吹奏楽マガジン バンドパワー 吹奏楽マガジン バンドパワー
【コラム】

富樫鉄火のグル新
第71回 1968年のプラハで何があったのか

ツィッターほど短くもなく、ブログほど個人的でもない、
同じような話題をグルグルめぐるけど、基本は最新の話題。グル新。

(不定期で更新しています。バックナンバーは最下段「目次ページへ」からお入り下さい)

【おわび】

せっかく体調も回復し、本欄を再開したとたん、震災に見舞われ、仕事に多大な支障が発生して「グル新」どころではなくなってしまいました。申し訳ありませんでした。しかしそれも、何とか落ち着いてきましたので、心機一転、再び再開いたします。気ままに書きますので、よろしくお願いいたします。
(富樫鉄火)

 1968年、チェコスロヴァキア社会主義共和国(現在は「チェコ」と「スロヴァキア」に分離独立)では、長年の社会主義独裁政策に対する、自由を求める声が高まり、通称「プラハの春」と称される、規制緩和ムードが漂っていた。
 だが、同国を「支配下」に置くソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)は、「プラハの春」を許さなかった。

 1968年8月20日23時頃、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍の戦車軍団が、何の前触れも通告もなく、突如、首都プラハに侵攻し、市内全域を「制圧」した。
 市内では、抵抗する市民たちと侵攻軍との間で、銃撃戦が展開された。
 チェコスロヴァキア共産党プラハ市委員会は、翌日、以下のような声明を発表する。
 「今、私たちの町は歴史上初めて同盟国、友好国の軍隊によって占領されています。偶発的な挑発は決して行なわないでください。現在、武力による防御はもはや不可能です」

 この事件は、多くのジャーナリストによって目撃・記録されたが、核心の地にまるまる1週間とどまり、決定的瞬間をカメラにおさめつづけたカメラマンが、ジョセフ・クーデルカ(1938〜)である。
 だが、ソ連の「支配」が続くチェコスロヴァキアでは、その写真を公表することは不可能だった。
 そこでフィルムは、さる関係者の手により、極秘裏にアメリカへ送られ、フォト・ジャーナリスト集団「マグナム・フォト」のもとへ届けられる。
 1年後、「マグナム」は、これらの写真を「チェコの匿名写真家」の作品として、世界中の雑誌に向けて発表した。まだクーデルカ本人はもちろん、家族もチェコスロヴァキア国内にいたので、安全のために、実名を出すことは危険だったのだ。
 写真は、世界中に衝撃を与えた。抵抗し、苦悩する市民の姿が、見事に記録されていた。ソ連の行為が「自由の弾圧」であることは、一目瞭然だった。
 同年、「チェコの匿名写真家」は、ロバート・キャパ賞を受賞。フォト・ジャーナリズム史上に残る傑作の誕生だった。

 1984年、「匿名写真家」はようやく、氏名を公表する。この年、父親が死去し、家族への脅威がなくなったのだ。その後、各地での展覧会や雑誌掲載などで、これらの写真「プラハ侵攻1968」は正式発表され続けてきた。だが、フィルムの量は膨大であり、その全貌が一堂に会して公開される機会は、なかなかなかった。

 この「プラハ侵攻1968」から約40年後のいま、クーデルカ自身が、大量のフィルムから決定的シーン250枚を新たにチョイスし、プリントした。中には未発表写真もある。
 現在、東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催されている「ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968」展は、その250枚を展示する、画期的な写真展である。
 私たちは、この展覧会で初めて、1968年8月のプラハで何があったのかを、正確に知ることができるのだ。

 話はかわる。
 チェコスロヴァキア出身の作曲家カレル・フサ(1921〜)は、1954年にアメリカのコーネル大学に招聘されて以後、音楽教授としてアメリカで過ごしていた。
 1968年8月、母国の弾圧事件を知ったフサは、複雑な感情を、ほぼ思いのままに音楽化した。それが、翌69年1月に、イサカ大学バンドによって初演された吹奏楽曲≪プラハ1968年のための音楽≫である。
 吹奏楽に携わっている方だったら、知らない人はいないであろう名曲だ。
吹奏楽コンクール全国大会では、1978年に、岡山県の総社市総社東中学が初演した(第4楽章)。以後は、愛知工業大学名電高校が得意レパートリーとし、1983年、85年、87年、92年とこの曲で全国大会に進出し、85年と87年では金賞を受賞した。

