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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第23回 コンクール課題曲と審査員の日々(2)

 僕は全国各地でコンクール審査員をやってきたけど、あの仕事って、そうとうシンドイもんなんですよ。


■トイレに行く暇もない

 ある地方の県大会(中学の部)の審査員に呼ばれたときのことですが、なんと、朝の8時半から始まって、終わったのが夜の9時半だったことがある。あれはきつかったねえ。

 その間、まともな休憩もなし。

 昼食時間になって、やっと控室に戻れるかと思ったら、目の前に弁当が運ばれてきて、審査員席で、そのまま急いで食べてくれという。トイレにも行けない。どうにも我慢ができなくなったときは、舞台上が入れ替えのとき、近くにいる係員に頼み込んで、走ってトイレに行く。つられて他の審査員も行くもんだから、数人の審査員がいっせいに立ち上がって、走って出てゆく。いったい何事か、といった視線でまわりの聴衆たちは見ている。全員が戻ってくるまで、舞台上の次の団体はじっと座って待ってるしかない。で、審査員が全員戻ったら、係員がサッと手を上げて舞台上に合図を送り、演奏開始。

 もう、最後のほうはヘトヘトですよ。
 確か、あの県は、その後、県大会以前に「地区大会」を開くようになったんじゃないかなあ。

 1970年代初頭は、それほど、参加団体がどんどん増え始めた時期だったんですね。どこの地域も多かれ少なかれ、そんな感じでした。

 だけど審査員だって人間ですからね。朝から晩まで、まともな休みもなしで神経を集中させながら聴くなんて、とうてい無理。つい、うつらうつらしてしまう審査員が出るのも、仕方ないですよ。そういう人は、演奏が終わると「ハッ」と目が覚めて、横にいた僕に小声で「すいません……いまの演奏、どうでしたか……」と恥ずかしそうに聞いてくる。

 そうかと思えば、きつい仕事の割には、審査員をやりたくて仕方ない演奏家や指導者も、けっこう多くてねえ。やはり、名前が売れるからかなあ。毎年のように、僕のところへ、審査員に推薦してほしいようなことを匂わせてくる人もいたし、県大会や支部大会が近くなってくると、その地の連盟役員に、いかにもその時期、身体が空いているようなことを伝えている人もいた。

 舞台上では、子供たちが一生懸命演奏しているのに、どうも舞台裏は、あまり教育的とはいえない面も、なきにしもあらずでしたね。僕はすでに、ポップス・クリニックやバンド指導で、全国各地のアマチュア・バンドと接触していたから、吹奏楽の現場の空気を肌身で感じていました。とにかくみんな、必死に頑張ってるんです。審査員は、それを分かってあげなくちゃ。こっちは朝から晩まで、何十団体も聴いているから疲れるのは当然だけど、出場団体は、たった12分のために、1年間かけて練習して、本番に挑んでくるわけです。それを汲んであげて、聴くほうだって必死にならなくちゃだめですよ。


■2度目の課題曲≪未来への展開≫

 1975年に、僕は2度目の課題曲を委嘱されます。ポップス・オーヴァチュア≪未来への展開≫です。これも中学の部用。

 この年の課題曲は、また、中学の部用と、他部門用の2タイプに戻った。ただし、以前よりも選択の幅を広くして、それぞれ2曲ずつ、シンフォニック系とポップス系を用意した。中学の部用が、僕の≪未来への展開≫と、公募入選作の≪吹奏楽のための小前奏曲≫(郡司孝)。公募曲がシンフォニック系だったので、別タイプの曲もあったほうがいいだろうとの判断で、僕にも声がかかったんじゃなかったかな。

 ちなみに他部門用の2曲は、≪吹奏楽のための練習曲≫(小林徹)と、≪吹奏楽のためのシンフォニック・ポップスへの指標≫(河辺浩市)。これはどちらも公募曲だったと思います。
 この「河辺浩市」は、前回お話した、前年の課題曲≪高度な技術への指標≫を書いた「河辺公一」と同じ人。筆名を変えたようですね。

