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第5回 真島 俊夫氏
☆日本の吹奏楽界に関する3つの思い☆
2000年 月

 友人の小長谷宗一氏からバトン・タッチされたのが6月の後半だった。書きたい事がありすぎて、何を書いて良いのか決まらないまま、スペインとパリに逃げた。スペインでは美しいアランフェスの夕暮れ、ガウディーの壮大な建築、そして旨いバスク料理に、ただでさえボーッとしている僕の頭は時の流れを忘れてしまった。特にスペインの人達の巻き舌の上手さには舌を巻いた。そしてパリのカフェでぼんやりしているうちに、遠い日本でのいろんな事が客観的に見えるような気がしてきた。
 そこで考えたいろんな事の中から、日本の吹奏楽界に関する思いを三つ程を書こうと思う。

[1]日本の吹奏楽は世界的にも高いレベルだと言われている。確かにバンドの数も多く、中学生までがとんでもないクラシックの難曲を演奏している。インターネットでも吹奏楽のサイトは大にぎわいだ。この隆盛は吹奏楽コンクールのたまものと言ってよいと思うが、その為にやや偏った発展の仕方をした感もある。
本来、吹奏楽は特別高度な音楽的素養を持たない一般の人々の楽しみの為にあったはずである。そこからオーケストラやジャズ等の、より本格的な音楽に進んでいくための啓蒙的な部分、あるいは興味を持たせる役割と、音楽の最も基本的な心地よさを知らせるのに、吹奏楽は恰好の演奏形態であると思う。
それは演奏する側にも、聞く側にも言えることだ。そして、人に聞かせる手段はあくまでコンサートであろう。そこで心地よいハーモニー、メロディー、リズムの音楽を演奏して、幅広い年齢層や音楽的素養の聴衆を楽しませることが一番の目的なのではないだろうか。
現代音楽はその点で一般聴衆から完全に離れてしまった。それはそれで意義のあることだが、ド・ミ・ソのハーモニーもままならないアマチュア・バンドが演る音楽ではないと思う。コンクールで良い成績を取ることを第一義に置けば、指の早さだけを練習して難曲の表面的な形だけを取り繕うという結果になるのは当然だ。そしてコンサートでは、さあ聞けと言わんばかりに不完全燃焼の曲をメインに置き、あとは学芸会か音楽会か解らないような出し物で受けようとする。
はたして聴衆は楽しいだろうか。僕にはおそろしくあか抜けないものに見える。
そんなことをしていながら吹奏楽に市民権をなどと言っている連中には呆れてしまう。はたしてこの人達は一度でも聴衆の気持ちを考えたことがあるのだろうか。
誤解のないように言うと、なにも大衆的で俗っぽい音楽をやれと言っているのではない。バンドの特質に合い、自分たちの力量にも合い、聴衆を楽しませ、そして少しだけ啓蒙するような音楽をやるのが良いと思うのだ。
 そういう意味では丸谷先生の淀工等、成功しているバンドもいくつかある。コンサートは入場者を制限しなければならないほどの盛況ぶりだし、演奏者も聴衆も楽しんでいる。聴衆の気持ちを考えたコンサートであれば黙っていても市民権を得られるという好例であろう。どうだろう、音楽の基本をもう一度確認してみるのは。ハーモニーの心地よさ、メロディーの美しさ、リズムの快感を、音楽の楽しさを。
特に大人のバンドには是非要望したい。僕はその世界に楽譜を提供する仕事をしているわけだが、いつもそういう使われ方に合うような曲を書いてきたつもりだ。

[2]そろそろコンクールのシーズンだが、審査員や審査の結果に対する不満や疑惑が相当あることを、インターネットで知り愕然とした。ほとんどは良い成績を取れなかった事に対する、はらいせのようなものだが、この十数年、毎年10日間程審査員をしている立場としては、とても哀しい気持ちになった。そこで一審査員の立場からコンクールに対する疑問の投げかけ、あるいは問題提起をしてみようと思う。

 まず審査員はその地方なり県に、自分で出向いているのではない。要請があって、可能であれば引き受けるのだ。つまりその県の吹奏楽連盟が審査員を決めているのであるから、好ましくない審査員は呼ばなければ良い。もし好ましくない(何が好ましくないのかよく解らないが)審査員がいたとしたら、その苦情は自分たちの県の吹連に言うべきであって審査員に言うことではない。

