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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第27回 回想:ステージ・ショーの日々

 

 実は、先日、この自伝の参考資料が何かないかと思って荷物をひっくり返していたら、昭和20年代後半〜30年代にかけて、主にシティ・スリッカーズをやっていたころのプログラムが、ごっそり出てきたんです。この連載でいうと、第14〜15回あたりでの話なんだけど、あらためて見てみると、それなりに貴重なものだし、僕自身、すっかり忘れていたことを、再び思い出させられました。そこで、話の順序としては逆になっちゃうんだけど、今回は、このころのことを、もう一度、話しておこうと思います。


■ジャズ・コンサート

 このころのステージの仕事は、大きく分けて2タイプあった。
 一つはいわゆる「ジャズ・コンサート」で、これはいま風にいえば「ガラ・コンサート」。つまり、いろんなバンドが入れ替わり立ち代り出演して、さまざまなタイプの音楽を演奏する。ほとんど1日2回公演でした。

 もう一つが「ミュージカル・ショー」。いわばお芝居仕立てですね。
 で、まずジャズ・コンサートですが、東京ヴィデオホールでよくありましたね。いま、有楽町に蚕糸会館というオフィスビルがありますが、ここにあったホールです。「ヴィデオ・ジャズ・リサイタル」と称する連続シリーズでした。

 たとえば、昭和29年11月6日は、午後2時と6時の2回公演で「第16回ヴィデオ・ジャズ・リサイタル」というのをやっている。出演バンドは6つ。僕がいた「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」のほかは、「浜口庫之助とアフロ・キューバーノ」もいる。浜口庫之助(1917〜90)は、ギタリストで歌手で作曲家でバンドリーダー。作曲家としては≪黄色いさくらんぼ≫≪バラがさいた≫(作詞も)、あとのほうでは島倉千代子の≪人生いろいろ≫も有名だね。一時期ハワイアンをやっていたんだけど、このころはキューバ音楽をやっていた。とにかくなんでもできちゃうひとなんだ。

 出演歌手はおなじみ雪村いずみ、柳澤真一もいた(女優・池内淳子の前のダンナさん)。司会はロイ・ジェームス。日本生まれのロシア人で、司会やDJとして活躍したひとです。ラジオで「ロイ・ジェームスの意地悪ジョッキー」という辛口DJ番組を、ずいぶん長くやっていた。世評漫談で、必ず「何か忘れちゃいませんかってんだ!」と江戸っ子みたいな啖呵を切るのがはやったもんです。

 アメリカのジャズ・ドラマー、J・C・ハードもしばらく日本で活動していて、このときも一緒のステージになりました。このとき彼が日本で組んでいたバンドには、渡辺貞夫や松本英彦(サクソフォン)、秋吉敏子(ピアノ)もいました。いま考えると贅沢な顔ぶれだよねえ。そうそう、河辺公一も、ここでトロンボーンを吹いていましたよ。コンクール課題曲≪高度な技術への指標≫の作曲者です。あと、アメリカや日本で活躍していた韓国のサクソフォン奏者、吉屋潤もいた。彼は後年、作曲家としても大成功して、≪離別≫(イビョル)は、いろんな歌手が歌って日韓両国でヒットしました。当時、吉屋潤は「吉屋潤とクルーキャッツ」という自分のコンボも組んでいましたね。

 日比谷公会堂でも、よくやりました。
 同じ昭和29年の6月に日比谷公会堂で開催されたコンサートでは、「渡辺晋とシックス・ジョーズ」が一緒でした。渡辺晋は、早稲田大学出身のベーシストで、メンバーには松本英彦(サクソフォン)、中村八大(ピアノ)などがいた。当時としては先進のモダンジャズ、特にクールジャズと呼ばれる分野を手がけていて新鮮でした。なお、いうまでもないけれど、この渡辺晋がのちにつくった芸能プロダクションが「渡辺プロダクション」、通称「ナベプロ」です。

 そのほか、よく一緒のステージになったのが、ドラムスの「ジョージ川口とビッグフォア」、クラリネットの「鈴木章治とリズムエース」、「原信夫とシャープス・アンド・フラッツ」、「チャーリー石黒と東京パンチョス」、「バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ」などなど。戦後、ジャズがいちばん盛んで面白かった時代ですね。

 あと、当時のプログラムを見ていると、ジャズ喫茶の広告が多いことに驚くねえ。ジャズのレコードをじっくり聴かせてくれる喫茶店だけど、たとえば、武蔵小山「チェリオ」、高円寺「かぶーす」、目黒「スウィング」、渋谷「トップ」、銀座「リオ」「テネシー」(ここはライヴ)「オロ」、上野「イトウ珈琲店」、中野「バードランド」……とにかくどこにでもあって、いかに当時、ジャズが、一般市民に普通に聴かれていたかがよくわかります。

▲かなり色あせてしまったが、
当時のプログラムで紹介されていたシティ・スリッカーズ。
とうてい通常のジャズ・バンドとは思えない。

■「ミュージカル・ショー」

 われわれ「シティ・スリッカーズ」が演奏していたのは、もちろん「冗談音楽」。プログラムを見ると、≪フランキーのドラ息子≫だの、≪森の鍛冶屋≫だの、曲名からしてまともじゃないのがゾロゾロ並んでいる。

