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樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ−トファイル」
ファイル・ナンバ−10
ヤン・ヴァンデルロ−スト:シンフォニア・ハンガリカ
SINFONIA HUNGARICA
(Jan Van der Roost)
File No.10-06 :迷走

第82回大阪市音楽団
定期演奏会チラシ

"シンフォニア・ハンガリカ" 初演シリ−ズのプログラムやポスタ−などをヤン(ヤン・ヴァンデルロ−スト)から受け取った4月下旬、ここまでのヤリトリから推し量って、オランダのデ・ハスケ(de haske)での楽譜や録音の編集作業もソロソロ目処がついている頃だと考えた筆者は、26日、それらを催促するために2週間ぶりにヤンにコンタクトをとった。大阪市音楽団(市音)が、楽譜や音源はいつ受け取れるのだろうか、とジリジリし始めていたからだ。しかし、困ったことに、いつもならすぐに打ち返してくる返信がこない。ひょっとすると、ベルギ−国内にいないのかもしれない。そんなことを考えているところへ市音の辻野宏一(つじの ひろかず)団長から "コンサ−トのプログラム用に作曲者のメッセ−ジを頂戴できないだろうか" との打診があった。そこで、30日、この新たなリクエストを加えて再び連絡をとることにした。返信は、月が替って5月に届いた。

 「ディア−・ユキヒロ。昨日イタリアから帰国したところだ....。ともかく、リクエストされていたもの(楽譜、音源)が送られたかどうかをデ・ハスケに訊ねてみる。だが、今日は "メ−デ−" なので彼らのオフィスはクロ−ズされている。明日にでも彼らから返答をもらえればと思っている。判明次第、キミに連絡する。つぎに、OMSB(市音)用のメッセ−ジは、以下のとおりだ。....(後略)....。」(2001年5月1日付、FAX)

 よし、メッセ−ジはこれでOK。直ちに日本語に訳して辻野団長へ転送する。しかし、肝腎の楽譜や音源はどうなったのか。受け取り側のこちらとしては、とにもかくにも返事を待つしか手がなかったが、同時にちょっとイヤな予感もはしる。なぜなら、タイミングが悪いことに日本はゴ−ルデン・ウィ−クの真っ只中。例年、この時期は郵便も国際宅急便もほとんどストップしてしまう。仮にデ・ハスケがすでに送り出してくれていたとしても、受けとれるのはゴ−ルデン・ウィ−クが終わってからになるのでは....。市音プログラム編成委員の延原弘明(のぶはら ひろあき)さんにその旨の電話を入れると、市音の方もこれから休みに入るので、お互いヤキモキする気持ちを押さえつつ、ここは "吉報は寝て待て" の格言に従って休み明けを待つこととなった。
 しかし、こういう時の悪い予感は得てしてよく当たるもので、ゴ−ルデン・ウィ−ク中も、それが明けてからもヤンからの連絡はこなかった。5月8日、とうとうシビレを切らして再度ヤンに連絡をとると、翌日、驚くべき返事がきた。

 「ディア−・ユキヒロ。FAXありがとう。今日の早朝、ボクは "緊急の懸案" となっている "シンフォニア・ハンガリカ" のパ−ト譜に関してデ・ハスケに電話を入れた。彼らは、レコ−ディング・セッションとハンガリ−での初演の後に見つけたミステイクの修正にものすごい時間を費やしているとボクに説明した。つまり、彼らはちょっと遅れているんだ。ともかく、完全なセットはすぐに送られるだろう。送付先はどこにするのがいいんだろうか。連絡を待つ。」(2001年5月9日付、FAX)

 エ−ッ!?市音のコンサ−トまで1ヵ月を切ったというのに、パ−ト譜はまだ仕上がっていなかったのか。これは、エライこっちゃ(大変なことだ)。そう思いながらも、とにかく市音に電話を入れる。応対に出て筆者の説明を聞く延原さんの声にも不安気な様子がありあり。打合せの結果、この時点では先方がどんな輸送手段で送ってくるのか不明だったのと、仮に通関審査などがあった場合にも即応するため、送り先は24時間対応可能の(つまり、年中無休、まるで地縛霊のように終日半径 500メ−トルの範囲をこえて移動することなど物理的に不可能な)筆者宛にしてもらうことになった。国際宅急便などの場合、通関業者が内容確認などを求めてくる場合があり、手続きを指示できない場合、何日間も空港内の倉庫に保管されたままになってしまう(日割計算で倉庫保管料もかかる)ケ−スもあるからだ。早速、ヤンに連絡を入れると、2日後 "了解" の打ち返しがきた。
 これで一安心といきたいところだったが、外国とのヤリトリは、常に予測不能のハプニングがつきもの。時として相当な忍耐とねばりが必要だ。実際、「シンフォニア・ハンガリカ」に関するここまでのドタバタは、ほんの "序奏" にすぎなかった。