 課題曲の曲名に「ポップス」と付いたのは、この年が最初です。楽器編成も、前の≪明日に向かって≫のときは「弦バス」だったんですが、このころは規定で認可されていたので、堂々と「エレクトリック・ベース」を入れました(いまは禁止されているようですね)。もちろんドラムセットも入れました。
 そして、前作よりも、はっきりと"シンフォニック・ポップス"を目指しました。今回も半音階スケールを入れたし、ラストでは金管で「鐘の音」を模倣する部分も入れた。だから、中学生にはちょっと難しいかな、と思ったんだけど、けっこう演奏されました。

 いま資料を見ると、この年の中学の部・全国大会は19団体に増えているね。そのうち12団体が≪未来への展開≫を演奏してくれています。もうこの1975年は、「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」もスタート以来4年目で、そろそろ吹奏楽ポップスなるものも定着し始めた時期です。それだけに、こういう楽しい曲が歓迎されるようになってきたんですね。

 しかし、この年の中学の部は、大激戦だったんですよ。

 というのも、前回も話した、いくつかの強豪中学のうち、東京・豊島区立第十中学と、兵庫・西宮市立今津中学の2団体が、招待演奏だったんです。

 当時は、5年連続で全国大会に出て金賞を獲得すると、6年目はコンクールに参加できないかわりに、全国大会の場で、最後に「特別招待演奏」といって、ある程度の時間で好きな曲を演奏してよかったんです。いわば最高栄誉のお披露目の場ですね。いまは3年連続で全国大会に出たら(つまり、支部代表になったら)、賞の内容に関係なく4年目は参加を休まされるけれど、当時は「5出5金」で、6年目が休みだったんです。これ、実にたいへんなことですよ。

 ところが1975年は、豊島十中と今津中の2団体が「5出5金」達成後の招待演奏で休みだった。これは、他団体にとっては、上位入賞を狙える絶好のチャンスです。
 しかし結局、全19団体中、金賞を獲得したのは、やはりおなじみの強豪中学たちで、秋田市立山王中学(木内博指揮)、島根・出雲市立第一中学(渡部修明指揮)、徳島市立富田中学(糸谷安雄指揮)の3校でした。このうち、山王中と富田中が、僕の曲を演奏してくれました。

 あの「招待演奏」って、なかなか楽しいものでしたよ。審査とは関係ないし、時間もある程度自由だったから、みんな工夫して、楽しいステージを繰り広げたもんです。

 確か、駒澤大学が2回「5出5金」を達成して招待演奏のステージをやっているけれど、2回とも、演奏曲に僕のアレンジものが含まれています。1976年のときは≪マック・ザ・ナイフ≫。クルト・ヴァイルの歌芝居≪三文オペラ≫の中の曲です。1982年のときはラヴェルの≪ボレロ≫(ポップス版)。この≪ボレロ≫は、なかなか盛り上がりました。全編サンバを基調にして、次第に盛り上がっていくアレンジです。あのあと、日本大学も定期演奏会で取り上げてくれて、大喝采を浴びていたのを覚えています。

 いまはこの「招待演奏」はやっていないけど、ぜひ、復活してほしいですね。しかし、いまの中学・高校では29団体も出るようになって、前半・後半の2部制だから、時間的に無理だろうね。


■「メイン・ストリート」って、どこ?

 翌1976年にも、ひきつづき3回目の課題曲を委嘱されました。
 それが、ポップス描写曲≪メイン・ストリートで≫です。

 一応、僕の課題曲の中では、いまに至るまでもっとも演奏され続けている曲ですが、実はこの曲も、せいぜい2週間かそこらで書いたんです。

 前からやってみたかったんですが、これは、ある町の大通り(メイン・ストリート)の1日を、ポップスで描いた曲です。ですから、しっとりした夜明けから始まって、次第に町に活気があふれてきて、賑やかな昼間の描写、そして夜の帳(とばり)がおりて、やがて町の灯りが消えていく……そんな曲です。さまざまなリズムを交差させて変化もつけました。基本は4分の4拍子ですが、ときどき4分の6拍子を紛れ込ませたりしてね。

 よく、タイトルの「メイン・ストリート」ってどこのことですかと聞かれるんですが……実は、国電(いまのJR)中央線・中野駅北口の「サンモール商店街」のことなんです。昔は「中野美観商店街」(「北口美観商店街」とも)という名称でした。

