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樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ−トファイル」

 作曲者とのコンタクトが急にできなくなったことから、CD『トミー・ユー:灰から救われた魂たち』の制作スケジュールは、文字通り時間との勝負となった。

 シリーズ・タイトルを「タッド・ウィンド・コンサート」と定めたこのCDは、それ自体コンサートのアーカイヴでもある。CDスリーヴに印刷するプログラム・ノートは、コンサートのプログラムに印刷されたノートをリプリントするのが基本。ただ、CDは繰り返し聴かれることになるので、これに各種データを補足して資料性を高めると同時に、できるだけ全体の統一も図らねばならない。最低限必要なデータは、作曲者の生年、作曲年、初演日、初演会場名、初演者名、献辞、楽譜出版の有無などだ。

 印刷原稿の準備のため、急いでタッド団長の田島和男さんが書かれたノートを読み返す。幸いなことに、この作品はタッドの演奏が“世界初演”なので、初演関連データについてはすべてクリアされており何ら問題なし。合わせてスコアもチェックし、コピーライトの設定(= 作曲年)が2005年であり、1ページ目に『to my mentors Thomas Leslie & Tad Suzuki(師のトマス・レスリーとタッド鈴木へ)』との献辞があることを確認する。出版社のレジスタードはない。これらにすでに受け取っているプロフィールを加えると、なんとかまとまりそうだ。不足データは、校正時までに連絡が取れればいい。と、ひとまず安堵し、原稿を一気に仕上げる。あとは連絡を待つばかりだ。

 ラスベガスの山浦さんから久しぶりにメールが入ったのは、2月11日のことだった。それは、こちらが問い合わせた件への返答ではなく。台湾に帰国した作曲者から、スコアのト書きにつける英文ノートの日本語への翻訳を頼まれ、原文と訳文を添付するのでチェックしてほしい、とのリクエストだった。

 すぐ、英語の原文を読んでみる。それは作曲者自身が書いた作品についての詳細なプログラム・ノートだった。すぐに目をとらえたのは、これが広島平和記念公園に「原爆の子の像」がたてられるきっかけとなった佐々木禎子(ささき さだこ)という被爆少女の「折り鶴」のストーリーに触発されて書かれた作品であること、そして、曲冒頭でクラリネットによって演奏される最初のテーマが、2005年9月にニューヨークのグラウンド・ゼロ(2001年9月11日のテロによって崩壊した世界貿易センターの跡地)を訪れたときに浮かんできたものであることだった。

 初演を聴いた多くの人々の心を揺さぶったのには、こんなバック・グラウンドがあったからなのか。英文ノートを読むと、その中には歴史的事実が若干誇張されて伝っている箇所も見受けられたが、それにしても日本人の中でも忘れてしまっている人が多くなってきた昨今、遠く外国に住む作曲者がどこでどのようにして「折り鶴」の話を知り得たのだろうか。そして、アメリカに住むすべての人に大きなショックを与えた2001年のテロ。いずれにせよ、人類の歴史の中でもとくに深く記憶に残るこれら惨劇を通じて書かれたこの作品が、これほど美しく心に響くのはどうしてなんだろうか。作曲者は、本当に心根のやさしい人に違いない。そんなことを感じながら、つづいて日本語訳を読み進める。

 それにしても作曲者のハートがよく伝わってくるいいノートだ。英語原文、日本語訳の両方の修正箇所をまとめ、訳文を書き直して山浦さんに返した後、当方もCDのプログラム・ノートをこれに差し替えようと、エディターに連絡を取って字数やスペースのチェックを依頼。かなりの長文ながら、なんとかなりそうとの回答を得て、さらに全文をチェック、用語の統一や段落などを調整して、つぎのようなCD用訳文を完成させた。

