吹奏楽マガジン バンドパワー 吹奏楽マガジン バンドパワー

【コラム】

富樫鉄火のグル新
第70回 公共図書館で本を借りる

ツィッターほど短くもなく、ブログほど個人的でもない、
同じような話題をグルグルめぐるけど、基本は最新の話題。グル新。

(不定期で更新しています。バックナンバーは最下段「目次ページへ」からお入り下さい)

 みなさんのバンドに、他団体のスタンプが押されたコピー楽譜がないだろうか。いまさらいうまでもないが、これは「著作権法違反」である。だが多くは「だってもう絶版なのだから、こうでもしなきゃ入手できないじゃないか」、あるいは開き直って「そりゃあ正式に買えればいいけど、あんな高い楽譜セット、部費で買うのは無理。文句があるなら、もっと安くしてよ」などというはずだ。そして、「楽譜は高い→だからコピーしてしまう」のか、「コピーばかりして売れなくなる→だから楽譜は高くなる」のか、いつも、ニワトリと卵のようなかけ合いになるのだ。
  しかし、とにかく楽譜を著作権者に無断でコピーして演奏会などで使用することは、著作権法第21条(複製権)違反ということになっている。

 だからよく楽譜には、こんな表示がある。

 実はこの問題は楽譜に限ったことではなく、一般書籍やCDなども著作物である以上、共通する問題であって、それゆえ、このような表示を掲載した本やCDも一部にはある。


 ところが、最近、これらとはまったくちがう、それでいて、どこか底通するような、不思議な表示のある本が登場した。

 これは、いま話題の小説家・樋口毅宏氏の新作『雑司ヶ谷R.I.P』(新潮社)の、奥付対抗頁の表示である。要するにこの本に限り、刊行日(2月25日)から半年間は、図書館で貸し出さないでほしい、という著者個人の「お願い」だ。おそらく、日本出版史上、このような文言が載った書籍は、初めてであろう。
  すでに新聞などで報道されているとおり、樋口氏は、昨年一年間の大半を、この作品の執筆にあてた。だが、定価1600円×初版6000部×印税10%なので、初版分の印税収入は96万円。増刷になれば話は別だが、初版のままであれば、この仕事の対価は96万円のみである。これが雑誌連載の単行本化であれば、連載時の原稿料収入があるが、書下ろしなので、それもない。
  そんな折、前著『民宿雪国』(祥伝社)が、ある図書館で「44人」の貸し出し予約が入っていることを知った。このままでは「皆が卵(本)をただでもらううち、鶏(著者)はやせ細り、死んでしまう」と感じ、今回の「お願い」を掲載することにしたという(読売新聞2月25日付夕刊より)。

 公共図書館での貸し出しが、果たしてほんとうに、売り上げ減の要因なのかどうか、これは、なかなか難しい問題である。仮にある本を、図書館で貸し出しストップにし、新刊書店での動きをチェックしたとする。増刷になれば「やはり図書館で借りていた人が買うようになったからだ」という見方もできるが、「いや、図書館で貸そうが貸すまいが、この本は増刷になるだけの実力があるのだ」ともいえるだろう。だが増刷にならなければ「見ろ、何の影響もないじゃないか」といわれるに決まっている。
  かようにこの議論はいつも、冒頭で述べた楽譜コピー問題と同じような、堂々巡りの百家争鳴となるのだ……「図書館で読んでその著者のファンになり、次に買ってくれればそれでいいではないか」「図書館で貸し出されている本が、実売を脅かすほどの量とは思えない」「そもそも図書館で本を借りて読む人に、書店で新刊を買う習慣などない。貸し出しを半年遅らせても、平気で半年待つから、何の意味もない」「図書館のせいにするな。そんなに低収入で苦しいのなら、著者は、出版社に対して印税率や初版部数のアップを要求するほうが先ではないか」「売れないのは、その本の中身の問題。図書館に責任はない」……。私などは、もうこの議論には疲れ果ててしまった。
  ただ、ちょっと、こんなことを考えるのだ。