 点数や順位に操作が加えられているのではないかという疑惑があるようだが、これはあり得ないと断言できる。もし仮にあったとして、個々の審査員が荷担できる状況ではない。全員の採点を集めた集計員が、こういう結果になりましたと言って持ってくる集計表を見て、僅かの時間で自分の部分の間違いがないかを確認する程度で、後はここまでを金賞、ここまでを銀賞にしますがよろしいでしょうかという提案に同意するか、違う意見を言うぐらいのことしか出来ないのが現状だ。
 第一、審査員同士で誰がどこに何点付けたかは解るから、異常な採点をする人はいない。
 過去に自分の主義と違った演奏に怒り狂って0点を付けた審査員を二人知っている。一人はカットの仕方に音楽性が無いと判断したもの、もう一人はオケではこんな音はしないから嫌だというもので、この人はオケ関係の人で、吹奏楽がオケの曲を演る事自体が嫌いな人。それぞれがその審査員の純粋な音楽感を根底にしたことで、それ以外の温情や個人的癒着等に依っての事ではないから責めることは出来ないはずだ。当然、他の審査員も納得した。それに上下カットという変な方式が機能して大勢には影響がなかったはずだ。
 審査員に吹奏楽関係じゃない人、例えば音楽評論家をという提案も目にしたことがあるが、そもそもプロの演奏にさえ酷評を下す人達だ。クラブ活動としての吹奏楽の事など配慮しないだろうから、たぶん冷徹な評価が下ると思われる。音楽と認められない団体も多数出てくるだろう。一度やってみるのも面白いとおもう。
そもそもコンクールというのは、ある程度の良いものを創った上で、いかがでしょうかと審査してもらうのが出場するバンドの最低のマナーであろう。12分もの間、審査員を肉体的、精神的苦痛にさらしておいて「さあどうだ、どこが悪い」も無いと思う。吹奏楽に関わっている、或いは関わったことのある審査員だからこそ自分の中学生時代の事を思い出したり内情を察した上で、教育的配慮のもと、点を付けるのに困るような音楽以前の音のバンドにも丁寧なコメントをつけて採点しているのだ。審査員の苦労も察して欲しい。

 審査員が特定の団体の先生と衆目の中で談笑している神経が解らない等という意見を目にしたことがあるが、人間であれば、かっての教え子や友人と久しぶりに再会すれば談笑もするだろう。しかしそれによって甘い点数等付けるわけがない。それはそれ、これはこれだ。むしろ知り合いには叱咤激励の意味で辛い点を付ける人が多い。第一そんなことをしようとする場合に、わざわざ人目に付くところで談笑をする馬鹿がいるだろうか。審査員はそんなに馬鹿だと思われているのだろうか。
 
 審査員同士の談合があるのではないかという話も目にした。いったい何を談合するというのだろうか。審査員同士は利害関係の無い音楽家同士だ。学校の先生方の世界は上下関係など大変なのだろうが、音楽家の世界はもっとフランクで上下関係は無いと言ってよい。僕の師匠の兼田敏先生でさえ、僕を一人の音楽家として扱ってくれる。せいぜい談合することと言えば、この町にはこういう美味しい店があるから今晩一緒に行きましょうとか、この会場は暑くてかなわないねとか、帰りの切符は取りましたか、のような話しかなされないのが普通だ。それほどまで人間を信じない疑心暗鬼な連中に良い音楽を出来るわけがないだろうし、人間として哀しい。
 或る県では、期間中に出場者と接触があるといけないのでホテルから出ないでくれと言われ、ホテルのレストランの食券を渡された。軟禁状態だ。審査員の人権はどうなるのかと言いたい。そしてレストランに行ってみると、なんと同じホテルに泊まっている出場団体の貸し切り状態だったので審査員全員で大笑いしたことがある。しかもお達しが出ているのか、審査員と判っていても挨拶もしないで遠くからチラチラ見たりしている。会釈ぐらいしても良いだろう。
こんな、人間性を蝕むようなコンクールだったらやらないほうが良いと思い寂しくなった。せっかく全国から普段会えない音楽の専門家が集まっている良い機会だ。音楽の事等を話し合おうとは思わないのだろうか。同じ音楽を愛する同好の志同士で楽しい会合が持てるはずだし、いろいろと勉強にもなる良い機会だと思う。しつこく言うが、その事が採点に影響することは無い。

