吹奏楽マガジン バンドパワー 吹奏楽マガジン バンドパワー
スペシャル >> インデックス
樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ−トファイル」
ファイル・ナンバ−10
ヤン・ヴァンデルロ−スト:シンフォニア・ハンガリカ
SINFONIA HUNGARICA
(Jan Van der Roost)
File No.10-04 :町の誇り

2001年1月6日、シカゴのミッドウェスト・クリニックから「シンフォニア・ハンガリカ」のスコアを土産に帰国された市音(大阪市音楽団)のプログラム編成委員、延原弘明(のぶはら ひろあき)さんと田中 弘(たなか ひろむ)さんの両氏が来宅された。早速、話をうかがうと、指揮者への提案はこれからだが "市音としてどうしてもこの曲を取り上げたい" と申し入れるつもりということだったので、筆者もひと安心。とはいうものの、この時点でスコア以外の情報はほとんど皆無に等しい状況だったので、至急ヤン(ヤン・ヴァンデルロ−スト)に情報提供を頼むことにした。

 求めていた "世界初演" に関する資料とプログラム・ノ−トは、それからしばらくたった1月中旬から2月にかけてFAXやエア・メ−ルでつぎつぎと届いた。

 届いた情報を整理すると、その時点における作品のタイトルは「SINFONIA HUNGARICA〜Symphony for large Symphonic Band (2000)」。作品の委嘱者は "キシュクンフェ−レジハ−ザ交響吹奏楽団(※01)" という初めて目にする名前のバンドで、初演は作曲者ヤン自身のタクトで、まず3月30日にバンドの本拠地キシュクンフェ−レジハ−ザ(※02)で、翌31日にブダペスト(Budapest)で、さらに4月1日にヴェスプレ−ム(※03)で、という3日連続のシリ−ズ・コンサ−トとなっていた。なかなかヤルな−!!
 

▲キシュクンフェ−レジハ−ザの
美しい町並み

▲地図:キシュクンフェ−レジハ−ザ
▲1999年に自主制作されたCD

バンドの本拠地キシュクンフェ−レジハ−ザは、ダニュ−ブ(ドナウ)、ティサというふたつの大きな川にはさまれたキシュクンサ−グ地方の町の名で、現在の町の歴史は 225年前に始まったという。しかし、砂地の多いこのエリアに人々が入植したのは実際には 700年以上も前のことで、人々は、その後に起こったトルコやゲルマンの侵入など、さまざまな歴史的なできごとの中を生き抜き、常に誇り高く、頑固だが、よく働き、勤勉な "キシュクンス(Kiskuns /キシュクンの人)" となった。そのキシュクンスがもっとも尊いものと考えたのは "自由な発想" や "独立性" だったが、1743年" フェ−レジハ−ザ" の入植者が "キシュクンス" の土地柄や商習慣と自分たちをうまく適応させたことから、世紀をこえてこの地域の経済、商業、教育、医学、文化の中心地であり続ける "キシュクンフェ−レジハ−ザ" の発展が始まった。そして、わが国にはない音楽文化への取り組みと理解がこの町にはある。
 国内外での大活躍を通じ、キシュクンフェ−レジハ−ザ市の名前を世界中に知らしめている "キシュクンフェ−レジハ−ザ交響吹奏楽団" は、この地の住民にとって "自慢のタネ" のひとつである。バンドが結成されたのは1987年。当初は、町の音楽学校の学生で構成されるユ−ス・バンドだった。プロフェッショナルではないが、メンバ−はすべてこの音楽学校で専門教育を受けたもので構成されており、短期間の内にハンガリ−を代表するシンフォニック・バンドのひとつに数えられるようになった。正指揮者は、音楽学校の教頭でハンガリ−・ウィンド・バンド協会の役員もつとめる金管教師フェレンツ・ヤンコヴスキ−(※04)で、副指揮者はラ−スロ−・ト−ト(※05)エルゼ−ベト・シャユティ(※06)の、ともに音楽学校卒業者がつとめている。常時50〜55名の演奏メンバ−が確保されており、バンドとしての基盤が固まった1991年以降、国内外のさまざまなコンク−ルで大きな成果をあげるようになった。

