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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第7回 第1回コンサート開催!

 

 楽器も吹いたことがない、楽譜も読めない、そんな連中が集まってブラス・バンドをつくって、夏に活動開始。で、11月に、本格的なコンサートを開催することになってしまった。

「第1回秋季演奏発表会/上商音楽の夕べ」
  日時:1939(昭和14)年11月18日(土)午後7時
  会場:大陸会館
  主催:上海商業学校音楽部
  後援:大陸新報社


■トランペット、指揮デビュー

 当時、上商音楽部は、ハーモニカ・バンドとブラス・バンドで構成されていた。で、その両者で合同演奏会を、一般市民向けに開催しようというわけです。
  まずその前に、小手調べとして、11月1日に、上海毎日新聞社が主催する≪大上海の歌≫発表会に、ハーモニカ・バンドと合同で出演することになった。会場はリッツ劇場という、これも大きなホールでした。
  ≪大上海の歌≫というのは、要するに上海礼賛の軍事歌謡で、翌月、美ち奴と鶴田六郎のデュエットでレコードが発売されました。裏面は藤山一郎の≪大亜細亜行進曲≫でした。その発表会ですね。
  これがなかなかうまくいって好評を得まして、勢いがついた。新聞社の大陸新報社が後援についてくれたことで、宣伝やポスター制作なども引き受けてくれることになった。
  ゲストには、僕の兄で「天才木琴奏者」として上海で大スターだった岩井貞雄、ピアノ伴奏は姉の岩井清子。市内のマンドリン同好会、さらに女子校(小学校)の北部校合唱部。
  とにかく、やたらと大掛かりなコンサートになってしまいました。
  いよいよ本番当日、土曜日たったので、午前中の授業を終えて、昼過ぎから会場に楽器などを運び込みました。
  6時に開場すると、ものすごいお客さんの列で、驚いた。確か、あの大陸会館は1000人近く入る大ホールでしたが、立ち見まで出たんですからね。
  午後7時、ついに開演。
  いったい、どんな曲をやったのか……いまとなっては記憶もおぼろげなんですが、幸い、プログラムが残っているので、それをもとに説明しましょう。なお編成は、前回説明したように、たった20名です。
  まず、学校側の理事の挨拶があって、最初にブラス・バンドの校歌演奏。
  つづいてブラス・バンドが3曲演奏。
1.行進曲≪燦然たる光輝≫(岩井貞麿)
これは、第2回で説明した父の作曲による、皇太子殿下御降誕奉祝行進曲です。新聞などでも紹介されて、当時の上海で話題になっていたマーチです。つづいて、
2.行進曲≪前進≫
3.ワルツ≪春の花≫
の2曲。どういう曲だったかなあ……。これら3曲の指揮は、4年生の池田稔くん。
ここからハーモニカ・バンドの演奏に移って、そのあとは、兄の貞雄(木琴)とブラス・バンドの共演。
4.行進曲≪名誉の指揮者≫
5.ワルツ≪かちどき≫
6.抜粋曲≪トラヴィアータ≫(椿姫)
7.行進曲≪祝砲の轟き≫(岩井貞麿)
以上、4曲。指揮は5年生の中村薫くん。
このうち、≪祝砲の轟き≫というマーチは、これも父の作曲なんですが、珍しく、肉筆楽譜がセットで完全に残っています。
見ると、曲名は≪天攘無窮≫(一名、祝砲の轟き)となっている。つまり、正式曲名は≪天攘無窮≫(てんじょうむきゅう)。これは「教育勅語」の中に出てくる有名な言葉で、当時の日本人なら誰でも知っていました。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天攘無窮の皇運を扶翼すべし」、要するに「永遠」のことですね。
で、「一名」(別題名)として≪祝砲の轟き≫と付いている。これに関しては、スコアの表紙に父の書き込みがあって、"どっちの題で演奏してもいいが、もし≪天攘無窮≫として演奏する際は、ひとこと説明しろ"と、こんなふうに書いてあります。

