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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第16回 壮絶!東芝レコード時代(1)


  そんなわけで、フランキー堺が抜けた後のシティ・スリッカーズを任され、なんとかやってたんだけど、もう、生ステージでコミック・バンドをやる時代ではなくなっていた。結局、植木等もクレージー・キャッツに移っちゃって、彼らは次第にTVに舞台を移し始めたからね。

  それでも、大型キャバレーのグランド浅草でダンス・バンドをやったりして食えてはいたんだけど、自然消滅しちゃった。

 そのころ僕は、もちろんシティ・スリッカーズだけではなくて、ほかの仕事、特にレコード会社のアレンジの仕事なんかもやってたんだけど、ある日、ラテン歌手の坂爪清っていうひとに呼び出されてね。何かと思ったら、東芝レコードの専属編曲家になってくれっていうんだ。


■なぜ「東芝」がレコードを?

 坂爪清っていう歌手は、本来がラテン歌手で、アイ・ジョージみたいなタイプだったけど、なんていうのか、うますぎちゃって、逆に売れない人だった。なんでもこなしちゃうんだ。≪シガレット・ブルース≫とか≪23時の地下鉄≫、その上、≪お笑いマンボ≫とかいうコミック・ソングまで歌っていた。「ズンチャチャ、ズンチャ」とリズムが進むと、時折、合いの手みたいに低い声で「うっふっふ」と笑い声が入る。ただ、それだけ。で、さいごに「は〜あ」と、疲れたため息で終わる。そんなおバカな歌だった。

 で、僕は、けっこう前からこの人と組んでバンドでも歌ってもらってたし、編曲もやってあげてた。もう、あの頃は、何でもやってたからね。ハワイアンバンドだってやってたんだよ。その彼が、東芝レコードの専属になるんで、一緒に来てくれっていうんだ。

「東芝レコード」? そんなレコード会社、聞いたことなかった。だって、「東芝」は、「東京芝浦電機」っていう、家電メーカーじゃないか。そのときすでに僕は、コロムビアやビクター、キングといったレコード会社で仕事をしていたけれど、「東芝レコード」なんて知らない。

 で、坂爪に聞いたら、その家電メーカーの「東芝」の中に、音楽部門ができたっていうんだ。驚いたねえ。何で家電屋さんがレコードを出すんだろうと、不思議だった。それが昭和34年春のことだった。

 で、坂爪に連れられて行った先が、有楽町の朝日新聞社の本社。当時の朝日は、いまの有楽町マリオンのところにあったんですよ。そこの7階に、東芝のレコード部門のオフィスがあった。8階には小ホールとスタジオもあった。

 そこには、レコード部門の責任者として、体操協会の幹部だった野坂浩さんがいた。どういうつながりで来たのか知らないけど、行ったら、いきなり「専属になってくれ」という。この「専属」ってのは、ノルマとして、一ヶ月に2曲編曲し、2曲指揮(録音)する。そこまでは給料のうち。それ以上は歩合で払うっていうんだ。

 あまり高い額じゃなかったけれど、そんなにキツイ仕事じゃなさそうだし、それで定収が得られるんならまあいいや、と思って坂爪と一緒に専属になった。

 で、とりあえず毎日、有楽町のオフィスに行くんだけど、仕事なんかないんだ。どうも現場の人たちは、僕のこと、全然知らないんだね。僕は芸大卒でしょう。当時、レコード会社で編曲や伴奏をやっている連中は、慶応出身のジャズメンが多かったから、僕は主流じゃなかったんだね。

 1年くらい、毎日通ったけど、何も仕事がなくて、夕方になるとディレクターたちと銀座に行って呑んだり食ったりしていた。

 そのうちこのレコード部門が独立して、昭和35年、「東芝音楽工業」(東芝音工)という別会社になる。だから、それ以前の「東芝」時代のレコードは、家電メーカーのToshiba(筆記体)のロゴ・マークが入ってたんですよ。

 ちなみにその後、イギリスの大手EMIが資本参加して「東芝EMI」になった。この時代は、ビートルズで一世を風靡する。いまは、東芝が資本撤退して、「EMIミュージック・ジャパン」となっている。

▲音楽と名のつくものは何でもやった。このとおりハワイアンバンドまで!
(中央、座っているのが岩井氏)

■弘田三枝子との出会い

 最初のころはヒマでヒマで仕方なかったんだけど、東芝音工になったあたりから、突然、忙しくなり始めた。なんといっても、昭和36年、弘田三枝子(愛称ミコ)に出会ってからだね。

