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樋口幸宏の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ−トファイル」
ファイル・ナンバ−10
ヤン・ヴァンデルロ−スト:シンフォニア・ハンガリカ
SINFONIA HUNGARICA
(Jan Van der Roost)
File No.10-03 :伝統?
ヤン(ヤン・ヴァンデルロ−スト)から届いた "了解" の返信は、中身がより具体的になり、加えて "新たなリクエスト" も盛り込まれていた。

 「ディア−・ユキヒロ。シカゴのミッドウェスト・クリニックに出発する前に片付けないといけない仕事がいっぱいあって、ボクは、とっても、とっても忙しい。
  "シンフォニア・ハンガリカ" の日本初演に関して、OMSB(大阪市音楽団:以下、市音)が関心を寄せてくれたという知らせを読んで、とてもハッピ−な気分になった。今一度、キミの助力に対して "ありがとう" と言いたい!!6月5日は、エクセレントな催しになるだろう。OMSBに検討してもらうためにシカゴへはスコアを一冊持っていくことにする。今度の指揮者は何という名前だったっけ?....(中略)....。
 ところで、ボクには "グッド・ニュ−ス" がある。それは、ボクが大阪のコンサ−トに出席できる可能性があるということなんだ。というのは、ボクは6月8日〜17日の間、日本(東京地区)にいる予定になっていて、もし、OMSBがボクを招きたいというのであるなら、日程上出席が可能なんだ!!ヨハン・デメイ(Johan de Meij )とフィリップ・スパ−ク(Philip Sparke )から、彼らの代表作、交響曲第2番「ビッグ・アップル」(De Meij:Symphony nr.2 "The Big Apple-A New York Symphony" )と「シンフォニエッタ第2番」(Sparke:Sinfonietta No.2 )が日本初演された時(*)、揃って出席したと聞いたことがある。たぶん、OMSBはこの "伝統" の継続に関心があるんではないかと思うんだけど....。普通に行って、月曜日の6月4日の朝に関西空港に着く。この場合、コンサ−ト前日の最終練習に立ち合うことができる。どうだろうか?この件についてキミの意見を聞かせて欲しい。ボクは出席できればと願うんだけど。それと、もしラジオ局が録音し、その後でCDが作られるようなことになるなら、とてもグレ−トだ。

▲CD「シンフォニア・ハンガリカ」
DHR 4.012-3

最近、ボクはア−レクス・シュイリングス(Alex Schillings )と電話で話をした。彼は、現在、ヨハン・ヴィレム・フジョ−・カペル(De Johan Willem Friso Kapel:オランダ、フリ−スラントのミリタリ−・バンド)とともに "シンフォニア・ハンガリカ" のCDレコ−ディング(**)を準備している人物(指揮者)だ。そのとき、彼はこの作品に熱狂していた。ボクはボクで、3月30日、31日、そして4月1日の日程でハンガリ−で行なわれる初演シリ−ズを指揮することをとても楽しみにしている。....(後略)....。」(2000年12月15日付、FAX)[註:(*)=第68回大阪市音楽団定期演奏会、1994年6月2日、於:ザ・シンフォニ−ホ−ル、指揮:木村吉宏(きむら よしひろ)/(**)=オランダde haske、 DHR 4.012-3、2001年9月発売]

