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【コラム】

富樫鉄火のグル新
第69回 リヒャルト・シュトラウスとツヴァイク

ツィッターほど短くもなく、ブログほど個人的でもない、
同じような話題をグルグルめぐるけど、基本は最新の話題。グル新。

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 吹奏楽コンクール全国大会にリヒャルト・シュトラウスが初登場したのは、記録によると、1974年、青森県八戸市立湊中学による≪ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら≫ということになっている。結果は銀賞だったようだ。
  だが何といっても、日本の吹奏楽界にリヒャルト・シュトラウスが定着するきっかけとなったのは、1979年の全国大会で千葉県立銚子商業高校(小澤俊朗・指揮)が演奏した、楽劇≪サロメ≫〜<七つのヴェールの踊り>であった。その金賞名演は、長いこと語り草であった。
  以後、≪アルプス交響曲≫≪ドン・ファン≫≪ばらの騎士≫……と多くの作品が演奏されるようになり、リヒャルト・シュトラウスは吹奏楽に欠かせない作曲家となる。東洋の果てで中高生たちが当たり前のように自作を演奏しているのを知ったら、天上のシュトラウス先生も驚くことだろう。ましてや、自分の仕事ぶりが芝居になって、同じ東洋の果てで上演されるとも……。


 この2月19〜27日、東京・紀伊國屋ホールで、ロナルド・ハーウッドの戯曲『コラボレーション』が、加藤健一事務所によって日本初演された(演出・鵜山仁)。「加藤健一事務所」とは、その名のとおり、俳優・加藤健一が主宰する個人事務所である。かつて、つかこうへい作品に多く出演し、近年は海外新作戯曲の邦訳初演に力を入れているベテラン俳優だ。
 ロナルド・ハーウッド(1934〜)はシェイクスピア・カンパニー出身の大作家で、劇団の裏側を描く『ドレッサー』や、フルトヴェングラーのナチスとの確執を描く『テーキング・サイズ』など、舞台芸術家たちを題材にした戯曲が多い。映画の脚本も手がけており、映画『戦場のピアニスト』(2002年)ではアカデミー最優秀脚色賞を受賞している。
 そのハーウッドの2008年イギリス初演の新作が、『コラボレーション』だ。今回は、戦う2人の芸術家が描かれた。作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)と、作家シュテファン・ツヴァイク(1881〜1942)である。

 1931年のドイツ。すでに大作曲家となっていたリヒャルト・シュトラウス先生は、詩人・劇作家のホフマンスタールを失い、ノイローゼ状態だった。≪エレクトラ≫≪ばらの騎士≫≪ナクソス島のアリアドネ≫≪影のない女≫≪町人貴族≫≪エジプトのヘレナ≫……とコンビを組んできたホフマンスタールは、≪アラベラ≫制作途中の1929年に亡くなった。「もうダメだ。彼がいなければ私はオペラは書けない」……意気消沈するシュトラウスだったが、そこで出会ったのが、ユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイクであった。たちまち意気投合し、創作意欲も復活。2人は新作≪無口な女≫に取り組むことになる。
  ところが時代は第2次世界大戦真っ盛り。ドイツはナチスの天下である。ユダヤ人のツヴァイクと組むことは、国家への背信を意味した。ナチスは様々な手口で妨害してくるが、芸術至上主義のシュトラウスはびくともせず、何とかしてツヴァイクのことを守ろうとする。
結局≪無口な女≫は、初演はされるが、ツヴァイクの名は抹殺された。これに怒ったシュトラウスはポスター類に無理やり名前を載せさせる。だがそのことに不快感を示したヒトラーは、予定していた初演観劇を中止してしまうのだ。
 この騒動に、神経過敏なツヴァイクは、自分のせいで、偉大なシュトラウス先生の業績までが抹殺されかねないと思うようになる。
「先生は、ご自分が歴史に残る重要人物だということに、全然気づいていらっしゃらない!先生のすることは全部、いずれ大きな意味を持つのですよ!」
やがてツヴァイクは静かに身を引き、イギリス〜アメリカを経てブラジルへ亡命。服毒自殺をはかる。
 自殺の原因は、何もシュトラウスにまつわることがすべてではないのだが、偉大な芸術が生み出され、守られるためには、それなりの犠牲が必要だとも読み取れる。ラストは、戦後になってもそのことで悩み苦しむシュトラウスの独白で幕となる。加藤健一(シュトラウス)、福井貴一(ツヴァイク)、塩田朋子(シュトラウスの妻)らが全身全霊をかけ、涙を流しながら吐露するセリフの数々は強烈な感動を誘う。客席にも鼻をすする音が響いていた。

