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【コラム】

富樫鉄火のグル新
第90回 岩井直溥氏、祝「90歳」!
「題名のない音楽会」で2週連続特集!

ツィッターほど短くもなく、ブログほど個人的でもない、
同じような話題をグルグルめぐるけど、基本は最新の話題。グル新。

(原則、第一・第三月曜日〜火曜日かけて更新しています。
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 そろそろ本年度のコンクール課題曲を決めて、細かい練習に入っている団体も多いと思う。今年度課題曲の最大の特徴は、なんといっても、岩井直溥氏の曲が入っていることだろう。

 岩井直溥氏は1923(大正12)年の生まれ。今年で満90歳を迎えるが(この「グル新」も、今回で「90回」です)、まったくお元気で、作曲・編曲・指揮活動で日本中を飛び回っている。おそらく世界中に、90歳で、これほどまでに最前線で活躍している作曲家は、そういないのではないか。

 その功績は、とてもこの紙幅で述べることは不可能だが(何しろ、吹奏楽以外の分野でも多くの仕事をしておられるので)、おそらくBP読者であれば、不肖この私が聞き書きをした連載「岩井直溥自伝 吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!」をお読みの方も多いと思うので、もう詳述の要はないかもしれない。

 大急ぎで述べてしまえば、みなさんご存じ、吹奏楽ポップスの人気シリーズ「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」の生みの親であり、育ての親である。それまで学校の音楽室でポップスが演奏されることは、あまり歓迎されなかったのだが、このシリーズによって、学校吹奏楽部も、堂々とポップスを演奏できるようになったのである。

 そしてもう一つ、忘れてならない功績が、コンクール課題曲に「ポップス・テイスト」が加わるようになった、その突破口を切り拓いた点がある。
 
 それは1972年のことだった。
 当時の課題曲は「中学の部」用と、「ほか全部門」用の、2種類が公募で選ばれていたが、この年、「中学の部」用に、入選作が出なかった。
 そこで、どうなったか。
 以下は、BP連載「岩井直溥自伝」第22回からの抜粋である。

 ところが、なかなかいい作品が来なくてねえ。何とか、他部門用には、≪シンフォニック・ファンファーレ≫(三沢栄一)という入選作が出たんだけど、中学の部用に、いい曲が来なかった。
 選考会を終えて、みんなで呑みに行き、「公募といっても、なかなかいい曲は来ないもんだなあ」なんてぼやいていたら、その席に春日学さんがいた。この人は、戦後の早い時期から職場バンドの指導者として活躍していた人で、特に郵政中央吹奏楽団は、1950年代末から60年代初めにかけて、この春日さんの指揮でコンクール全国大会に出るようになりました。当時はすでに第一線を退いて、連盟の役員などをやっていたと思う。
 その春日さんから、
 「じゃあ、君が書けよ」
 と、酔った勢いでサラリと言われた。
 「え? 僕が課題曲を書くの?」
 「そうだよ、公募でいい曲が来ないんだったら、プロが書くしかないだろ。実は一週間後に、警視庁の音楽隊による、課題曲の試演会を開かなきゃならないんだ。いまからあらためて追加公募なんてやってる時間もない。中学生用のマーチでいいから。岩井君、頼むよ、書いてくれ」
 と、こうですからね。

(略)

 どんなマーチにしようか、ちょっと悩んだけど、まあ、ジャズ・ポップス上がりの僕が書くんだから、昔ながらの実用マーチというよりは、モダンなコンサート・マーチにしたかった。そこで、シンコペーションを多用し、跳ねるような、浮き浮きしたムードを強調しました。中学生用とのことだったので、あまり音域を広くせず、高音も控えめにした。ただし、一応はコンクールの課題曲ですから、半音階のフレーズなどもちょっと加えて、それらしくした。
 これが、予想以上に好評でしてね。こういうタイプの課題曲は、いままでなかったから、とても喜ばれた。