 筆者は、いままで、同曲の解説を何度となく執筆してきた。そのたびに、事件にまつわる資料を読んだり、当時の新聞縮刷版をひっくり返すなどして、「音楽が描こうとしたもの」を、必死で追体験し、若い方々にわかりやすく伝えようと躍起になってきた。同事件を背景にしたミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』と、その映画版などを引き合いに使ったこともある。
 だが、事件当時、筆者が小学生だったせいもあり、いまひとつリアリティをもって伝えることができないもどかしさを禁じえなかった。

 だが、そんな苦労も、もう終わりだ。
 クーデルカによる大量の写真が一挙公表されたおかげで、ついに私たちは、フサが音楽で描いた出来事を、詳細に「見る」ことができるようになったのだ。

 第1楽章「序奏とファンファーレ」は、占領軍の入都を思わせる曲想だが、まさに、軍勢が町中に入ってくる様子が、写真で記録されている。
 第2楽章「アリア」の不気味な静謐さは、占領軍を呆然と見つめる老人たちの姿そのものだ。
クライマックスともいえる、第3楽章の打楽器による異様なまでに長いクレシェンドや、続く第4楽章の激しい曲想も、すべて、クーデルカの写真の中に「光景」として定着されている。

 やがて、会場で写真を見ているうちに、フサの曲が流れていないことが不自然にさえ思えてくる。現代史上の出来事を「音楽」と「写真」が、これほど強烈に、同時に描いていた例が、ほかにあるだろうか。クーデルカの写真しか知らない人は、フサの曲も聴くべきだし、フサの音楽しか知らない人はクーデルカの写真も見るべきだ。


▲「すわりこみの抗議」(公式カタログ/平凡社刊より)

 数多い写真の中で、筆者が特に感動したのは、「すわり込みの抗議」と題された1枚だ。無数の市民が路上に座り込んで、こちらを見つめている。カメラは、この無数の視線のほとんどを、一点に集めている。視線の先には、おそらくクーデルカのカメラがあり、そのずっと後ろには、占領軍の戦車が控えているのだろう。
 この写真からは、曲中、全体モチーフとして使用されている古謡≪フス教徒の讃歌≫が聴こえてくる。15世紀の宗教改革者で、反逆者として処刑されたヤン・フス(1369〜1415)を讃えるコラールだ。スメタナの交響詩≪わが祖国≫にも使用されている「抵抗の旋律」である。

 「音楽に余計な情報は不要」との考え方もあるだろう。音楽は「楽譜に書かれていることがすべて」であり、「演奏者は楽譜を忠実に再現し、聴衆は、そこから感じるものだけを受け取ればいい」、だから「余計な情報はないほうがいい」と。
 確かにそうだと思う。
 だが、クーデルカが写真で伝えたかったことは、きっと、フサが音楽で伝えたかったことと、同じだと思う。
 だったら、「余計な情報」が演奏や鑑賞に深みを与えることも、あるのではないか。
 吹奏楽に携わっている方々に、ぜひ、行っていただきたい写真展である。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)

●写真展「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」は、東京都写真美術館 http://syabi.com/ で、7月18日まで開催中。

●公式カタログ写真集『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968』は、平凡社から定価3800円(税別)で発売中。 

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)

(2011.06.24)


※本稿の著作権は富樫鉄火が、出版権・公衆送信権はバンドパワーが独占しています。両者の許諾なく、出典元表記のない引用や、引用の範囲を超えた複写、コピー&ペーストを固く禁止します。
吹奏楽マガジン バンドパワー
吹奏楽マガジン バンドパワー
吹奏楽マガジン バンドパワー
記事関連CD
※プラハのための音楽1968/カレル・フサ収録CD
 
 
 
 
jasrac番号吹奏楽マガジン バンドパワー