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【コラム】

富樫鉄火のグル新
第63回 『秘密諜報員ベートーヴェン』

ツィッターほど短くもなく、ブログほど個人的でもない、
同じような話題をグルグルめぐるけど、基本は最新の話題。グル新。

(週2〜3回更新しています。バックナンバーは最下段「目次ページへ」からお入り下さい)

 モーツァルトの死因と並んで、音楽史上のミステリといわれているのが、ベートーヴェンの「不滅の恋人への手紙」問題である。

 1827年3月26日、ベートーヴェンは死んだ。その後、遺品の中から、彼自身の筆跡による熱烈なラヴレターが発見された。文面からすると、人妻との不倫恋愛のようである。だが、この手紙には「謎」があまりに多かった。

1)「わが不滅の恋人よ」とあるだけで、相手の名がどこにも書かれていない。なぜ?
2)鉛筆書きで、あまりに文面も筆跡も乱雑。読むに堪えない汚さ。こんな恋文を女性に出すか?
3)そもそも、他人宛ての手紙が、なぜ、出したはずの当人の遺品の中にあったのか?

 かように不思議な手紙なのだが、もし相手がわかれば、女性に不器用だったといわれるベートーヴェンの私生活に光が射すばかりか、同じ時期に書かれた作品に新たな解釈が加えられるかもしれない。

 以後、180年余にわたって「不滅の恋人」とは誰なのか、大論争がつづいてきた。その間、候補にあがった女性は10数名。1994年には『不滅の恋/ベートーヴェン』(ゲイリー・オールドマン主演、バーナード・ローズ監督)なんて映画までできた。

 結局、相手はベートーヴェンの支援者で実業家フランツ・ブレンターノの女房、アントーニエ「らしい」ということで、ほぼ決着がついている。ただし、あくまで「らしい」である。ところが、ここに、新たな説を唱える本が登場した。古山和男『秘密諜報員ベートーヴェン』(新潮新書)である。著者は古楽研究家でリコーダー奏者、国立音楽大学講師。

 本書によると、この手紙は、ある政治的危機を、自分の支援者であるブレンターノ夫妻に伝えるため、恋文のように見せかけた「暗号メッセージ」だというのである。

 また「トンデモ説」か、と誰もが思うだろう。ところが本書は、まるでミステリ小説のような手法で、この「トンデモ説」を、いつしか、「ナルホド説」に変えていくのである。

 ネタバレ直前まで説明すると、この手紙が書かれたのは「1812年」だった。そう、チャイコフスキーの大序曲≪1812年≫で描かれた、ナポレオンのロシア侵攻の年である(そもそも、なぜナポレオンがロシアに攻め入ったか、みなさん、ご存知でした? 本書では、実にていねいに、その理由が説明されています)。

 当時、ベートーヴェンたち改革派や新興実業家の支援者たちは、このナポレオンのロシア侵攻に期待を寄せ、多額の「投資」をしていた。だから、もしナポレオンがロシアに負ければ、一夜にして倒産の可能性があった。貴族や実業家から年金をもらって生活しているベートーヴェンにとっても、それは「失業」を意味する。だから、なんとしても、ナポレオンには、ロシアで勝利をおさめてもらわなければならなかった。

 だが実際は……。ご存知のとおり、ナポレオン軍は、大敗。ベートーヴェンたちにも危機のしわ寄せが……。「手紙」は、これら、政治的危機にまつわる、ある出来事を、支援者であるブレンターノに伝えることが目的だった。しかし、当時は手紙の検閲が厳しい。そこで、誰に見られても「へたくそな恋文」としか思われないよう、ブレンターノの女房にあてた、ラブレターのようなつくりにした……というのだが……。

 この説がホントかどうか、それはわからない。もしかしたら、おおいなる「トンデモ説」のままかもしれない。だが、これだけはいえる。ベートーヴェンとは、人類の平和とか、幸福とか、男女平等とかを、本気で願い続けている男だった。たまたま職業がピアニスト兼作曲家だったから、音楽でそれを表現しただけで、時と場合がちがっていれば、まちがいなく、革命テロリストになっていただろう。それほど、過激な男だったのである。

 バッハも素晴らしい。モーツァルトにも心洗われる。マーラーにも感動する。だが、
ベートーヴェンだけは、ほかの誰とも、あまりにちがいすぎる音楽のようには思えないだろうか。もう聴き飽きたはずの≪第九≫だって、やっぱり、何度聴いてもスゴイ。あんな音楽、あとにも先にも、誰も書いていない。弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタ、荘厳ミサ曲、≪フィデリオ≫、どれも、ほかの作曲家の同種曲と比べて、突出しすぎている。

 ベートーヴェンは、単なる「天才だった」では片づけられない、空前絶後の思想の持ち主だった、そのことが、「不滅の恋人への手紙」から、ジワジワと伝わってくるのである。本書の真の目的は、宛名探しではなく、そんなベートーヴェンの姿を伝えることにあったのではないか。

 実は、私自身、この本の制作に少々かかわったので、手前味噌になってしまったのだが、ぜひ若い音楽ファンの方々に読んでいただきたく、厚顔を顧みず、紹介させていただいた。

【情報】本文中の登場曲をおさめた配信限定アルバム「『秘密諜報員ベートーヴェン』音楽ガイド」が、世界最大のクラシック・レーベルNaxosからiTunes向けに配信発売されています。iTunes Storeにてすべて冒頭30秒を無料試聴できます。詳細は、iTunes Store検索で「秘密諜報員ベートーヴェン音楽ガイド」へ。 また、ナクソス公式ブログhttp://naxosjapan.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-9ff7.htmlでは、著者インタビューもご覧いただけます。

 

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)

(2010.06.23)


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