 かくして生まれたのが、シンコペーテッド・マーチ《明日に向かって》である。いまとなっては、こういうコンサート・マーチは珍しくもなんともないが、当時としては、たいへん新鮮だった。
 これを聴いて「なるほど、課題曲は、こういう弾けた感覚があってもいいんだ」と、多くの者が、目からウロコを落とした。
 こうして2年後の1974年に公募入選で誕生したのが、河辺公一氏の《高度な技術への指標》である。いうまでもない、完全なステージ・レビュー音楽である。
 以後、1975年に、岩井直溥氏の、ポップス・オーバーチュア《未来への展開》と、河辺公一氏《吹奏楽のためのシンフォニック・ポップスへの指標》が誕生する。
 翌1976年には、岩井直溥氏の歴史的名曲、ポップス描写曲《メイン・ストリートで》が生まれ、次の1977年に、東海林修氏《ディスコ・キッド》と続くのだ。

 結局、岩井直溥氏は、以下5曲の課題曲を書いた 。

1972年(第20回) シンコペーテッド・マーチ≪明日に向かって≫(中学の部用)
1975年(第23回) ポップス・オーヴァチュア≪未来への展開≫(中学の部用B)
1976年(第24回) ポップス描写曲≪メインストリートで≫(全部門用B)
1978年(第26回) ポップス変奏曲≪かぞえうた≫(全部門用C)
1989年(第37回) ポップス・マーチ≪すてきな日々≫(全部門用D)

 そして今年度の2013年(第61回)、すでにご存じのように、ほぼ四半世紀ぶりに、岩井直溥氏の課題曲が登場した。委嘱作、復興への序曲《夢の明日に》である。
 当初、このタイトルだけを知らされて、スパークの《陽はまた昇る》のようなタイプの曲を想像した方も多かったと思う。
 ところが、すでにお聴きのように、これは明らかに、いままでの岩井路線上にある、明るいポップス曲、おなじみステージ・レビュー音楽であった。ドラム・セットも、ひさびさに登場した。深刻さなど皆無で、まるで「みんな、とにかく前に進もうよ」と笑いかけるような曲であった。
 岩井直溥氏が、どのような思いを込めてこの曲を書いたのか、知る由もないが、私には、東日本大震災にまつわる曲ではなく、もっと大きな何かが意識されているような気がした。

 「岩井直溥自伝」をお読みいただければわかるが、岩井直溥氏は、終戦時、学徒出陣で出兵していたが、一応、芸大の学生であった。終戦後は、ジャズ・マンとして、戦後の復興と共に歩んできた。それだけに、今回の課題曲は、東日本大震災の被災地復興への願いもさることながら、日本が、終戦時の廃墟の中から見事に復興した、その過程を回顧するような、そんな意識もあったのではないだろうか。そして、あれだけの苦難の中から復興を遂げた私たちなのだから今回も大丈夫、哀しみもあったけれど、笑顔も忘れずにいこうと呼びかけているような気がするのだ。

 そんな岩井直溥氏の歩みが、テレビ「題名のない音楽会」で、2週にわたって紹介される。私も解説役で、少々お手伝いをさせていただいた。まさに「岩井直溥自伝」のサウンド版といっても過言ではない。岩井サウンドの原点であるジャズ・ポップスや、フランキー堺と組んでいたころの冗談音楽まで、まず通常のコンサートでは聴けないスコアが満載で、いったいなぜ岩井直溥氏が「吹奏楽ポップスの父」なのかが、よくわかると思う。
 これを観てから今年度の課題曲を演奏したり聴いたりすると、また味わいも変わるはずだ。

「題名のない音楽会」 テレビ朝日 毎週(日)朝9時〜
http://www.tv-asahi.co.jp/daimei/index.html
※BS朝日で、翌(土)夜6時半〜、翌(日)夜11時〜

●4月21日(日)朝9時〜
岩井直溥90年の軌跡 「日本吹奏楽ポップスの父」の原点
(放送予定曲)
・黒い瞳 〜ケーキ作りとtogether版
・黒い炎
・シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」
・靴が鳴る
●4月28日(日)朝9時〜
吹奏楽ファンが選ぶ 岩井直溥・人気曲ベスト10
指揮:岩村 力
演奏:東京佼成ウインドオーケストラ
エリック・ミヤシロ(トランペット)
村田陽一(トロンボーン)
織田浩司(サックス)
阿野次男(ドラムス)
松本茂(ベース)
萩谷清(ギター)

※次回は4月30日(火)前後に更新予定です。


(2013.04.15)


※本稿の著作権は富樫鉄火が、出版権・公衆送信権はバンドパワーが独占しています。両者の許諾なく、出典元表記のない引用や、引用の範囲を超えた複写、コピー&ペーストを固く禁止します。
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