 「美観」(ビカン)なんて、妙な名前だなあ、と思うでしょう。実はこれ、お役所言葉なんですよ。戦後すぐ、東京都が、各区に1〜2箇所ずつ「○○美観商店街」を指定して、町並みをきれいにし、活気づかせるための指導を行なったんです。その名残りなんですね。

 1966年、この中野美観商店街の奥に「中野ブロードウェイ」ができて、たいへんな話題になりました(いまでは「まんだらけ」を中心に、オタクの聖地になっているらしいけど)。地下1階から4階までが300店舗以上ある大商店街で、1階からのエスカレータが3階へ直行している構造がよく話題になりましたね。てっきり2階だと思ったら3階だった、と。そして、5階から10階が200世帯以上の高級マンション。このマンションは入口が別で、受付があって警備員がいる、当時としては最先端の集合住宅でした。僕は入ったことないけど、屋上には庭園とかゴルフ練習場もあるらしいよ。有名人も多く住んでいて、いちばん知られていたのが、放送作家でのちに東京都知事もやった青島幸男。彼は、下の商店街のほうで「パグリアッチョ」というスパゲティ屋も経営していたね。歌手の沢田研二も、一時期住んでいました。

 ここはオープン当初「東洋一の複合施設」なんて呼ばれて一躍注目を浴びた。そこで、手前の中野美観商店街が危機感を覚えて、地面を大理石にしたり、アーケードの天井にシャンデリアを付けたりして対抗し、数年後、名称も「サンモール商店街」にしたんです。このアーケードの屋根はすでに1950年代からあって、当時としてはたいへん珍しい作りでした。

 この中野美観商店街の1日を描いたのが≪メイン・ストリートで≫というわけです。では、なぜ「中野」なのか……。

 実は、僕は、このころ、中野に住んでいたんですよ。いまの中野駅南口を降りて、線路沿いに高円寺方面に少し歩いたあたり、旧名「桃園町」、いまだと中野3丁目になるのかな。だから、中野美観商店街は、普段からなじみがあったんです。

 ちなみに北口に「サンプラザ」(全国勤労青少年会館)ができたのが1973年。≪メイン・ストリートで≫の2年前のことでした。オープニングは、中村紘子のピアノとNHK交響楽団。引き続きこけら落とし公演が、劇団四季によるロック・オペラ≪イエス・キリスト・スーパースター≫(初演時の邦題)の日本初演。そのときの音楽監督は若杉弘。イエス役が鹿賀丈史。マリア役がオペラ歌手で当時二期会の島田祐子。まさに日本のミュージカルの新時代を告げる公演でした。
 このころは、そんなふうに、中野駅周辺が新たな活気に満ち始めた時期だったわけです。

 余談ですが、知っている人なんてほとんどいないと思うけれど、僕の昔のペンネームに「桃園○○」っていうのが、いくつかあるんです。これは、当時住んでいた、この「桃園町」から来ています。

▲(写真:岩井さんの録音風景)
昨年リリースされたCD『EVERGREEN〜岩井直溥作品集』(佼成出版社)の収録風景。
演奏は東京佼成ウインドオーケストラ、指揮は岩井直溥氏ご本人。
もちろん≪メイン・ストリートで≫も収録されています!



■「蛇」もいた「メイン・ストリート」

 余談ついでをいえば、昔の中野美観商店街は、なかなかユニークな「メイン・ストリート」でしたね。
 たとえば、「へびや」があったんですよ。本物の「へび」(蛇)を売っているんです。ショーウィンドウの中に、本物の蛇がウネウネいてね。ガラスに「叩かないでください」なんて貼り紙があった。その蛇を漬け込んだ精力剤だか薬酒みたいなものも売っていた。中では蛇料理を食わせてたんじゃないかなあ。

 あと、ものすごい量の古書を扱っている古本屋があった。何しろ、床に積んだ本が、天井までギッシリあるんだから。あの店、地震のたびに本が崩れてたいへんだったと思いますよ。