 あるコンサートのプログラムでは、フランキー堺のことを、こう紹介しています。

  「フランキー堺は、今度新しく、シティ・スリッカーズを編成し、そのドラムと歌を聞かせますが、彼はコミックソングを得意とし、一つのパーソナリティを持っております。声量は、あまりあるほうではありませんが、その表情たっぷりな手まねと歌いっぷりは、一身に人気を集めています。また、彼の身体つきには何か独特の、愛情性を感ずるものもあります。どんなものが飛び出るかはわかりませんが、ジャスファンは誰でも本当に充実したフランキー節を聞きたいと思っているでしょう」

 もちろんシティ・スリッカーズだけの単独ショーも、全国各地でやりました。「爆笑おジャズ・ショー」と題してね。「おジャズ」ですよ。バカバカしいねえ。よく歌手のペギー葉山や丹下キヨ子(のちに女優)と一緒にまわりました。

 当時、僕がアレンジャーとしてかかわったもう一つの大きなジャンルが「ミュージカル・ショー」。いわゆる、歌と芝居のヴァラエティ・ショーです。
 ずいぶん地方もまわったけど、東京では日劇(日本劇場。いまの有楽町マリオンのところにあった大劇場)が多かった。

 いま手もとにプログラムがあるのは、昭和31年の日劇公演『オンボロ人生』。
 当時、「サンデー毎日」に連載されていた加藤芳郎の漫画が原作の喜劇です。この音楽と指揮を僕が担当し、シティ・スリッカーズがナマ演奏しました。

 出演は、小泉博、ペギー葉山、柳澤真一、由利徹、旭輝子(神田正輝の母。つまり、松田聖子の前の義母)。貧乏人ばかり住んでいる町でのドタバタ・コメディです。
 同年に大阪で『オンボロ交響楽』っていうミュージカル・ショーもやっているけど、これ、台本作者の名前も何もないから、きっと日劇でやった『オンボロ人生』のパクリだと思いますよ。

  昭和32年には、有楽町の読売ホールで『グラスショー 眼鏡は歌う』なる舞台をやっている。スポンサーは「そごう眼鏡」。残っている台本を見ると、どうも、眼鏡のファッションショーが前半で、後半が歌。要するに眼鏡には、もっとステキなものがありますよという宣伝なんだけど、いまから思うと、よくこんな内容でショーができたもんだよねえ。しかも出演は、雪村いずみ、中原美紗緒、沢たまきという豪華陣です。

 そのころ、日劇では『アベコビ・コンビ 印度珍道中』なんてのもやっている。台本は、ジャズ評論家・司会として有名だった三木鮎郎。

 これはスゴイ話ですよ。台本の冒頭に、こうある。
 「原爆、水爆時代の現在の世界に、一番貴重なものはウラニュームである。ウラニューム1瓦あれば数万ドルの価値があるというので、世はゴールドラッシュならぬウラニュームラッシュの時代である」
 そこで、なぜかインドでウラニュームが大量にとれるというので、デコボコ・コンビ(ジャズ・ピアニストだった市村俊幸とフランキー堺)の2人が、インドへやってくる。そこへ暗殺団のオヤとマアがあらわれて、とらえられ……。

 これを、ミュージカル仕立てでやるんですからね。しかも当時の日劇は、基本が2週間興行。相変わらず作編曲の余裕なんてないから、既成曲の≪結婚行進曲≫だの≪タブー≫だのを適当に合間に入れながら、大急ぎで譜面をつくって、チョコチョコっと練習してハイ本番。それでもみんな才能あるひとたちばかりだから、音楽も芝居もアドリブ精神満点で、それがかえって楽しく、なかなか面白い舞台になったもんです。

▲当時のプログラムの数々。
これほど、ジャズは一般市民の間で当たり前のように愛好されていた。

■映画『猿飛佐助』
▲映画『猿飛佐助』ロケにて(ネクタイ姿が岩井氏)


 昭和30年には、フランキー以下、シティ・スリッカーズの全員で映画にも出演しました。もちろん音楽も担当。日活のミュージカル映画『猿飛佐助』です。これ、いまの資料を見ると音楽担当が僕の名前じゃないんだけど、これ、どういうことなのかなあ、ほとんど僕が書いたんだけど(笑)。まあ、当時、僕はシティ・スリッカーズのメンバーの一員だったから、特に独立して名前を出されなかったんだろうね。

 これは、実に不思議な時代劇ミュージカルでね。冒頭が≪忍術マンボ≫なる曲で始まって、途中で、フランキーの猿飛佐助がドラムを叩いたりする。監督はベテランの井上梅次です。

 フランキーがドラマーを離れてタレントとして忙しくなり始めるのは、このころからですね。次第にフランキーがいなくなり、事実上、僕がリーダーのようになって、やがて植木等、谷啓、桜井センリといった主要メンバーがハナ肇に引き抜かれ、クレージーキャッツに移籍してしまい、我々は自然消滅するわけです。

 しかし、この当時のプログラムを見ていると、各バンドのメンバーと担当楽器が細かく載っている中、「アレンジャー」なる肩書のメンバーが載っているのは、シティ・スリッカーズだけですよ。もちろん僕のことですが、それだけ、フランキーがアレンジを重要視してくれていたわけです。当時、音楽関係者はみんな知っていたけれど、一般人で「アレンジャー」の役割をちゃんと知っているひとは、ほとんどいなかった。考えてみれば、フランキーは先駆者です。僕も、ここで鍛えられたからこそ、のちに吹奏楽の世界に入っても、膨大な量のアレンジを続々こなせるだけの能力が身についたわけです。


【つづく】


 

【お知らせ】
※第28回は、9月15日(火)正午〜、掲載予定。
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)

(BP編集部/富樫鉄火)

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   Syncopated March "Asuni-Mukatte"

2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
   On Main Street

4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

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