 ミコは、当時、確か14歳だった。最初会ったときは「なんだ、まだ子供じゃないか」と思ったけど、驚いたねえ、そのパンチある歌唱力には。それまでの日本人では考えられない歌声だった。でも、とても素直でいい子だった。

 彼女は、10代になったばかりのころから、GHQのキャンプで歌って鍛えてたらしい。確か、シンコーミュージックの草野昌一さんが見つけてきたんだと思った。草野さんは、「漣健児」[さざなみ・けんじ]のペンネームで、多くの海外ポップスの訳詞を手がけていた。弟さんが草野浩二さんといって、東芝レコード草創期からの名物ディレクターだった。で、草野兄が、草野弟に預けたんだね。そして編曲が、僕のところに回ってきたというわけ。

 ちなみに、この東芝の草野弟さんは日本で海外ポップスカバーの全盛時代を築いた人。特に坂本九の≪上を向いて歩こう≫を手がけて、アメリカでビルボード1位にさせたことでも知られている。

 ミコのデビュー曲は≪子供ぢゃないの≫。B面は≪悲しき片思い≫。ヘレン・シャピロのカバーだね。以来、ミコの曲のほとんどは、僕が編曲・指揮し録音した。

 当時は、ミコに限らず、海外のカバー曲が多かったんだ。そうなると、原曲の譜面なんてないのがほとんど。となると、原曲のレコードを聴いて耳コピーで編曲しなくちゃならない。原曲の雰囲気も残しつつ、独自性も入れなきゃならないし、歌手によっては、その声域に合わせて移調してやらなきゃならない。これができるアレンジャーが、なかなかいなかった。その点、僕は、ガキの頃から耳コピーで育ってるからね、もうお手のものだった。なんだ、こんな仕事ならラクでいいやと思ったほどだった。1日1曲なんて、軽い軽い、どんどん持ってきてよ、なんて言ってた。ところが、その頃には後の祭り。そのうち、一晩で7曲も譜面を書くような生活が日常になってしまった……。このあたりは、またあとでお話しすることにしましょう。

 録音は、最初に伴奏だけ録音しておいて(まあ、いまのカラオケだね)、あとで歌手がそれに合わせて声だけ入れるやり方。歌謡曲ではもっとも一般的な録音スタイルです。
ミコはカンがよくてね。やり直しも少なくて、3回くらいでいつもOKだった。


■恐怖のダイレクト・カット

 録音は、すぐにテープ時代になったけど、最初の頃はダイレクト・カットだったからたいへんだった。

 スタジオでバンドが演奏する。そこにでかいラッパがあって、そこへ向かって演奏する。その響きが、向こう側にある原盤に直接伝わって、直接、盤上に音の響きを刻み込むんだ。だから、間違えたらたいへん。重ねて刻むことなんかできないから、失敗したら、いったん演奏をストップして、その原盤を大急ぎでなめして、再び平らにする。それに一時間くらいかかる。その間、僕らはティンパニの上で花札やって待ってる。

 そんな録音システムだったから、当時は、バンドの集合時間は決まってたけど、終了時間が予想もつかない。へたすると、昼からスタジオに入って、1日1曲しか録音できないなんてことも日常茶飯事だった。アルバム制作なんか、何日もかかったもんですよ。

 となると、当然、スタジオ内にいる時間が長いわけだから、花札どころか、タバコもビールも、スタジオ内では当たり前だった。いまでは想像もつかないだろうね。

 東芝レコード初期のころに僕が編曲・指揮を担当した歌手は、もういまとなっては思い出せないほどたくさんいるけど……そうだね、ミコのほかは、ロカビリー歌手の山下敬二郎がいた。落語家の柳家金語楼の息子ですよ。
 森山加代子は≪メロンの気持ち≫を編曲したなあ。
 スリー・ファンキーズも担当した。3人のアイドル・グループで、若手男性アイドルの走りだね。この中の高橋元太郎が、のちに俳優に転向して、『水戸黄門』のうっかり八兵衛として人気者になる。ちなみに初代ジャニーズは、このスリファンの人気に触発されてデビューしたんですよ。

 まあ、こういった歌謡ポップスの編曲や指揮だけをやっているうちはよかった。ところが、世の中はますます「レコード全盛時代」になってきて、僕の仕事は、それだけではおさまらなくなってきた。

 そして、あわや命を落としかけるような、壮絶な時代に突入するんです。

【つづく】


 

※第17回は2月13日(金)正午〜、掲載予定。
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1. シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」 【3:29】
   Syncopated March "Asuni-Mukatte"

2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
   On Main Street

4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

8. 響きかぎりなく 【7:02】 

9. あの水平線の彼方に 【11:38】

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(2008.12.15)>>


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