 ヤンから "了解" の連絡があった5月11日以降、延原さんからは連日電話が入るようになった。そりゃそうだろう。演奏会はもう目前に迫っているという切羽つまった状況であり、個人練習をしようにも肝腎の "パ−ト譜" がないというありさまだったのだから。また、演奏会直前のリハ−サルから合奏に加わるエキストラ奏者に楽譜が渡っていないことも深刻な問題となっており、市音ではシカゴで受領したスコアからパ−ト譜を起こそうという意見まで出始めていた。延原さんには "了解があった11日に送り出していたら15〜16日頃着くはずだから、もうちょっと待って下さい" と言う返答以外なにも応えることはできなかった。電話の声は紳士的だけど、現場はきっと修羅場と化しているんだろうな。なんだか申し訳ない気持ちとなったが、ここは待つしか手がなかった。
 そして、最初に設定したタイムリミットの5月16日。オランダからは、相変わらず音沙汰なし。とうとうシビレを切らした筆者は、ヤンに "楽譜未着。もし発送がまだならDHLのような国際宅急便で送るよう手配してほしい。" と緊急連絡を入れた。しかし、打ち返しはすぐになく、返信は、2日後の18日、ヤンからではなく、デ・ハスケのシニア・エディタ−、ジョン・ブランケン(John Blanken)氏から届いた。

 「ディア−・ミスタ−・ヒグチ。今日、私はシンフォニア・ハンガリカのスコアとパ−ト譜を送ります。パ−トTのパ−ト譜のみ、(スコアと同一の)完全なものです。ヤン・ヴァンデルロ−ストの指示により、時間をセ−ヴする必要から、残りのパ−ト譜は(音符を)プリントアウトしただけの状態で送ります。パッケ−ジが届いたら連絡を下さい。深謝します。パッケ−ジはD社便で送ります。」(2001年5月18日付、FAX)