「≪祝砲の轟き≫という題名の際は別に説明を要しませんが、≪天攘無窮≫として(プログラムに)お書き出しの際は、"途中の大太鼓の強打は祝砲の形容なり"とご説明願います。≪天攘無窮≫として演奏しますと、なんだってトリオの太鼓を大きく叩くのか、音が強すぎるという声を頗(すこぶ)る聞きました。≪祝砲の轟き≫として演奏しますと、なるほど祝砲の音にそっくりだと感じます。題名の付け方は、なかなか難しいものであります」

 さらに、表紙には、こんなメモ書きもある。

「梗概――天攘無窮の皇運を寿(ことほ)ぎ、奉る曲。曲中、普通ラッパの≪君が代≫の語を取り入れしは、特に軍隊の(天皇)陛下に捧げし忠誠をあらわし、国民みな歓喜の中に祝砲轟く。本曲は独逸(ドイツ)において同国軍楽隊によりポリドール・レコードに吹き込んであります。また数曲、天聴に達しましたことを光栄といたします」

 どうやら、この曲は、何かの折に天皇陛下のお耳にも達したようですね。
  スコアを見ると、なかなか軽快なマーチです。
  確かに大太鼓のパート譜を見ると、トリオ部分の音に「祝砲の形容」と書いてあって、しかも「fff」になっている。そして下に「祝砲は祝砲らしく、特に強打を願います」と書かれています。バスドラムで大砲の音を模倣したんですね。
  しかし、この楽譜セット、全部で26パートあるんですが、全部、肉筆手書き。クラリネットなど、ワンパート2人で演奏する場合、まったく同じパート譜を2枚、書いている。コピー技術なんてなかったから、手書きで書くしかなかったのはわかるけれど、それにしても当時は、たいへんだったんですねえ。

▲曲名の由来が書かれている≪祝砲の轟き≫スコア表紙
▲シンプルに主旋律だけが書かれた「指揮者用スコア」
▲ fffで「祝砲の形容」と指定のある大太鼓パート譜

■知ってしまった、音楽の面白さ

 そのあとは、合唱やマンドリン、ハーモニカ四重奏などがつづいて、ブラス・バンド3度目の登場。前半のトリです。
8.描写曲≪森の鍛冶屋≫
9.≪軍艦マーチ≫(瀬戸口藤吉)
  指揮は3年生の僕。これに、兄の木琴も加わりました。僕の指揮がどうだったか、あまり覚えていないけど、とにかく拍手喝采だったことは確かです。あとで出た記録文集に、誰かが「情熱の指揮者、岩井君のデビューだ」なんて書いているので、けっこう派手に指揮したんじゃないかな。
  ここで休憩。
  すいぶん盛りだくさんでしょう。前半、ブラス・バンドだけで9曲もやってる。プログラムを見ると、ハーモニカや合唱なども含めると、前半、全部で20曲も演奏されてるんです。
  やがて休憩後、後半の第2部。
  最初にハーモニカ・バンドの演奏があって、またまたブラス・バンド。
10.ワルツ≪銀の瀑布≫
11.長唄≪越後獅子≫
  指揮は、またも僕。この≪越後獅子≫は、僕の編曲じゃなかったかな。
  それからはハーモニカや合唱、兄のソロなどがつづいて、大トリが兄の木琴と共演で、ブラス・バンド。
12.≪アメリカン・パトロール≫
13.≪愛国行進曲≫
14.君が代

  指揮は、5年生の中村薫くん。
  こうして、終了したのが夜の10時過ぎ。よくこんなに長々とやったもんですよ。計37曲。でも、当時、上海は深夜まで灯りが煌々と輝く「夜の街」だったから、10時といっても、そんなに遅いという感じはなかったですね。そういう点が、国際都市たる所以ともいえました。
  とにかく初めてのコンサートは、合同演奏会とはいえ、大成功でした。お客さんも大喜びだったし、たいした失敗もなく、それなりの盛り上がりを見せました。
  中でもブラス・バンド部の連中は、たいへんな盛り上がりでした。もちろん僕も。何しろ、それまで、正式なコンサートとして人前で演奏し、拍手をもらったなんて経験、ないんですから。せいぜい慰問演奏とか、パレードだったでしょう。室内のちゃんとしたホールで、椅子に座って音楽を楽しみに来たお客さんに聴いてもらって、喜んでもらえるなんて、初めてだった。こういう喜びがあるんだということを、知ってしまった。
  ブラス・バンド部における耳コピーが僕の編曲人生の始まりだったとすれば、この演奏会は、僕のステージ人生の始まりだったともいえます。