 私が公共図書館を利用するようになったのは中学生になってからで、もう40年も前の話になってしまうのだが、少なくとも当時、公共図書館で、発売間もない新刊書(特に小説)を借りようとは、夢にも思わなかった。公共図書館は、全集や専門書などの高額本や稀覯本、あるいは絶版本や品切重版未定本など、新刊書店で入手しにくいものを借りに行く場所であって、町の書店に行けば容易に入手できる本を、わざわざ公共図書館で借りようなんて発想は皆無だった。
  私の母は石原慎太郎のファンだったが、1970年に純文学書き下し特別作品『化石の森』(函入り上下二巻)が出たとき、なけなしの小遣いをはたいて、中野・鍋屋横丁の江藤書店で買っていたのを、強烈に覚えている。各巻630円で、二巻計1,260円もする高額商品だった。統計によれば、1970年のコーヒーは1杯平均95円なので、当時の1,260円といえば、現在の感覚だと6,000〜7,000円に相当したことになる。
  当時、我が家は二間しかない小さな借家住まいで、決して裕福な生活ではなかったから、決死の買い物だったはずだ。現に母は、後年、この二巻組を、亡くなるまで部屋の隅に置いていた。本とは、そういうものだったのだ。おそらくいまだったら公共図書館で借りていただろうが、当時、まさか人気作家の話題のベストセラーを「中野区立図書館」で借りて読むなんてやり方があるとは、母はもちろん、この私だって、まったく頭の中になかったのである。
  それがいつのころからか、公共図書館で「新刊書を、予約待ちしてでも借りる」ことが、当たり前になってしまった。なければリクエストして納入させるのだという。話題の本ともなれば数十人待ちは、当たり前なんだとか。それどころか、CDやDVDまでもがリクエストによって納入され、貸し出されているようである。

 おそらく公共図書館で新刊書を借りて読む人は、「どうせ本は、読んだらそれで終わりなのだから、購入するまでもない。もったいないし、置き場所にも困る」との考え方が大半だろう。そして、その背景には「本は高い」との感慨があるにちがいない。
  だが、長年、本を作ってきた立場から、ほんの少し知ってほしい、いや、感じてほしいことがある。
  日本の本は、高くない。あまりに安すぎる。
  日本と同じような作りと内容の本が、欧米では2〜3倍の定価で売られているように感じる。もちろん日本の本は、再販売価格維持制度や返品制度といった特殊な環境下にあるので、一概に比較はできない。だが、それでも、いったいなぜ日本では、本をこんな安い値段で売って、著者も出版社も印刷所も製本所も取次も書店も、少ない利益を、爪に火をともすようにして、分けあわねばならないのだろうかと、しばしば思う(この紙幅では、原価構造を詳細に説明できないのが残念だが)。
  先述の樋口氏は、ほぼ一年間を費やした仕事に対して96万円の保証しか得られなかった。最近、私が関与したある本は、著者が「20年間」かけて調べてきたことの集大成だが、彼が受け取った印税は、100万円に遠く及ばず、樋口氏よりも安い。資料代や取材経費だけで、その数倍を費やしているはずだ(無論、20年の間、その調査だけをやっていたわけではないが)。
  よく新聞広告で「発売たちまち増刷!」とか「〇万部突破!」などの派手なコピーを見るが、あんなのはごく一部なのだ。村上春樹は2人といないのである。ほとんどの本は善戦むなしく、増刷にもならず初版を売り切ることすらできないのだ。

 先日、スターバックスで、隣席の若い女性が、双葉文庫の湊かなえ『告白』を読んでいた。「〇〇図書館」のラベルが貼ってある。彼女が飲んでいたのはおそらくキャラメル・フラペチーノのグランデで、「510円」のはずである。これは高くも何ともないのに、「650円」の文庫本を書店で買おうとは思ってもらえなかったらしい。
  先月のシアター・コクーン、東山紀之主演、三島由紀夫作の舞台『サド侯爵夫人』(演出・蜷川幸雄)は全席が発売と同時に完売する人気舞台であった(S席「9,000円」である!)。終演後、ロビーで「難しい話だったわねえ。今度、図書館で原作借りて読んでみようかしら」と話しているのが聞こえる。新潮文庫『サド侯爵夫人/わが友ヒットラー』は「400円」である。9,000円のチケット代は惜しくなくても(しかも発売日に入手する余裕とエネルギー!)、400円の文庫を書店で購入する気には、なれないのだろうか(もっとも彼女は、この戯曲が、400円でどこの書店にも並んでいる文庫だと知らなかったのかもしれない)。
  こういう光景に接するたびに、図書館のあり方は、ずいぶん、昔とはちがってしまったのだなあと、私のようなロートルは思う。もちろん、公共図書館での新刊書貸し出しは、違法ではないのだから、やめてくれとは、いえない。楽譜コピーと同列に論じることもできない。ただ、吹奏楽に携わっている方々に、楽譜と同じ著作物である本に関しても、ほんの少し何かを感じていただければと思う、ただそれだけだ。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)

(2011.03.05)


※本稿の著作権は富樫鉄火が、出版権・公衆送信権はバンドパワーが独占しています。両者の許諾なく、出典元表記のない引用や、引用の範囲を超えた複写、コピー&ペーストを固く禁止します。
吹奏楽マガジン バンドパワー
吹奏楽マガジン バンドパワー
吹奏楽マガジン バンドパワー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
jasrac番号吹奏楽マガジン バンドパワー