった本が出ていたので、古書店や図書館などにあるかもしれない。

【注3】この邦題には、ほかに<凱旋行進曲><オマージュ(敬意)・マーチ>など、いくつかある。

Text:富樫哲佳

(2006.12.28)


【読者の皆様へ/年の変わり目にあたって】

 2006年9月7日(木)より始まった、この「吹奏楽曲でたどる世界史」を、毎週ご愛読いただき、ありがとうございます。拙い内容ながら、多くの方々から「参考になる」「こんな話、知らなかった」との感想をいただき、深く感謝しております。

 週一回連載(毎週木曜日掲載)は、正直、なかなか大変でして、たった数行分の情報を確認するために国会図書館に半日近く篭ることも、しばしばです。特に今回の、ビョルンソンの原作戯曲の探索は、まる一ヶ月かけましたが、結局、見つけられず、正確な情報を提供できなかったことを、たいへん悔しく思いました。

 しかし、身辺雑記を好きな時に好きなだけ書く「ブログ」全盛のネット界に、こんな連載が(発表手段はデジタルでも、精神は昔ながらのアナログ連載が)あっても、いいのではないでしょうか。

 2007年も、面白くて少しばかりタメになる内容を心がけて、連載1年後(2007年秋)のゴールまで頑張りますので、ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

 2006年の掲載は今回で一段落し、次回は、2007年1月11日(木)掲載からスタートします。2007年が、読者諸兄にとってよき年であることを、吹奏楽界の発展と共に、切に祈っております。

(富樫哲佳)


富樫哲佳プロフィール:
“吹奏楽大好き”音楽ライター。得意ジャンルは、クラシックを中心に、その周縁、特に吹奏楽と映画音楽など。ライターとしてのモットーは、「音楽を普通の言葉で語りたい」、「周縁を知ってこそ、音楽は面白い」の2点。いままで、様々な形で音楽に関わってきました。そんな拙い経験と見聞の中から、肩の凝らない、だけど、少しだけためになる話を、コラムにしてお届けします。

(c)2006 Tecca Togashi/Band Power
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