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【コラム】

富樫鉄火のグル新
第75回 第五福竜丸事件(下)

ツィッターほど短くもなく、ブログほど個人的でもない、
同じような話題をグルグルめぐるけど、基本は最新の話題。グル新。

(不定期で更新しています。バックナンバーは最下段「目次ページへ」からお入り下さい)

 「第五福竜丸」事件(1954年)から3年後、アメリカの雑誌「ハーパーズ・マガジン」1957年12月号〜1958年2月号の3回にわたって「The Voyage of The Lucky Dragon」(ラッキー・ドラゴンの航海)と題する読物が連載された。筆者は、アメリカの原子物理学者ラルフ・ユージーン・ラップ博士(1917〜2004)。

(「第五福竜丸」を、関係者は「福竜」の愛称で呼んでいた。その英語直訳が「ラッキー・ドラゴン」である)

 このラップ博士は、戦時中「マンハッタン計画」(原爆開発プロジェクト)に参加していた科学者だが、戦後は一転し、放射能被害や核の恐怖を告発し続けた人である。1957年5月に夫人とともに来日し、第五福竜丸関係者や、亡くなった久保山愛吉さんの遺族に取材して書き上げたレポートだ。

 連載とほぼ同時にアメリカで単行本化され(おそらく雑誌連載は、単行本の完成原稿を、宣伝をかねて分載したものと思われる)、日本でも『福竜丸』の邦題で、早くも1958年3月にみすず書房から訳出刊行された。事件の全貌が、ノンフィクション・ノヴェル風に、克明に描かれており、特に、入院中の久保山さんが家族にあてて書いた手紙は、読者の涙を誘った。

▲ラルフ・E・ラップ著/八木勇訳『福竜丸』(みすず書房、1958年3月刊)

 この翌年(1959年)、おそらく本書をネタ本の一つにしたと思われる映画『第五福竜丸』が公開された。監督は、新藤兼人(1912〜)。

(映画のクレジットなどに本書名は挙げられていないが、同じエピソードやセリフが頻繁に登場するので、参考資料になったことは間違いない)

 新藤は、1952年の名作『原爆の子』で国際的な評価を得ていたが、あれは「ドラマ」だった。今回は、徹底した「ドキュメンタリー」でいこうと考えた。一切のフィクションを排し、事実を淡々と描く、それを俳優が再現した。

(この時の製作の苦労話を、最近、映画評論家・西村雄一郎氏がコラムに書いている。http://ameblo.jp/kyuzho/ ←8月12日付)

 この映画『第五福竜丸』はDVD化されているので、ぜひご覧いただきたい。テキパキと展開していく構成が実に見事で、放射線被害の知識が浅かった時代の悲劇が、リアルに描かれている。
 特に、久保山愛吉さん(宇野重吉)が危篤に陥ってから以降、ラストまでの描写は、ほぼセリフなしで淡々と描かれ、異様なまでの迫力である(この手法が、次作の「黙劇」映画の傑作『裸の島』に結実する)。
 私は、高校生の頃に、いまはなき池袋・文芸地下劇場で観て、この最終部分で号泣した記憶がある。

 また、BP読者には、林光の音楽も堪能していただきたい。特に、冒頭オープニングから被曝シーンまで、乗組員たちが船上で働くシーンに合わせ、ほとんど休みなく展開する明るい音楽は、まさに劇判の見本ともいうべき素晴らしさである。

▲映画『第五福竜丸』(新藤兼人監督、1959年作品)DVDパッケージより(発売:アスミック)

 この映画は、興行成績こそ芳しくなかったが、多くの一般市民に、第五福竜丸で何があったのかを、初めて具体的に伝えることになった。なにしろ当時はまだ、TV放映こそ始まっていたが、ようやく一般庶民にも浸透し始めた時期で、どこの家にもTVがあるといった時代ではなかったのだ。まだまだ娯楽の中心は、ラジオと映画だったのである。

 こうして第五福竜丸事件は、ラップ博士のレポートと、新藤兼人の映画により、多くの日本人に、さらに知られる悲劇となる。

 で、話は戻るが、このラップ博士のレポートが「ハーパーズ・マガジン」に連載される際、挿絵を寄せたのが、画家のベン・シャーン(1898〜1969)である。リトアニア出身のユダヤ移民で、反戦や貧困などの社会派問題を印象的なタッチで描き続けた人だ。

 この仕事は、ベン・シャーン自身にも印象深いものだったようで、彼は、連載終了後も、断続的に、第五福竜丸を題材にしたタブロー画の連作「ラッキー・ドラゴン」シリーズを描き続けた。

(この連載記事は、同誌サイト http://harpers.org/subjects/RalphEugeneLapp にスキャン再録されており、ベン・シャーンの挿絵も見ることができる。ただし有料閲覧。サムネイル画像なら無料で見られる)

 やがて時が流れて2006年。日本で、たいへん興味深い「絵本」が出版された。
『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(絵:ベン・シャーン/構成・文:アーサー・ビナード 集英社刊)である。日本絵本賞を受賞し、はやくもロングセラーになっているようだ。

▲ベン・シャーン絵/アーサー・ビナード構成・文『ここが家だ』(集英社、2006年刊)

 これは、ベン・シャーンが「ハーパーズ・マガジン」に寄せた挿絵や、その後の連作絵画「ラッキー・ドラゴン」シリーズ、そのほかの絵画作品から、日本在住の詩人・俳人アーサー・ビナード(1967〜)が抜粋・構成し、新たなストーリーを組み立てて文章を書いた、完全オリジナルの新作絵本でる。
 おおむね、前半のモノクロ・イラストが雑誌の挿絵で、後半のカラー部分が、後年に発表された連作絵画「ラッキー・ドラゴン」シリーズである。

