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【コラム】

富樫鉄火のグル新
第101回 追悼/最期まで現役だった、河辺浩市さん

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 吹奏楽コンクール課題曲の歴史上、「ポップス」という名の基礎レールを敷いたのは、1972年の《シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」》(岩井直溥作曲)だった。ポップスの香りがかすかに漂うマーチだった。

 このレールの上を最初に堂々と走ったポップス課題曲第1号が、1974年《高度な技術への指標》(河辺公一=現浩市作曲)である。課題曲史上、初めてドラムセットが導入された。やがてこのレールの上を《ポップス描写曲「メイン・ストリートで」》(岩井直溥作曲)が疾走し、《ディスコ・キッド》(東海林修作曲)が爆走する。河辺さんは、課題曲の路線を大きく変えたのだ。不思議なタイトルは「芥川也寸志さんが勝手に付けたんだよ」と笑っていた。

 《高度な技術への指標》を聴いた時の衝撃は、いまでも忘れられない。わたしは高校生だった。予選会場で「こんな難曲、中高生には無理だろ」と呆然となった(この年は部門に関係なく選択できた)。実際、どの団体の演奏もヨレヨレだった。

 河辺さんは、ジャズ・トロンボーン奏者であり、映画音楽の作曲・演奏家でもあった。
 昭和24年に東京音楽学校(現・東京藝術大学)を卒業後、名門ブルーコーツなどでジャズ・トロンボーン奏者として活躍したが、同時に、映画音楽の世界で引っ張りだことなる。戦後から昭和50年前後までの日本映画で、トロンボーンが鳴っていたら、その多くは河辺さんだと思って間違いない。『七人の侍』『豚と軍艦』『野火』『幕末太陽伝』『狂った果実』『男はつらいよ』…などで聴こえるトロンボーンは、すべて、河辺さんの音である。『嵐を呼ぶ男』(1966年、舛田利雄監督、伊部晴美音楽)では、有名な石原裕次郎のドラム合戦の場面に出演している。そればかりか、『お早よう』(1959年、小津安二郎監督、黛敏郎音楽)の子供の「オナラ」も、『河内カルメン』(1966年、鈴木清順監督、小杉太一郎音楽)の「ほら貝」も、実は河辺さんがトロンボーンで作り上げた音だった。藝大以来の盟友、黛敏郎・小杉太一郎の映画音楽には欠かせない存在だった。

 映画音楽作曲家としても、生涯に40本以上を手がけた。『誇り高き挑戦』(1962年、深作欣ニ監督)の強烈なモダン・ジャズ、『嵐を呼ぶ楽団』(1960年、井上梅次監督)の楽しさなど、忘れられない。

 87歳の今年になっても、ジャズ・ライブを欠かさなかった。亡くなる10日前もライブに出演し、その後もトークショーや、アマチュア・ジャズ・バンドの指導をこなして9月2日に帰って寝たら、そのまま息を引き取られていたという。大往生だった。

 この7日の葬儀では、棺の中の河辺さんに、仲間が「河辺さん、寝てる場合じゃないよ、起きて演奏しなきゃ」と声をかけていた。亡くなる直前まで、現役のジャズ・トロンボーン奏者だった。 

※河辺浩市(旧名・公一)さんは、9月3日、87歳で亡くなられました。私と、バンドパワーの鎌田小太郎編集長は、近年、何回かお会いする機会に恵まれ、貴重なお話をうかがうことができました。ご冥福をお祈りいたします。なお、FMカオン「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」では、10月に、河辺さんの追悼番組を放送する予定です。


富樫鉄火(音楽ライター)
FMカオン、毎週(土)23時〜「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティもやってます。9月は「吹奏楽で聴くシェイクスピア」を放送するほか、5月に放送した「緊急特別番組:追悼/岩井直溥、90年の軌跡」の再放送があります。パソコンやスマホでも聴けます。


(2014.09.08)


※本稿の著作権は富樫鉄火が、出版権・公衆送信権はバンドパワーが独占しています。両者の許諾なく、出典元表記のない引用や、引用の範囲を超えた複写、コピー&ペーストを固く禁止します。
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