 堰を切ったように語りかけてくる書きっぷりにヤンの喜びを感じながらも、その文面にはいくつか整理しないといけない課題も含まれていた。とくに、市音というウィンド・オ−ケストラが "大阪市" という行政機構の一部門であることをヤンが完全に把握できていないことが心配だった。つまり、原資は大阪市民の税金である市音の年間予算は、定期演奏会のために指揮者や独奏者、エキストラ奏者を雇う費用(わかり易くいうと、ギャラ)を認めてはいるが、初演する作品の作曲家といえども直接演奏に関わらない人を招く予算など組み込んでいない。それでは、ヤンが例に挙げたヨハン(ヨハン・デメイ)やフィリップ(フィリップ・スパ−ク)が、市音による自作品の日本初演に立ち合うことができたのはどうしてだったのだろうか。
 そもそも、その演奏会への作曲家招聘は、同じ演奏会で日本初演された「ソプラノ・サクソフォ−ンとシンフォニック・バンドのための小協奏曲」(Concertino for Soprano
Saxophone and Symphonic Band)の作曲者、オランダ人作曲家ベルナルト・ヴァンブ−ルデン(Bernard van Beurden )が、 "日本初演決定" を知らせた筆者の手紙に対してよこした返事(1994年1月24日付)の中で "日本で自作品が演奏されるのはこれが最初なので...." とコンサ−ト出席のための渡航費と滞在費をサポ−トしてくれるスポンサ−(パトロン)を日本国内で見つけてくれないか?と求めてきたことがことの発端だった。
 そのベルナルトとは、ヨハンの紹介で1993年12月のミッドウェスト・クリニックで知り合った。 "自作を聴いてみるか" と言うので、彼のブ−スへ行き、ヘッドフォンを被り、スコアを片手に作品を聴きまくった。この "コンチェルティ−ノ" は、そのとき初めて知った作品のひとつだ。一度聴いただけなのに "耳" に残った。早速、個人用のフル・スコアを発注。その夜、同じホテルに泊っていた市音プログラム編成委員の方々に "ソロ・ピ−スですけど、チェックしておかれたら....."と話しておいたら、翌日には早速ブ−スに出向いて作品を確認され、 "好印象" のリポ−トはただちに同行の木村吉宏団長(当時)に上げられた。帰国の途上、飛行機の中で木村さんに「まだ最終決定やないから、外部に言うてもろたら困るんや(話してくれたら困るんだ)が、実は、つぎの "定期" で "ビッグ・アップル" と "シンフォニエッタ第2番" をやろう(取り上げよう)とおもてる(思っている)んや。全部新曲になってまう(なってしまう)けど、その間にやるのにちょうどエエ(いい)と思うんや。どうや(どう思う)?」と意見を求められ、筆者は「立派な "プロ" ですね。あれね、ものすごい高級、というか、まさにプロ仕様の曲ですよ。ソロ・ピ−スですけど、 "定期クラス" で大きな作品の間に取り上げると "ハマる" と思います。」と感想を述べた。帰国後、届いたスコアは右から左へと市音行き。最終チェックを終えて、第68回大阪市音楽団定期演奏会のプログラムは決定。同時に、ソリストにも団内から長瀬敏和(ながせ としかず)さんの起用が決まった。
 こういう経緯もあったので、ベルナルトの希望はまずは市音団長である木村さんに伝える必要があった。話をすると、予想したとおり、「なんやて−!?作曲家が日本初演に立ち合うということは、それ自体はウチ(市音)にとってたいへん名誉なことなんやけど、そういう予算はないしな−。(日本語で印刷された)招待状を送ることぐらいはできるんやけど。仮にヴァンブ−ルデンの飛行機代を用意したる(用立てる)としても、(もっと前から知っている)デメイやスパ−クに "知らん顔" というわけにはいかんやろ(いかないだろう)。」と、いつもは決断の速い木村さんもさすがに困惑の顔。ベルナルトとヨハンは旧知の仲。ひとりにOKを出すと、ニュ−スはすぐにもう一方に伝わることは明白。関係者一同、何か妙案はないものかと悩んでいるところへ、同じ様に "日本初演決定" の知らせを筆者から聞いたヨハンからも "演奏会を聴きたい" とのリクエストが....。 "渡航費用と滞在費用を出してくれるスポンサ−を日本国内で見つけてくれないか?" というベルナルトのリクエストとは違い、ヨハンの申し出は "初演に必要なビッグ・アップルの楽譜一式を提供するので、その代わりに...." というもの。主要国が地続きのヨ−ロッパではこの種の儀礼的招待は日常的に行なわれていることは知っていた。また、企業のステ−タスを高める地元の文化事業への貢献は、企業メセナの一貫として理解が定着している。つまり、スポンサ−を得やすい。しかし、<日本の常識は海外の非常識。海外の常識は日本の非常識。>とはよく言ったもので、残念かな、日本にはそういった習慣が完全には育っていない。ヨ−ロッパ諸国間の移動とは違って、費用もケタ違いだ。さあ、どうする?
 その間、残るイギリス人作曲家フィリップはというと....。筆者から "日本初演決定" の連絡を受けてとても喜んだ彼は、当時未出版だった「シンフォニエッタ第2番」を市音の演奏会のためにもう一度見直して改訂する作業を行なっており、この少し後に曲のサイズやパ−トに変更を加えた新しいスコアとパ−ト譜を送ってきた。これが出版のための決定稿となった(つまり、市音による日本初演=出版バ−ジョンの世界初演となった)わけだが、フィリップがベルナルトやヨハンと違う反応を見せたのは、国民性の違いか。しかし、ヨハンからもリクエストがあった時点で、フィリップだけをひとりカヤの外に置いておくわけにはいかなくなった。
 オ−ディションで採用が決まるとは言え、市音の演奏家の身分はあくまで "公務員" 。法制上の制約もある。意見百出、スッタモンダの挙げ句、外部に小人数の有志による一度きりの "世話役グル−プ" を非公式に作って、分担して作曲家3人のお世話をすることになった。企業メセナではないが、形の上では、当初ベルナルトが希望したとおりに....。
 幸か不幸か、その後、ベルナルトがオランダで自作品のレコ−ディングが急浮上したことから来日を取り止め、フィリップがブリ−ズ・ブラス・バンドの国内コンサ−ト・ツア−(大阪:1994年6月6日、ライムライト・コンサ−ト7、於:大阪国際交流センタ−大ホ−ル/宇都宮:同6月8日、ブリ−ズ in 宇都宮、於:栃木県教育会館大ホ−ル/東京:同6月9日、ライムライト in 東京U、於:中央区立中央会館)に滞同することになったことから、世話役の負担はかなり軽減(とは言っても、筆者は瞬間的に指揮者ケヴィン・ボ−ルトン Kevin Bolton とコルネット奏者ロジャ−・ウェブスタ− Roger Websterの2人を加えた合計4人の外国人音楽家のマネ−ジャ−役を拝命することになった)され、市音の定期演奏会にはヨハンとフィリップの2人が出席した。しかし、2人からそのときの話をさんざん聞かされていたヤンは、それを "市音の伝統" と捉えていた。歴史は繰り返す。市音のあり方は基本的に変わっていない。しかも、前とは違い、深夜を除いて身動き不能となった筆者は、誰に対しても何のサポ−トも確約できない。通信の内容から今度は旅費の心配はしなくていいのが救いだが、さあ、どうする。幸いなことに、大阪には文化交流を目的としたベルギ−政府の "ベルギ−・フランドル交流センタ−、ベルギ−・フランドル博物館" があり、このちょうど1年前、同センタ−の25周年を記念してセンタ−主催による市音の演奏会(1999年12月10日、於:大阪国際交流センタ−大ホ−ル、指揮:ディルク・ブロッセ Dirk Brosse、ヤン・ヴァンデルロ−スト Jan Van der Roost、クラリネット独奏:ヤン・ギュンス Jan Guns )も開かれていた。何とかなるかも知れない。偶然、筆者宅に立ち寄られた市音の辻野宏一(つじの ひろかず)団長にこの一件を話すと、すぐセンタ−のベルナルド・カトリッセ(Bernard Catrysse)館長に連絡をとって相談してみるとの約束をいただいた。よ−し、いけるかも知れない。