▲キシュクンフェ−レジハ−ザ交響吹奏楽団

国内では、 "シュイコロ−ス国際ウィンド・バンド・コンペ" で、1994年に第3位、1996年に第2位、1998年に "フェスティヴァル賞" 、2000年に第1位、 "ベ−ケ−シュチュアバ・ヤマハ=アトランティス国際ウィンド・バンド・コンペ" で、1993年に第2位、1994年に第2位、1997〜1998年に2年連続で第1位、1999年に第2位、 "チュオルヴァ−ス国際ウィンド・バンド・コンペ" で1996年と1998年に第1位、 "ジュウラ国際ウィンド・バンド・コンペ" で1996年と1998年に "フェスティヴァル賞" を受賞し、 "ヴェスプレ−ム国際ウィンド・バンド・コンペ" では1998年と2000年に "ゴ−ルデン・ディプロマ" を授与され、内2000年は出場したA1(上級)カテゴリ−の優勝だった。

▲正指揮者
フェレンツ・ヤンコヴスキ−
▲副指揮者
ラ−スロ−・ト−ト
▲副指揮者
エルゼ−ベト・シャユティ

国外では、ポ−ランドの "ヤストルズビエ・ズドロイ国際ウィンド・バンド・コンペ" で、1997年に第1位と "特別賞" 、スペインの "ヴァレンシア国際ウィンド・バンド・コンペ" で、1998年に第2位、スイスの "ザ−ス・フェ−国際ウィンド・バンド・フェスティヴァル" で、1998年に "フェスティヴァル賞" 、ベルギ−の "第47回ネ−ルプレト国際ウィンド・バンド・コンペ" で1999年に第1位といった国際コンク−ルにおける受賞のほか、オ−ストリアの "シュラドミンク中央ヨ−ロッパ音楽祭" (1999年)やノルウェ−の "トロンイェム第6回ヨ−ロッパ青少年音楽祭" (2000年)に出演、ラジオ放送のための収録も、1997年、1998年、2000年に行なわれるなど、バンドはエネルギッシュな活動を続けている。また、これまでにオランダやベルギ−、イスラエル、ブラジルから客演指揮者を招いており、その中には日本でもおなじみのヨハン・デメイ(Johan de Meij/1997年)やヤン(1998年)の名前もある。
 スゴイな−、こいつは....。15年程度の短期間にこれほどの成果をあげるとは、よほどカリスマ的なリ−ダ−がいないと成せるワザではない。そして、その中心的人物こそ、バンドの創設者であり、正指揮者のヤンコヴスキ−だった。
 ヤンコヴスキ−は、1957年6月13日、この町に生まれた生粋の "キシュクンフェ−レジハ−ザっ子" だ。セゲドのフェレンツ・リスト音楽アカデミ−でイシュトヴァ−ン・シュイモン(※07)のクラスにトロンボ−ンを学び、1979年に卒業。1981年からキシュクンフェ−レジハ−ザの音楽学校で教鞭をとるようになった。1989〜1990年の間は、ブダペストでアルパ−ド・アパ−トフュ(※08)に指揮法を師事。1995年には、キシュクンフェ−レジハ−ザの音楽学校の教頭となった。この間、バンドのメンバ−から数多くのプロ音楽家や音楽教師を輩出し、教育者としてもすばらしい成果を上げている。
 その彼がハンガリ−建国1000年のつぎの年、つまりハンガリ−にとっての新世紀(ミレニアム)となる2001年のために企画したのが、ヤンへの記念作の委嘱とシリ−ズ・コンサ−トだった。1998年にこのバンドから客演指揮者に招かれたヤンも、こういう歴史的バック・グラウンドとミレニアムの記念作という視点から、この新作の題材をハンガリ−の歴史的人物に求めたのだろう。選んだ人物は、この地に大帝国をつくり周辺諸国から恐れられたフン族の大王 "アッティラ" 、マジャル民族を現在のハンガリ−へと導いた "アルパ−ド" 、アルパ−ドの子孫で初代ハンガリ−王となった "イシュトヴァ−ン(I世)" の3人。すべて、ハンガリ−の人なら誰でも知っている歴史上の大人物であり、とくに国民的英雄の "アルパ−ド" と "イシュトヴァ−ン" に関しては、今でも、男の子が誕生すると "それにあやかろう" と同じ名をつける人が多い。偶然ながら、ヤンコヴスキ−の音楽の師のふたりの名前にも、同じスペルが見受けられる。きっと、ヤンもそれには気づいていたに違いない。関係する人物や事物のアナグラムからテ−マを導き出す手法は、作曲にあたってヤンがよく使う手だから....。

