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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第10回 ニュー・フェローズ誕生!

 

 昭和20年(1945年)12月25日のクリスマスの日。終戦からまだ4ヶ月。僕たちは、いよいよ、新橋寄りの銀座にあった米軍専用ダンスホール「A1」でバンドとしての活動を始めた。バンド名は「ニュー・フェローズ」。これが、僕のプロ・ミュージシャンとしての始まりです。


■「4・3・3・3」編成からスタート

 ここは米軍将校たちが使う店でね。キャバレーなんだけど、中央にダンス・フロアがあって、そこで将校たちが、ホステスさんたちと踊れるようになっていた。
  ホステスさんは全員、日本人の女性。戦争未亡人が多かったね。みんないい人たちで、気持ちのいい女性ばかりだった。店は毎晩11時半で終わりなんで、閉店後、楽屋口でみんなで待ち合わせて、夜食のラーメンを食いに行ったものですよ。
  当時はまだ配給統制時代だから、満足な食べ物がなくて、みんな、いつも腹ペコだった。タバコの「ゴールデンバット」が1円の時代、もりそばが10〜15円してましたからね。しかも「麺類外食券」という、政府が発行する食券でなければ食べられなかった。
  しかし、それでも蛇の道は何とやらで、銀座のような繁華街の裏には、中国人が統制の目を潜り抜けて、こっそりやっている食堂がいくらでもあった。そういう店で、食べてましたよ。
  で、問題のバンドなんだけど、困ったのは「楽譜」。いくらメンバーが集まっても、楽譜がなくちゃ演奏できない。幸い、当時、占領軍から流れてきた「10セント・パート」と呼ばれるジャズバンド用の楽譜が入手できたので、まず、それを使った。要するにワン・パート10セントで売られていた、安価な楽譜です。あと、千葉馨が、けっこう、輸入物の楽譜を持っていたんで、それも使った。
  それらの基本編成は、

1st Sax Alto E♭
2nd Sax Tenor B♭
3rd Sax Alto E♭
4th Sax Tenor E♭
Trumpet 1st〜3rd
Trombone 1st〜3rd
Piano
Bass
Drums

 と、13パートでワンセットになっている楽譜がほとんどだった。いわゆる「4・3・3・3」編成ですね。サックス4本(バリトンはなし)、ラッパ3本、トロンボーン3本、リズムセクション3人。これにViolins(弦)やVocal(歌手)が加わる譜面もあって、のちに大きな劇場に移ってからは、そういう楽譜を使っていました。
  曲の構成は、どれもほぼ同じ。前奏〜【A】(リピート2段)〜【B】〜【C】(リピート)の3部構成。
  このうち、【A】の部分は、どのパートも2段で書かれていた。つまり1回目は上の段を演奏し、リピートするときは下の段を演奏する。おおむね、1回目はmpでそっと演奏し、リピートして下の段に移るときはmfと書かれているのが多かった。このあたりはけっこう自由自在に演奏できるようになっていて、急いで演奏するときは、どっちかだけをやってもいいし、人数が多ければ、上下の段を2人同時に演奏してもかまわない。
  困ったのは「アドリブ」。
  時折、楽譜に「ad lib」とあって、コードは書いてあるんだけど、具体的な音符がないんだ。最初、いったい何のことか全然分からなかった。何しろジャズなんてやったのは、みんな初めてなんだから。

「おい、このad libって何だ?」
「さあねえ。どうも勝手に吹けってことらしいよ」
「勝手に? どう勝手に吹くんだよ」
「知らねえよ。このコードに合わせて勝手に吹きゃいいんだろ」
  なんて、いまから思えばバカみたいな会話を、本気でやってたもんです。

  それまで日本にも、ジャズはあったんですよ。大正時代から、ジャズメンと呼ばれるミュージシャンたちも、いたことはいたんです。だけどそれまでの日本のジャズは、一種の徒弟制度みたいなムードがあって、特定の師匠のもとでだけ演奏する、そこを離れたら、もうほかでは演奏できない、そんな閉鎖的な世界だったんです。だから、ジャズの演奏法、特にアドリブ奏法などが、外に知られることって、ほとんどなかったんだね。
  だけど僕たちは、師匠も何もあったもんじゃない。楽譜と楽器があるだけで、教えてくれる人なんか誰もいない。だからすべて手探り、無手勝流で、自分たちだけで開拓していくしかなかったんです。
  そのうち、ようやくアドリブの真似事みたいなこともできるようになって、なんとなく、ホンモノのジャズバンドらしくなってきた。

▲ニュー・フェローズ時代の貴重な写真
▲【A】部分が2段に分かれていた当時のパート譜(アルトSax1番)。
これ、岩井氏自身のアレンジ肉筆譜。美しい!

