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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第6回 ブラスバンド部、活動開始!

 

  しばらく父の話がつづいたんで、話を戻しましょう。
  第3回で説明した、上海商業学校に、父のプロデュースでブラスバンド部が創設された、そのつづきです。


指導者がいないので……
  前にお話したように、確かに僕の家族はほとんどが音楽に携わっていたわけですが、僕自身は、音楽とはまったく無縁だった。せいぜい外国映画が好きで、そこに流れている音楽に興味をもつ程度だった。
  だから、新設されたブラスバンド部に入ったのも、別に音楽に興味があったわけじゃないんです。たまたま父が創設に協力した、じゃあ息子の自分も入らなきゃ……その程度の意識だったんです。
  これは僕に限ったわけじゃありません。ほかのメンバーも全員同じ。音楽に興味があって入ってきた者なんか、いやしないんです。ブラスバンドというのは、どうも、ある程度の人数が必要らしい、そこで仕方なく、そのへんを歩いているやつを呼び止めて「おいお前、ちょっとこい」……そんなもんでした。そんな調子で30人弱……最初期は20人そこそこだったかな……とにかくブラスバンド部ができた。
  創設されたのが昭和14年。いまでいう、中学3年のときです。
  楽器は、第3回で説明したように、父がニッカンの協力を得て、中古で何とか揃っていた(部の創設は2月でしたが、楽器が届いたのが7月だったので、実際の活動は夏から開始しました)。だけど、指導してくれる人が、誰もいない。どうやって吹けばいいのか、誰も知らない。楽譜もない。創設させた父は、楽器を揃えさせといて、あとは、何もやってくれない。何しろあの父は、僕の印象では、いつも座っていて「指示」だけ出している、そんな記憶しかないんですよ。まあ、よくいえば「プロデューサー」に徹していた、ともいえるんでしょうが……。
  そこで仕方なく、海軍第三艦隊の軍楽隊に相談に行った。そうしたら指導してくれることになりましてね。夏休みに10日間通って、集中レッスンを受けました。毎日、20数人でゾロゾロ海軍へ通ったんです。
  海軍さんはとても親切でした。いまの自衛隊のほうが、よっぽど厳しいくらいです。いつも気をつけの姿勢で直立不動でいなくちゃならないのはきつかったけど、それでも1人が生徒5人くらいを受け持ってくれて、吹き方や楽譜の読み方を徹底指導してくれた。昼食まで出してくれましたよ。壊れた楽器なんかも、ちゃんと修理してくれて。
  でも、いま思うと軍楽隊の軍人さんて、いつ行っても酒を呑んでたような記憶がある。朝からタクアンをポリポリかじりながら日本酒を呑んでるんです。
  当時、わがブラスバンド部がどんな楽器編成だったか……いまの若い人たちは、驚くだろうね。たまたま、第1回コンサートのメンバー表が残っていたので、挙げておきます。

ピッコロ1/フルート1/クラリネット1(2名)・2(2名)
コルネット1・2/トランペット1・2
アルト1・2・3/バリトン1/トロンボーン2/テューバ1
弦バス1/小太鼓1/大太鼓1

 以上、20名。
  クラリネットが、ファーストとセカンドで各2名いるのを除くと、あとは全部、ワンパート1人です。
  クラリネットは、アルバート式。いまのベーム式ではなく、昔のニューオリンズ・ジャズで使われていた旧式です。キイが少なくて、ホール(穴)を直接、指でふさぐスタイル。けっこうやっかいな楽器です。ただ、音色はベーム式と違って、なんともレトロでいい音が出るんですよ。
  サクソフォンがないのは、人数が少なかったこともあるけど、中古とはいえ高価だったから、最初から入れないつもりだったんじゃないかな。
  コルネットとトランペットは、まったく別扱いで、しかも同等でした。主にコルネットが主旋律を吹いて、トランペットは「パカパッパ」と、信号のような合いの手を入れることが多かった。
  アルトというのはアルトホルンのこと。いまでも金管バンドで使われていますよね。ユーフォニアムを一回り小さくした楽器。役割としては、いまのフレンチ・ホルンにあたるといえばいいでしょうか。
  バリトンは、いまのユーフォニアム。
  あと、すでに当時から弦バスは入れてました。打楽器がスネアドラムとバスドラムしかないのは、これも人数が少なかったからです。
  こうしてみると、専門的ないい方をすれば「サクソルン属編成」に近いってことになるんでしょうが、とてもじゃないけど、そんな上等なもんじゃありません。「これしかなかった」からこんな編成になったとしか、いいようがないですね。
  休みの日には、僕の家に何人か集まって、楽器の練習をしました。これ、いま考えてもよくできたもんだと思いますよ。だって僕の家は、洋館長屋ですよ。別に広大なお屋敷でも何でもない。そこへ、ラッパだのトロンボーンやらを持った連中が5人も6人も集まって、ブンチャカドンチャカ、でかい音を出してたんですから。よく家族の者も、ご近所も、平気だったと思いますね。