 かくして、ハンガリ−の歴史そのものを題材とするヤンの新作シンフォニ−「シンフォニア・ハンガリカ」は、ハンガリ−の記念すべき年に、ハンガリ−での初演シリ−ズを通じてその真価を世に問われることになった。ハンガリ−については、この国がかつての共産圏に属していたこともあって、他のヨ−ロッパ諸国に比べて情報量が圧倒的に少ない。少し調べ始めたら、信じられないことに、 "マジャル語−日本語辞典" も、ン万円もする大辞典が1冊と、今は絶版になった小辞典が1冊刊行されただけということも判明した。ハンガリ−の人名は、本当は日本人と同じく「姓」→「名」の順に書く。従って、このバンドの指揮者たちの名前だって、ハンガリ−では、ヤンコヴスキ−・フェレンツ、ト−ト・ラ−スロ−、シャユティ・エルゼ−ベトと呼ばれる。ドイツではフランツ・リストと呼ばれている大作曲家リストが、母国ハンガリ−ではリスト・フェレンツと呼ばれているように。この曲のノ−トを執筆する人は、きっとたいへんだろうな−。届いた資料に時間をかけてじっくりと目を通しながら、そんなことを考えていたところへ、オランダから予想もしないFAXが飛び込んできた。

 「ディア−・ユキヒロ。キミが音楽のために少し時間をさけるようになったと聞いてボクはとてもハッピ−だ。ブラボ−!! "バンドパワ−" というウェブサイトを見た。しかしながら、ほとんどが日本語なんでボクには読めなかった....。ところで、ボクは、来週、ヤン・ヴァンデルロ−ストとハンガリ−に行ってくる。ヤンは自作の "シンフォニア・ハンガリカ" の世界初演を指揮する。ボクはナレ−タ−の入った "指輪物語(The Lord of the Rings )" の指揮をする。....(後略)....。」(2001年3月20日付、FAX)

 エ−ッ!?なんだって!!FAXの送り手は、ヨハン・デメイ。突然の近況リポ−トだ。それにしても、ヤンの「シンフォニア・ハンガリカ」が初演されるコンサ−トでは、ヨハンの交響曲第1番「指輪物語」までもが演奏されるという!!2曲とも、現在のウィンドの世界では最大規模の作品だ。しかも、両曲がともに作曲者の自作自演という。ヤンとの通信を通じて、キシュクンフェ−レジハ−ザ交響吹奏楽団の今度のコンサ−トにかける意気込みは知っていたが、一体これはなんてコンサ−トなんだ
 ヨハンのFAXを読みながら、友人たちの活躍に拍手喝采を贈った早春の夜だった。

......つづく

 
 
(c)2002,Yukihiro Higuchi/樋口幸弘
>>インデックスページに戻る
>> スペシャルトップページに戻る
jasrac番号 吹奏楽マガジン バンドパワー