▲翌日の新聞でも、演奏会の成功が報じられた。

■いよいよ卒業……

 ところで、時間的には前後しますが、僕が上海商業学校に入ってすぐのころ、四番目のきょうだいで、姉の浄子(せいこ)が、亡くなっています。姉は、従軍看護婦として陸軍病院に勤務していたんですが、過労で亡くなりました。ちょうど第2次上海事変のころでしたから、陸軍病院では、徹夜の看護がつづいていたんだと思います。こども心にも、なんともつらい、いやな思いだったのを覚えています。
  姉の死は、当時の上海でも、お国に命を捧げた看護婦ということで、たいへんなニュースになりました。しかも父が上海ではそれなりに活躍中の音楽家、兄は木琴の大スターでしたから。のち、アメリカへ演奏旅行に行っていた兄が、姉の一周忌にあわせて帰国するというだけで、新聞記事になったりしたほど、その死は、上海の人々の印象に残ったようです。
父は、兄や私の音楽面での活躍を報じた新聞記事などを、多くのスクラップブックに残していますが、この姉の死だけは、真っ黒な台紙のしっかりしたスクラップブックを別途用意して、新聞記事や写真をていねいに貼り込んでいます。父は愛国者でしたから、お国のために娘の命を捧げたと大々的に賛美されたことを誇りに感じてはいたでしょうが、そうはいっても、愛娘です。そのつらさは、いかばかりだったでしょうか。僕自身は、そのときの父の様子を具体的に覚えていませんが、いま、真っ黒な台紙のスクラップブックに、姉に関する新聞記事や写真が貼り込まれているのを見ると、父の気持ちがわかるような気がします。愛国者としては、涙なんか見せられない、外見は、お国に娘の命を提供した立派な愛国者を演じなければならない、しかし、その内心は……。
 まあ、そんな調子で学校の残り3年間――3年、4年、5年とブラス・バンドで、トランペット、編曲、指揮の3役をこなしながら、上海商業学校を何とか卒業しました。
 卒業のとき、親戚に軍医が多かったせいもあって、なんとなく「お前も医者か軍人になれ」といったムードが強く、海軍兵学校や海軍主計学校を受けました。ところが、僕は視力が低くて、どうもダメなんだね。「じゃあ、医者だ」と、東京医専や昭和医専も受けさせられたけど、これもダメ。あとでわかったんだけど、上海商業学校の勉強は、日本よりもかなり遅れていたんです。だから学力が追いついていなかったんだ。
 仕方ないので、浪人。東京の親戚の家に居候して2年目を目指すことになった。
 だけどそのころ、もう僕は吹奏楽の面白さを知ってしまっていましたからね。夏休みなど、ちょっと時間ができると上海へ飛んでいって、母校ブラス・バンド部の指導をするようになっていた。こんな調子でエリート軍人や医者になんか、なれるわけないよね。
 やがて2年目の受験の時期が近づいてきた。今度もダメだったら、もう普通の兵隊にでもなるしかない。いったい、どうなることやら……と暢気にかまえていたら、姉が滑り止めの学校に願書を出しといてくれた。
 それが東京音楽学校、いまの東京藝術大学だったんです。

【つづく】 

 

※第8回は9月12日(金)正午〜、掲載予定。
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)

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2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
   On Main Street

4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

8. 響きかぎりなく 【7:02】 

9. あの水平線の彼方に 【11:38】

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(2008.08.29)>>


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