 この筋立てで思い出されるのは、ピーター・シェーファーの戯曲『アマデウス』(1979年、イギリス初演)である。あれも、サリエリとモーツァルトという2人の芸術家の物語で、その関係が「神に見捨てられし凡人」と「神に愛でられし天才」の対立構図となっていた。そして観ているうちに、その構図は人類共通の宿命であり、「不条理」「神の不在」に通じる大問題として浮かび上がってくる仕組みであった。なぜ地球上には「貧」と「富」があるのか。なぜ「美」と「醜」があるのか。これは時代も国境も超えた永遠の疑問、苦悩ともいえた。それゆえ、ヨーロッパ人が観ればユダヤ人差別を背後に見出し、日本人が観れば、場合によっては「なぜ神は、私たちを、昭和20年8月に広島や長崎にいた人と、いなかった人に分けたのか」といったような命題まで惹起するのである。狭い舞台の上で、たった2人で交わされる会話で、そこまでを描ききる……だからこそ『アマデウス』は世界中で大ヒットし、映画になり、いまでも世界のどこかで上演されている「永遠の名舞台」となったのだ(ちなみに『アマデウス』を最初に日本に紹介し、翻訳したのは、文学座の江守徹さんである)。
  だが『コラボレーション』の場合は、日本人には直接なじみの薄いユダヤ人差別がモチーフであり、2人の関係も単純な対立構図ではないので、『アマデウス』ほどの普遍性を見出すのは少々困難かもしれない。自殺直前にツヴァイクが読み上げる遺書や、ラストの非ナチ化裁判におけるシュトラウスの陳述なども、ヨーロッパ文明の中にいないと真意を理解することは難しいようにも思える。
  それでも、なるほど芸術家にとって「コラボレーション」がいかに大切なものであるかが真に迫ってくる芝居である。そして、もしツヴァイクが(ユダヤ人としての苦労はあったにせよ)ヨーロッパを捨てて自殺するようなことがなければ、シュトラウス以外にも、音楽界との新しいコラボレーションが生れたのではないか。そんなことも感じさせる芝居であった。

 ツヴァイクは、漫画『ベルサイユのばら』の元ネタといわれている『マリー・アントワネット』や、稀代の怪人物『ジョゼフ・フーシェ』(ともに岩波文庫)などの人物評伝で知られている。ところが、俳優の児玉清さんは、学生時代(学習院大学文学部ドイツ文学科)、ツヴァイクを卒論のテーマにしようとしたところ、担当教官から言外に「なぜあんな通俗作家をテーマにするのか」と指摘されたことがあったそうだ。いまはどうか知らないが、少なくともある時期は、日本でもそんな扱いだったらしい。確かに彼の作品には「面白すぎる」部分があり、人物伝などまるで「プロジェクトX」のような迫力なのだ。だから高尚な評伝文学を期待する人たちには、受け入れにくかったかもしれない。
  ツヴァイクは、さすがにリヒャルト・シュトラウスと組むだけあって、音楽に愛情と造詣のある作家だった。名作『人類の星の時間』(みすず書房)は、世界史上の重要な瞬間12場面を見事に描いた短編ノンフィクション・ノヴェル集だが、そのうちの2編が、音楽ものである。『ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活〜1741年8月21日』と、『一と晩だけの天才〜ラ・マルセイエーズの作曲 1792年4月25日』である。題名の日付がどういう日であったかは、ぜひ当該書をお読みいただきたい。
  ほかに彼が交流をもった音楽家には、バルトーク、ベルクなどがいたほか、ザルツブルク音楽祭ではトスカニーニやワルターとも親しく接している。

 ロマン・ロランは「ツヴァイクは友情の巨匠である」といったらしい。それほど人間関係を大事にする誠実な人間だったのだろう。そのことは『コラボレーション』でも十分伝わってきた。もしかしたら、日本風の義理人情を重んじる性格だったかもしれない。リヒャルト・シュトラウスが彼を守りぬこうとしたのも無理はない。
  また今年も、コンクール会場でリヒャルト・シュトラウスをいくつも聴くだろう。あのねっとりとした重厚な音楽が、いまでもこうやって、ヨーロッパどころか東洋の島国でこぞって演奏される(しかも中高生たちに)その陰には、平和を愛し、友情に厚い、真面目な一人のユダヤ人作家がいたのだ。しかしその彼は「ヨーロッパは自滅した」と綴って自殺した。ユダヤ人差別は、遠いブラジルに亡命した男までをも苦しめ、死に追いやっていたのである。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)

(2011.02.26)


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