■大乱闘は日常茶飯事

 そうなると、次第に、輸入の10セント・パートだけではレパートリーが足りなくなってくる。そこでまた、僕がアレンジをすることになった。
 最初のうちは、輸入楽譜をもとにアレンジしていたけど、そのうち、オリジナル・アレンジもするようになった。たとえば、日本の民謡≪ソーラン節≫や、わらべ唄などを、快活なジャズ調にアレンジして演奏したりした。これにはホステス・ダンサーさんたちも、喜んでくれたねえ。日本人のホステスさんたちにとっては自分の国の音楽だし、それでいてジャズになっているから米軍将校たちも受け入れられた。
 現在、僕の吹奏楽アレンジ譜に、日本の民謡をポップス調にアレンジしたものがたくさんあるけど、これらの原点はすべて、この時期のアレンジなんですよ。
 映画『駅馬車』のテーマを、無理やりジャズ風にアレンジして演奏したのも喜ばれたねえ。
人気があったのは、≪センチメンタル・ジャーニー≫。これはチークダンス用の曲だから、将校たちはホステスさんと抱き合いながら踊れるでしょう。だから喜ばれた。ところが、こういうチーク用の曲ばかり演奏すると、今度はホステスさんから文句いわれる。その按配が難しかった。
 閉店前の最後の曲は、必ず≪グッドナイト、スウィートハート≫。
 店内のトラブルも、いろいろあったよ。
 いちばん多かったのが、黒人兵と白人兵のケンカ。これはもうしょっちゅうだった。それも生半可なケンカじゃないんだ。大乱闘の取っ組み合い。テーブルがひっくり返るなんて日常茶飯事。
 そういうときのために、僕たちはいつもアメリカ国歌≪星条旗≫の譜面を用意していた。
 ケンカが始まって、それがどうにもすぐにおさまりそうもないとなると、支配人が僕たちに向かって「国歌やれ!」って指示を出すんだ。
 で、大慌てで≪星条旗≫を演奏すると、やはり彼らも軍人なんだねえ、ピタリとケンカをやめて、その場に直立不動になるんだ。日本兵が「畏れ多くも畏くも」と聞くとすぐに直立不動になったのとまったく同じ(「畏れ多くも畏くも」のあとには、必ず「天皇陛下」とつづいた)。で、その間に支配人が呼んだMP(憲兵隊)が来て、みんなお縄頂戴となって、連れ出されていく。


■ものすごかったギャラ

 アメリカの楽譜は、たとえ10セント・パートといえども、演奏していると、やっぱり何かが違うんだね。まずハーモニーが違う。いままで聞いたことのない、独特な響きだった。それがジャズ特有のコードであることに気づくのは、もう少し先のことになるんだけど。
 それから、アレンジのされ方や構成に、すごく幅があった。なんていうか、ガチガチじゃないんだね。アドリブも含めて、演奏者の自由な裁量で吹けるような、余裕があるアレンジになっている。
 さらに、実に「吹きがい」があった。無理な高音や超絶技巧のテクニック部分なんて皆無。すべて、いちばん鳴りがいい音域で書かれている。なのに、すごく厚くて、いい響きがするんだ。
 結局僕は、この時期のジャズバンドの経験で、自然とアレンジの基礎が身についたって感じだね。
 そうそう、話すのを忘れていたけど、僕も含めて大半のメンバーは学生、しかも芸大の学生だったんですよ。だから、昼間は一応、大学へ行ってました、ハイ。昼間は大学でホルンを吹いて、夜は銀座へ行ってトランペット吹いてアレンジして……。
 そんな生活だったけど、若かったから、疲れなんか感じなかった。大学のオーケストラもそれなりに面白かったし。それどころか、夜のトランペットのおかげで、昼間、大学で吹くホルンの鳴ること鳴ること。もう、ビュービュー吹いて、すごい音を出しまくっていたね。
  ジャズバンドのギャラは……いまだからいえるけど……良かった。とんでもなく高かった。すごいギャラだった。すでに、当時のサラリーマンの給料の数倍もらってました。国鉄(現JR)の初乗り運賃が20銭。コーヒー1杯が5円。そんな時期、国家公務員の初任給が500〜1000円でした。その数倍ですからね。資料を見ると、終戦直後の国会議員の報酬が1500円とあるから、それ以上、もらってたんじゃないかな。これは、もう少しあとの話になるけど、もらったギャラが札束で、上着の内ポケットに入りきらなかったほどなんだから。最後のほうなんか、ボストンバッグを持っていって、そこに札束を詰め込んでましたよ。
  ああ……あのカネ、無駄遣いしないで残しといたら、いまごろ、どうなっていただろうなあ。なにしろ、全部、呑んで食って、消えちゃったからね。
  やがてわがバンドの評判が次第に広まったのか、編成も大きくしていって、最初は「4・3・3・3」だったのが、最後は「4・4・5・4」くらいになった。いわゆるビッグバンドというやつです。
そうなると、次第に、客の将校たちから「うちのキャンプに演奏に来てくれ」とか「横須賀の将校クラブにも来てくれ」とか、お声がかかるようになってきた。
  そこで僕たちは、ニュー・フェローズを発展解消させ、「ビー・バップ・エース」なる名前のビッグバンド編成に拡大し、銀座のダンスホールから飛び出すことになったんです。

【つづく】 

※第10回は10月30日(水)正午〜、掲載予定。
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)

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編曲・作曲:岩井直溥(Naohiro Iwai) 【全曲】

1. シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」 【3:29】
   Syncopated March "Asuni-Mukatte"

2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
   On Main Street

4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

8. 響きかぎりなく 【7:02】 

9. あの水平線の彼方に 【11:38】

【ボーナストラック】

10.靴が鳴る/弘田龍太郎(arr.岩井直溥)

BPショップにて発売中 http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1548/

(2008.09.30)>>


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■ベスト・ニュー・サウンズ・イン・ブラス100−ベスト吹奏楽II
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