 ヤレヤレ。編集作業は相当遅れていそうだな。通信の内容から、届くパ−ト譜はチェックの必要がありそうだが、何はともあれ、やっと楽譜がくる。18日(金曜)集荷のD社便だと、週明けぐらい、22日か23日には届きそうだ。早速、市音に電話を入れて、延原さんたちにもホッと一安心してもらう。
 しかし、待てども待てども楽譜は届かなかった。それどころか、D社からも何の連絡も無かった。市音では、届いた楽譜をチェックするため、プログラム編成委員やライブラリアンなどのスタッフが連日待機して、筆者からの連絡を待っている。ジリジリしながらも、何もできずに時間だけが過ぎていく。待ちくたびれた筆者は、22日、電話帳で調べて最寄のD社のオフィスに電話を入れ、荷物をコンピュ−タ−で検索してもらうことにした。すると、過去5日間、D社のコンピュ−タ−には "該当する荷物の記録はない" という驚くべき事実が判明した。発送忘れなのか、輸送中の紛失なのか。とにかく大変な事態となった。すぐにブランケン氏とヤンに緊急連絡を入れる。 "D社は、過去5日間に荷物を依頼された記録がないと言っている。D社の発送伝票の問い合わせ番号を知らせてほしい。" と。
 デ・ハスケは、すぐに現地D社に連絡をとり、D社は荷物をF社に振り替えたことと、問い合わせ番号は496420860523であることを知らせてきた。しかし、どうも様子がおかしい。すでに、F社であったとしても当然届いていないとおかしいくらいの時間が経過していたからだ。
 翌朝、千葉にあるF社のオフィスが開くのを待って電話を入れる。果たして、問い合わせ番号はF社の記録にあり、本日(23日)、関西空港着という。荷物が遅れている理由を糾すと、最初の積込みの時点で何らかの不手際があったからだという。すぐにミスを認めるとは潔い。それならと "荷物の内容はドキュメントだけなので、通関上何ら問題はない。そちらのミスで相当遅れているので、到着後すぐに通関を行ない至急配達してほしい" と申し入れる。オペレ−タ−は "現地に指示を出しておきます" と了解してくれた。なかなか手際のよい応対だ。しかし、この日、荷物はなぜか届かなかった。
 翌24日朝、再び千葉のF社事務所に電話を入れ、昨日と同じオペレ−タ−に "どうなっているのか" と糾す。検索してもらうと、荷物はなぜか到着したまま放置されていた。理由は不明だという。オペレ−タ−は "状況説明のため、すぐに現地事務所から電話を入れさせる" と確約。しかし、午後になっても何の連絡もなし。再び、千葉に電話を入れると、オペレ−タ−は指示どおりに現地が動いてくれないことにパニクッて "これは最初からウチのミスなのに、なんで−?" と悲鳴にも似た応対。気の毒になって、関西空港内のオフィスの電話番号と担当者の名前を聞いて、こちらから電話を入れることにした。 関空内のオフィスに電話を入れると、応対に出た担当者は「え−と。その荷物はこれから通関に出して、明日、お届けします。」とのどかに言う。驚くべきことに当の担当者には千葉からの指示がまったく伝わっていなかった。我慢もそろそろ限界だ。エ−加減にセ−(いい加減にしろ)!!怒号と化した口調で、堰を切ったようにこれまでの経緯を一気にまくしたて、今日中の配達を厳に要求する。しかし、担当者はできないという。理由を糾すと、その荷物ひとつだけのために車を走らすとすると、別に車をチャ−タ−しなければならないからだという。本末転倒、フザけた回答だ。 "もういい!!" と電話を切った筆者は、千葉に電話を入れ、 "この一件、F社としてどう責任をとるんだ" と詰め寄った。こちらの剣幕と現地のあまりの御粗末さに驚いたオペレ−タ−は、上司に報告を上げて責任ある対応をとることと今回の顛末を調査して書面で報告することを約束。しばらくたって、千葉から、荷物をチャ−タ−便で配達すると連絡が入った。
 時刻はすでに4時近くになっていた。しかし、これでやっと楽譜が届く。急いで延原さんの携帯に電話を入れると、帰宅させたばかりの団員を全員呼び戻して、楽譜受け入れとチェックの準備をすぐ始めるという。本当に頭が下がる思いだ。
 かくして、5月24日、午後5時30分、ヤンの大作「シンフォニア・ハンガリカ」の楽譜は "ついに" 市音の手に渡った。持ち帰られた楽譜は、この日、夜を徹してチェックが行なわれた。聞けば、仮に楽譜受領がもう1日遅かったら、スケジュ−ル上、プレイヤ−に楽譜が渡るのがさらに何日か遅れるギリギリのタイミングだったという。修正を終えたスコアも、この日、指揮者の秋山和慶(あきやま かずよし)さんへ発送された。日本初演わずか12日前の出来事だった。

 後日届いたF社のリポ−トはこのときの顛末をこう語っている。

 「本年5月18日にオランダのEXEL FREIGHT MANAGEMENT社よりお預かり致しました日本向けの標記貨物につきましては、配達が遅れてしまい、お客様ならびにご関係の方々にはたいへんご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。弊社の記録によりますと、当該貨物は5月18日に集荷された後、弊社アムステルダム営業所より同日に発送され、ドイツ・フランクフルト空港を経由、5月21日に経由地でございます、フィリピン・ス−ビックベイ空港に到着しました。本来でございますと、当該貨物は同施設におきまして日本向けに仕分けされるべきところ、誤ってインドネシア向けのコンテナに搭載してしまったことが判明いたしました。当該貨物はインドネシア・ジャカルタ空港に到着後、返送手続きを経て、5月23日に関西国際空港に到着しました。当該貨物は到着日に通関許可されず、翌日24日に輸入通関が許可された後、お客様へご配達にお伺いさせて頂きました。お急ぎでしかも重要なお品物をお預かりしながらも、このような仕分けの手違いにより到着ならびに配達に遅延が生じてしまい、お客様ならびにご関係の方々には多大なご迷惑ご不便をおかけしましたことを重ねて深くお詫び申し上げます。」

 正しく間一髪、人騒がせな事件だった。

......つづく

 
 
(c)2002,Yukihiro Higuchi/樋口幸弘
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