  "ミッドウェスト" 行きを目前に控えたヤンは、筆者の返事を首を長くして待っているに違いない。とにかく、すぐ連絡だ

 「ディア−・ヤン。2001年6月5日のOMSBのコンサ−トの指揮者は、秋山和慶(あきやま かずよし)さんだ。シンフォニ−・オ−ケストラの世界ではとても有名な指揮者で、佼成出版社にTOKWO(東京佼成ウインドオ−ケストラ)を指揮したCDが何枚かある。 "シンフォニア・ハンガリカ" のような大作にふさわしい指揮者だと確信するよ。 コンサ−トへのインヴィテ−ション(招待状)の件、OMSBはたぶんOKするんじゃないかと思うけど、それはボクの推測でオフィシャルな回答ではない。ミッドウェストへ向かったOMSBの一行は、ちょうど今ニュ−ヨ−クにいる頃で連絡はとれない。今のところ言えることは、こちらからキチンと返答できる1月初旬までは、6月4日に関西空港に着けるという現在のスケジュ−ルをキ−プしておいて欲しいということだ。とにかく頑張ってみる。シカゴでの成功を祈っているよ。」(2000年12月16日付、FAX)

 最終的に、センタ−の協力をとりつけ、ヤンの大阪滞在中の身分保証に関してはセンタ−が責任を負っていただけることになった。ヤンがやってくる

......つづく

 
 
(c)2002,Yukihiro Higuchi/樋口幸弘
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