(よって、ベン・シャーン自身が、このような絵本を作ったわけではないので注意されたい。書名『ここが家だ』もアーサー・ビナードによるものである)

 この絵本で、第五福竜丸事件の、おおよその全体像が示されている。書名になった『ここが家だ』とは、第五福竜丸そのもののことであり、かつ乗組員たちの故郷・焼津のことであり、また、地球全体のことでもある。

 この絵本は、ベン・シャーンのイラストが素晴らしいのはもちろんだが、アーサー・ビナードの文章の中に、驚くべき一文があった。

「『久保山さんのことを わすれない』と/ひとびとは いった。/けれど わすれるのを じっと/まっている ひとたちもいる。」
「わすれたころに/まだドドドーン!/みんなの 家に/放射能の 雨がふる。」

 この絵本が刊行されたのは、2006年9月である。まさに、福島第一原発の事故を予見しているかのような、恐ろしい一文ではないか。

 そして、この絵本に触発された「吹奏楽曲」が誕生した。
 福島弘和作曲、≪ラッキードラゴン 〜第五福竜丸の記憶〜≫である。埼玉県の春日部共栄高校による委嘱作で、2009年5月、同部の第23回定期演奏会で初演された。同時に、その年のコンクール自由曲として、同年秋の普門館での全国大会での演奏が、見事に金賞を獲得している。

 作曲者自身のコメントによれば、先述の絵本に触発され、「音楽で福竜丸の事実を忘れさせない事へのきっかけになれたらと思い」作曲したという。

 そして、こう述べている。
 「この曲を吹奏楽コンクールなどで、若い方達が接すれば、少なからずこの出来事や今も続いている核実験など考え感じてもらえると思います。そしてその演奏を聴いてくださったお客様も何かを感じていただけると思います。そうやって『忘れてはならない』輪が少しずつ広がって行くと望んでおります」 
 つまり作曲者は、この曲をきっかけにして、第五福竜丸事件をもっと知ってもらいたいとの願いを込めたようなのだ。

 この曲は、翌2010年に、強豪・創価グロリア吹奏楽団が取り上げて、やはり全国大会に進出、金賞を獲得した。

 そして今年は、なんと、熊本・玉名女子高、金沢大学、佐賀市民吹奏楽団の3団体が、この曲で全国大会進出を決めているのだ(8月末現在)。

 各団体が、どういう理由でこの曲を選んだのか、私はまったく知らない。2年連続で金賞が出ているだけに、「勝負曲」にふさわしいと感じのかもしれないし、純粋に曲の素晴らしさに入れ込んだのかもしれない。

 だが、やはり「2011年」に演奏されることの意義を、私たちは忘れてはいけないと思う。
 広島も長崎も第五福竜丸も、いままでの日本人の被爆(被曝)は、すべてアメリカによるものだった。だが今年の福島第一原発事故は、ちがう。いままで、さんざん放射能被害にさらされ、恐ろしさを知り尽くしてきたはずなのに、なぜまた、こう何回も、同じ目にあわなければならないのだろう。しかも今回は、天災が契機とはいえ、自らの手による事故も同然なのだ。

 もう一度、なぜこんなことになったのかを、考え直すべきではないだろうか。そのために、作曲者自身がいうように、≪ラッキードラゴン 〜第五福竜丸の記憶〜≫が、少しでも、そのきっかけになってほしいと、私自身も思う。

 第五福竜丸事件が、ラップ博士のレポートになり、ベン・シャーンの絵画になり、書籍『福竜丸』になり、映画『第五福竜丸』になり、絵本『ここが家だ』になり、そして、吹奏楽曲≪ラッキードラゴン 〜第五福竜丸の記憶〜≫になった。「響け!復興のハーモニー」なるコピーも、まことにそのとおりなのだが、この連綿と続く流れの最後に、吹奏楽曲があることを、私たちは忘れずに、今年のコンクール全国大会に臨みたい。

 余談だが、被曝後の第五福竜丸は、国によって買い上げられ、除汚後、東京水産大学(現・東京海洋大学)の練習船「はやぶさ丸」となっていたが、老朽化により廃船。使用可能なエンジン部品などを外されたのち、東京・江東区のゴミ埋立地「夢の島」に打ち捨てられていた。

 ところが、その無残な姿に「あんまりではないか」との声が寄せられ、保存運動が起こり、現在は夢の島公園にある「都立第五福竜丸展示館」http://d5f.org/top.htm に永久展示されている。

 また、抜き取られたエンジンは、別の貨物船に使用されていたが、この船は1968年に、三重県沖で座礁、沈没したままになっていた。その後、1996年に、民間の有志が海底から引き揚げ、洗浄後、上記・展示館の脇に展示されている。

 ベン・シャーンの「ラッキー・ドラゴン」も、同展示館(公益財団法人第五福竜丸平和協会)が1994年に7点を購入し、展示されている。

 第五福竜丸は、その後も多くの人たちを衝き動かしているのである。≪ラッコードラゴン 〜第五福竜丸の記憶〜≫とともに。
※敬称略

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)

(2011.08.31)

【関連CD】

■ブラバンええとこどり
〜邦人作曲家による自作自演集I〜 
『ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶〜』

http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2061/

■Japan's Best for 2010 大学・職場・一般編
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/dvd-9407/

 


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