 有名な名曲喫茶「クラシック」もあった。戦前からある老舗で、バラック小屋なんてものじゃない、床が抜けそうなオンボロ木造の喫茶店でした。店内は薄暗くて狭くて、椅子やテーブルもボロボロ。完全に「消防法違反」だね(笑)。SPレコードのクラシック名曲を竹針でかけていた。入り口にリクエストを書く黒板があって、ここに曲名を書くと、順番でその曲をかけてくれる。マーラーだのブルックナーだのがあると、あまりに長いんで、自分のリクエスト曲がかかるまで時間がかかってたまらなかった。水やジュースはワンカップ大関の空きグラスで出てくるし、コーヒーのミルクは、シャンプーの蓋に入って出てくる。いま思うと実にとんでもない店だったけど、面白い喫茶店だったねえ。五木寛之さんなど有名作家も通ったことで知られていました。確か、元画家のオーナーが亡くなった後、娘さんが継いだんだけど、その方も亡くなって、最後は建物が国だか都だかの管理になって、数年前に取り壊され、いまはもう跡形もないそうです。

 そういえば、これは北口の中野美観商店街ではなくて、僕が住んでいた南口のほうだけど、「虎」を飼っている居酒屋があった。「虎」ですよ、「虎」。生きたタイガー。もちろん放し飼いじゃないです。檻に入れていましたけど、店の前に檻があって、中でいつも寝そべってた。あれ、散歩とかさせてたのかなあ。だとしたらおっかないよねえ。虎を紐か鎖で引っ張りながらそのへんを散歩されたんじゃ、たまったもんじゃない。

 ≪メイン・ストリートで≫を聴くたびに、こういった、当時の中野駅周辺の姿が思い出されます。いまのサンモール商店街でテーマ音楽にして流したら、けっこう合うんじゃないかなあ。


■「大人の曲」だった≪メイン・ストリートで≫

この1976年の課題曲は全部で4曲。部門別はなくて、どれでも演奏できました。なかなかバラエティに富んだ曲が揃った年でもありましたね。

【A】≪即興曲≫(後藤洋) 公募
【B】≪吹奏楽のための協奏的序曲≫(藤掛廣幸) 公募
【C】≪カンティレーナ≫(保科洋) 委嘱
【D】ポップス描写曲≪メイン・ストリートで≫(岩井直溥) 委嘱

 このうち、【A】の後藤洋さんは、いま吹奏楽をやっている方には、おなじみの名前でしょう。いまや≪トゥーランドット≫編曲や、素晴らしいオリジナル曲で大人気の作曲家・研究家ですが、このとき彼は高校生だったんですよ。高校生の公募作品が入選したというので、たいへんな話題になりました。

 これ以前の僕の課題曲2曲は、どちらも中学の部用だったので、この≪メイン・ストリートで≫は、初めて、高校生以上の大人も演奏できた僕の課題曲というわけです。ですから全部門で演奏されましたが、結局、金賞の演奏は、職場の部から1団体―福岡・ブリヂストンタイヤ久留米工場吹奏楽団、一般の部から2団体―東京・瑞穂青少年吹奏楽団、北海道・旭川交響吹奏楽団の、計3団体のみでした。全部、「大人」です。

 曲が大人のムードだったから、中高生には、技術的には演奏できても、大人の味を出すのは難しかったのかもしれないね。
 いや、やはり中野美観商店街を実際に知ってないと味が出なかったのかも(笑)。


【つづく】



 
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【お知らせ】
6月15日掲載予定の第24回は、
編集部のサーバ・メンテナンスの関係で休載させていただきます。
第24回は、6月25日(木)に掲載いたします
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)
(BP編集部/富樫鉄火)

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編曲・作曲:岩井直溥(Naohiro Iwai) 【全曲】

1. シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」 【3:29】
   Syncopated March "Asuni-Mukatte"

2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
   On Main Street

4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

8. 響きかぎりなく 【7:02】 

9. あの水平線の彼方に 【11:38】

【ボーナストラック】

10.靴が鳴る/弘田龍太郎(arr.岩井直溥)

BPショップにて発売中 http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1548/

(2009.8.28)>>


■岩井直溥関連CD
■ニュー・サウンズ・スペシャル
■EVERGREEN〜岩井直溥作品集
■ベスト・ニュー・サウンズ・イン・ブラス100−ベスト吹奏楽II
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