 『1945年の広島、長崎への原爆投下という悲劇にインスピレーションを受け、このウィンド・アンサンブルのための作品を作曲しました。数万人の市民が投下の瞬間に命を落とし、かろうじて命を取り留めた人たちも、その後、何年も放射能被爆による後遺症(原爆症)に苦しんだのです。佐々木禎子(ささき さだこ)という名の少女も原爆による後遺症に苦しんだ一人です。彼女は10歳の時、被爆によって引き起こされる最も多い症例、白血病と診断されました。突然の病魔に彼女の余命はわずか数ヶ月となってしまったのです。それでも白血病を克服すると決意し、彼女は折り鶴を千羽折ればきっと神様が助けてくれると信じていました。同じ病院にいた多くの入院患者や友人たちも彼女のために鶴を折り始めましたが、残念ながら、禎子さんの願いはかなえられることはありませんでした。この禎子さんの話は、当時の日本に深い悲しみと感動を与え、後に広島平和記念公園に「原爆の子の像」が建てられました。像の下に置かれた石碑には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」というメッセージが刻み込まれています。毎年、この像のもとには何千もの折り鶴が世界中から送られてきます。
  作曲の際、この曲のテーマの核心にアプローチするには、ただ原爆投下という物理的事実を鮮明に表現するよりも平和のメッセージを伝えることの方が適切と考えました。したがって、この曲は(核兵器の脅威を現す激しい曲想というより)亡くなった方々への音楽的追悼という形になりました。長年、音楽における人の声の役割の重要性を感じておりましたので、この曲の核心部分を日本語と英語で詠唱してもらうことにしました。オープニングのクラリネットの旋律は、2005年9月にニューヨークのグラウンド・ゼロ(2001年9月11日のテロによって崩壊した世界貿易センターの跡地)を訪れたときに浮かんできたものです。他のモチーフも、相前後して浮かんできました。この曲のタイトルは、命を突然さえぎられた場所を去り、平和のうちに次の生命に移っている亡くなった犠牲者のイメージを呼び起こそう、との思いを込めてつけました。この曲を通して、世界平和への私の願いを伝え、私たち全てに戦争の代償はいつも罪のない人々を犠牲にして支払われるのだということを喚起したいと思います。そして、この曲を私のよき助言者である、トマス・レスリー氏と鈴木孝佳氏(タッド鈴木氏)に捧げたいと思います。』(トミー・ユー Tommy Yu / 訳・山浦誉史 Trans. by Shigefumi Yamaura)

 数日後、この作品について、もう、これ以上の何の説明も必要ないな、などと考えているとき、山浦さんから“再び作曲者と連絡がとれなくなった”との連絡。オッと、こちらは大ピンチだ。エディターやデザイナーからは矢のような“入稿”の催促が...。4月1日発売開始はいまさら変更できない。山浦さんに聞くと、台湾帰国後の住所や電話番号はまだ知らされていないとのこと。非常時の馬鹿力か。まだ一度も会ったこともない作曲家に、いきなりの直接メールでコンタクトを試みることにした。

(つづく)


トミー・ユー / Tommy Yu

1979年11月23日、台湾に生まれる。本名は、余 昶賢。1994年、14歳で単身渡米。作曲家への可能性に目覚め、本格的に作曲の勉強を始める。高校生の頃より、いくつかの作曲賞を受け、奨学生としてブリガム・ヤング大学に入学、2003年、同音楽科で学士号を取得して卒業。翌2004年にラスベガスへ移り、ネヴァダ大学ラスベガス校(UNLV)作曲科に院生として入学。在学中は、作曲をDr. Virko Baley、Dr. Jorge Grossmannに師事し、2006年8月、修士号を取得。2007年2月、母国台湾へ帰国した。作品中、フルート独奏曲「朝の夜想曲(The Morning Nocturn)」は、2006年4月、ユタ州で行われた米作曲家協会第7地区カンファレンスで230曲のエントリーの中から選出され、初演も行われた。また、2006年6月には、東京で、タッド・ウインドシンフォニーの演奏により「灰から救われた魂たち(Their Souls Were Lifted From The Dust)」の初演が行われた。
(c)2007, Yukihiro Higuchi/樋口幸弘
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■タッド・ウィンド・コンサート(1)/トミー・ユー/灰から救われた魂たち(世界初演)
■タッド・ウィンド・コンサート(2) /矢部政男:吹奏楽の為の交響的舞曲「月の宴」
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