 それよりもなによりも各県ごとに異なる採点方法や評価方法を直すのが先決だろう。100点満点方式(30点以下は付けるなと言われる)、10点満点方式(3点以下は付けるなと言われる)、五段階評価(最低評価は付けるなと言われる)、順位評価等があるが、どれも欠点がある。
まず点数方式の場合、審査員一人の一点の重みが違ってくることだ。最高点75点、最低点50点という付け方をするA審査員と、最高点100点、最低点30点という付け方をするB審査員がいた場合、A審査員が最高と思ったバンドにB審査員があまり良くない点をつければ、合計点は低いものになってしまう。つまりB審査員の影響力が大きい審査結果になるわけだ。しかも上下カット(これは二人の審査員の意見を無視するという失礼千万な方式だ)という方式を取るところも多いから、全審査員の意思通りの順位になっているとは思わないでほしい。
他の方式の欠点もあるが長くなるのでここでは書かない。ちょっと考えれば判るはずだ。この不完全な採点方法の為に、多数の審査員が良いと思った団体が、結果的に低い順位になる例も数多く見てきた。審査員自身が結果発表を聞いて不可解に思う時もあるのだが、これはその県の採点方法の責任であると言ってよい。
 是非、合理的で審査員全員の意向が正しく結果に出る採点方法を考え、全国で統一してほしい。

 審査発表の後、会場を出る時に良い成績を取ったところの生徒や親達には「有り難うございました」等と言われ、良くない成績のところの生徒達にはにらまれるというのも嫌だ。どちらからも「お疲れさまでした」と言われるのならわかるがお礼を言われるのも変だし、睨まれる覚えもない。
 或る審査員は後ろからコーラをひっかけられたという。脅迫状のようなものを送りつけられた審査員もいる。こういうゴロツキやチンピラの世界のような風潮では、審査員も公平な審査や発言が出来なくなるではないか。音楽を愛する人達の中にもそういう人達がいるというのは悲しいことだ。
 そして、だからこそどの県でも審査員全員の採点を公表するべきだと思う。いくつかの公表されない所があるが、それはその県の方針で、審査員は皆、公表されることを願っているだ。その上で疑問があれば紳士的に質問してほしい。なぜそういう点数になったかを、きついだろうが明快に説明する用意はある。

 しかし本当の事を言えば、僕は音楽に点数は付けたくない。それぞれの個性の中で良い演奏をする団体が多いときは本当にそう考えてしまう。それはカツ丼と天丼とどっちが旨いか(どっちが好きかではない)と聞かれているようなもので、返答に困る。しかし最後はやはり好きずきであろう。
 しかし、僕もこの十数年間の審査中に思わず涙ぐんでしまった演奏が三つあり、それは忘れ得ぬ思い出だ(怒りを覚えた演奏が三百以上はあるが、これは忘れよう)。肉体的にも、精神的にも、そして金銭的にも辛い仕事だが、僕が審査員を引き受ける理由の一つはここにある。つまりまた何時か、その感動に出会えるかも知れないと言うことだ。もう一つは楽譜を書く立場として、大多数のバンドのレベルを知っておきたいという気持ちがある(そのわりには、なぜか僕の書く曲は難しいと言われているが)。
 
[3]1の項目にも関係するのだが吹奏楽の魅力の一つに、多くのジャンルの音楽が出来るという事がある。その一つにジャズ・ポップスが有るわけだが、僕が見るところでは演奏法がまだ徹底していないと思う。これを向上させるために「ジャズ・ポップスのコンクール」というのを提案したい。吹奏楽コンクールはクラシックとオリジナルが主流だし、マーチングのコンクールもあるのだからこれがあっても良いと思う。誰かが実現してくれる事を願いたい。勿論その場合、僕は全面的に協力するつもりだから是非、申し出て欲しい。

 というわけで、今回は自分で読み返してみてもワインを飲まないで書いた生真面目なエッセイに見える。でも、そろそろワインの酔いが回ってきたのでこの辺で終わることにする。また回り回って何時か、書かせてもらえれば幸いだと思う。

真島俊夫


■ PROFILE ■

 

1949年山形県生まれ。和声法と作・編曲法を兼田敏氏に、ジャズ理論を故内堀誠氏に師事し、作・編曲と同時にジャズの分野にてトロンボニスト、キイボード・プレイヤーとして活躍中。代表作は「吹奏楽のための交響詩・波の見える風景」「コーラルブルー」「MIRAGE II」他多数。

■関連ホームページ http://plaza2.mbn.or.jp/~atelierM/

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