▲自宅でトランペットの練習にはげむ岩井少年

■楽譜は「耳コピー」

 こんな中途半端な編成だったので、楽譜は苦労しました。楽器と演奏者は何とか揃ったけど、楽譜がない。もちろん海軍でも借りましたけど、どれも標準編成で書かれているから、わがブラスバンド部の編成では、そのままでは使えないんです。それに、当時の上海で手に入る海外の楽譜は、ジャズ・バンド用のものばかり。いわゆる吹奏楽(軍楽隊)編成の楽譜は、ほとんど手に入らなかった。
 そこで、仕方なく、自分たち用の楽譜を「つくる」ことにした。つまり自分で「編曲」するしかなかった。これが、僕の編曲人生の始まりです。
 といっても、音楽の専門知識があるわけじゃない。海軍で教わって、まあまあ楽譜は読めるようになってはいたけど、編曲法まで教えてもらったわけじゃない。何しろこっちは中学生ですからね。
 そこで、SPレコードから「耳コピー」で楽譜をおこしたんです。
手回し蓄音機でSPレコードをかける。ラッパ(いまでいうスピーカー)のそばに耳を寄せて、じっと聴いて、譜面に書き取っていく。
 SPは78回転ですからね。ものすごいスピードで回る。しかも、途中で止めることもできない。1回かけたら、最後まで聴きとおすしかない。もう必死ですよ。当時のレコードは竹針でかけますから、何回かかけるとすぐに針がダメになって交換しなきゃならない。そのうちレコード盤まで磨り減ってきて、ただでさえパチパチ雑音ばかりしているのが、やがて音楽だか雑音だかわからなくなってくる。
 だから「耳コピー」は、ほとんど一発勝負。後年、僕は東芝EMIの専属になって、恐ろしい数の編曲をこなすようになるんですが、あんな荒業ができたのも、この当時の耳コピーの経験があったからだと、つくづく思いますね。だから、「テープ」というものが登場したときは、ホントにうれしかった。何度でも、好きな箇所を、すぐに繰り返して聴ける。こんなありがたいものはないと思いましたよ。
 ブラスバンド部では、ものすごい数を耳コピーしたんで、もう記憶も混乱気味ですが、覚えているのは、この年(昭和14年)に大ヒットした≪愛馬行進曲≫(作詞・久保井信夫、作曲・新城正一)。陸軍が募集して発表した公式軍歌です。余談ですが、このとき募集を担当したのが、陸軍で馬政(馬に関する公用)を担当していた栗林忠道大佐です。最近、『散るぞ悲しき』というベストセラーで紹介され、再評価されてますでしょう。硫黄島で戦死した名軍人です。映画『硫黄島からの手紙』では渡辺謙が演じていました。
 あと≪愛国行進曲≫(作詞・森川幸雄、作曲・瀬戸口藤吉)や、オッフェンバックの≪天国と地獄≫なんてのも耳コピーで採譜したのを覚えてます。
 楽譜をつくるときに苦労したのは「移調」。慣れるまで、実に困った。耳で聴く分にはどの楽器も同じ音を出しているのに、楽器によって、譜面にするときは違う音で書かなきゃならない。最初のころ、いったい何でこんな面倒なことをするのか、まったく理解できなかった。
あと、なぜか当時の楽譜は、トロンボーンやバリトン(いまのユーフォニアム)の譜面が「ト音記号」で書かれているものが多かった。小型テューバである小(こ)バスもト音記号だった。何でだったんでしょうねえ……。ヘ音記号よりは読みやすかったからかな。まあ、こんな調子で、すべてがおおらかな時代でした。


■大演奏会?

 第3回で掲載した新聞記事にも出ていますが、楽器が揃ってブラスバンド部が本格的に活動を開始したのが昭和14年の夏ころ。夏休みの7月に海軍軍楽隊で特訓を受けて、もう8月からは陸軍病院への慰問演奏を始めました。荒っぽいというか、何というか……。先月まで楽器も吹けない、楽譜も読めない連中が、一月かそこらで、そんなことを始めるんですからね。しかも、8月13日には、市内で堂々と「第二次上海事変2周年記念パレード」なんてやっちゃってるんですから。そのうち、陸軍病院どころか、陸軍部隊そのものからも声がかかって、慰問演奏に行き始めた。
 指揮は、大人の指導者が誰もいないんで、生徒がやった。いまでいう「学指揮」ってやつですか。指揮どころか、海軍軍楽隊へ習いに行った以外は、普段の学校での練習も生徒だけでやってたんです。「無手勝流」以外のなにものでもありませんね。
 初代指揮者は、最上級生の5年生(いまの高校2年)、中村薫くん。副指揮者が4年生の池田稔くん。それに、ときどき3年生の僕も指揮しました。

▲創設一ヶ月で市内パレードまでやってしまった上商バンド。
指揮しているのは初代指揮者、中村薫(5年生)。

 

▲人が足りなきゃ、何でもやった。今日はシンバル役の岩井少年。

 実は、当時の上海商業学校(通称「上商」=シャンショウ)には、ブラスバンド部以外にも、ハーモニカバンドがあった。この2つをあわせて「音楽部」という組織になっていたんです。このハーモニカバンドもけっこう大きくて、盛んな活動をしていた。
  そのうち上海市内で、「上商のブラスバンドやハーモニカバンドはすごい」という噂が広まり始めた。だったら、合同で、一般市民のための大演奏会をやろうということになった。話はあれよあれよと大きくなって、会場は上海市内でもかなり大きなホール「大陸会館」になった。大陸新報社という立派な新聞社までが後援に付いてしまった。やる以上は大音楽会にしようと、小学校の女子コーラスやマンドリンも呼ぶという。それどころか、「ブラスバンドには岩井がいる。だったら、兄で有名な木琴奏者・岩井貞雄をゲストに呼ぼう」ということになってしまった。
  さあ大変、夏にできたばかりのブラスバンド部が、秋に大演奏会を開催することになってしまったんです。

【つづく】 

 

※第7回は8月29日(金)正午〜、掲載予定。
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)

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2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
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4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

8. 響きかぎりなく 【7:02】 

9. あの水平線の彼方に 【11:38】

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(2008.08.13)>>


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