吹奏楽マガジン バンドパワー 吹奏楽マガジン バンドパワー
吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第5回 最初のラジオ放送で演奏した父

 

 なんだか、自分のことよりも父親のことばかり述べているようだけど、もう1回だけ、お付き合いください。というのも、のちの作曲家・編曲家としての僕のルーツが父・岩井貞麿にあることは間違いないわけで、ところが、生前には、そういうことは自分ではまったく感じられなかった。いまになって、あらためていろんな資料を見たり、こうやって思い出したりしているうちに、「やっぱりそうだったんだ」とあらためて気づくようなことが、あまりに多いからなんです。


■クライスラーの缶詰
 前回、父が1937年(昭和2年)に出した『新しき笑いと教訓』という本の中の記述をもとに、父が乃木希典将軍のお宅と親しかったエピソードを紹介しました。
 ところが、この本は、タイトルからしてもわかるように、実際には「コント集」みたいな要素が強いんです。それも、ほとんどが、父の実体験ということになっている。果たしてどこまでが実話だったのか、少々怪しい雰囲気もあるんですが、この「コント」のほうに、どうも、僕に流れている血のルーツがあるような気がするんです。
 中に「缶詰のクライスラーと名酒ツベルクロース」という題の話があります。
父の親類に、「茶目」[ちゃめ…おふざけが好きな人のこと]がいたそうで、その家での話です。

 この家に毎日のように、食料品店の御用聞きがやってきて、「これはアメリカ製の何々」「これはイギリス製の缶詰」「これはフランス製の何々という酒」なぞと、半可通の聞き覚えの英語でしゃべりたてる。
 毎日のことで、いちいち買っていては大変だし、ペラペラ話し込まれても面倒だし、時にはおおいに困ることもある。
 ある日、例のごとく、この御用聞きが来て、ペラペラとしゃべりだした。

 で、この親類の「茶目」氏、この御用聞きをからかおうと決意するんです。

 「おい、クライスラーの缶詰があったら、持ってきてくれたまえ。しかし、小さな店にはあるまいよ、よほど大きな店でないとないだろう」
  御用聞きも、クライスラーという名の缶詰は初めて聞く、しかし、これを知らぬとあっては日ごろの広言に恥じるし、小さい店にはないということは、自分の店になければ、自分の店も小さい部類になり、店の信用にも関係し、あまり威張れなくなる。
  であるから、決して初めから「自分の店にはありません」とは言わない。これが商売の法だそうだ。
 「へいへい、帰りまして、ととのえて、さっそくお届け申し上げます」
  と、その日は帰った。
  あとで、「あいつ、何と言ってくるか」と、一同、噂して待っていた。
  翌日、この御用聞きがやってきて、
 「昨日ご注文のクライスラーと申します缶詰は、昨日まで店にございましたが、本日はあいにく売り切れてございません。もっとも横浜にはまいっておりますから、近日中に取り寄せてお届け申し上げます。へい、まことに間に合いませんで、お気の毒さまで……」
  と、頭をかいている。
  茶目君は、大真面目顔で、
「それは実に残念だった。ぼくは今日、そのクライスラーの缶詰が食いたくって、君が持ってくるのを待っていた。しかし、横浜にもあるまいよ。いまごろは、たぶんベルリンだろうよ」
「まことにお気の毒さまで、あいすみません。まいり次第にお届けいたします」
  なぞと、この御用聞き、「横浜にもあるまい、いまごろはベルリンだろう」という意味がわからなかったらしい。
  諸君、クライスラーとは知る人ぞ知る、世界的なヴァイオリンの大家で、関東大震災の前に日本を訪れ、帝国劇場で演奏した有名な音楽家の名前である。
  しかし注文するにも、クライスラーの缶詰とはでたらめにしてもふるっているし、「昨日まで店にございました」とは、なお傑作だ、

 このあと、茶目氏は、今度は「ツベルクロース」という酒を注文して、再び御用聞きを困らせています。この茶目氏、本職は医者だそうで、

 ツベルクロースとは「結核」という医者の術語だ。
  冗談にもほどがある。そんな「結核酒」なんぞ持ってこられてたまるものかい。
  しかし、この御用聞き、その酒があるともないとも、まだ返事してこないから、問屋などを聞き合わせているのだろう。

 そのほか、あるハイカラ婦人が、カフェー(喫茶店)に入って「ストロベリーをください」と注文したら、女給(ウェイトレス)が「それは、おあいにくさま(ございません)」という。「それでは、何があるの」と聞き返したら、「イチゴに、ブドウ……」というので、「では仕方ないから、そのイチゴをください」と注文した話も出てきます。
  そして、こう結んでいる。

 僕が生っかじりは大嫌いだ。
  半可通の英語なぞしゃべると恥をかく。おおいに慎むべきである。
  いったい、ここをどこだと思う。
  いやしくも大日本帝国だよ。イギリスやアメリカではないのだぞ。
  学問や研究には、外国語もおおいに必要なり、学ぶべし、極めるべし。しかれども、何を苦しんで、ことさら半可通の単語を話す要ありや。
  わが国は日本の国。日本の国では日本語の通用することを忘れるな。

▲のちに大阪のラジオ・スタジオで演奏する岩井一家(左から、母、父、兄)

■初のラジオ放送での演奏

  最後に、この本には、父が、日本初のラジオ放送の時期に、ナマ放送で演奏した話が出てきます。これはけっこう、貴重な記録です。父も、十分なスペースを割いて書いています。 日本のラジオ放送の最初は、1925年(大正14年)3月22日午前9時30分、現在のNHKが、芝浦の東京無線局・仮放送室から送信した、アナウンサーの「アー、聞こえますか。JOAK、こちらは東京放送局であります」が第一声だといわれています。
 僕が1歳半のときですね。
 で、この本には、その東京無線局・仮放送室のスタジオから父と母の演奏が放送されたときのことが書かれているんです。正確な日時は出てこないんですが、中に「一昨年の大震災の時でさえ、泰然自若たりし僕も、幾万の聴衆が聞いているかと思うと……」との記述があります。関東大震災は1923年(僕の生まれた年)ですから、それが「一昨年」ということは、まさに1925年、ラジオ放送開始の年です。どうやら夏ころのことだったらしい。
 だから、ここに書かれているのは、ほぼ、日本でラジオからナマ放送で音楽演奏した、最初期の記録だと思うんです。
 かなり長いので、抜粋しながら紹介します。

 蓄音機に吹き込んだ経験はしばしばあるが、ラジオで放送するのは今回が初めてで、誰もいない、しかも窓ひとつない、音の反響を止めてある部屋に、この暑いのに、何の因果かビシーッと締め切って僕は入った。
  例のごとく、僕はヴァイオリン、妻はピアノで伴奏する。
 「始め!」の信号とともに、ピアノと一緒にドーンとやった。平素、自室であるとガーンと心地よく響くのであるが、反響を止めてあるのでおおいに様子が違って、綿で耳に栓をしているようだし、いかに聴衆に聴こえているか、そんなことは自分には一切不明で、従って、手心ができない、何だか変な感じがする。
  ここは芝浦の東京無線放送局の仮放送室である。最近新設された愛宕の山・本放送室ならば、設備は万端整っているが、仮放送室のこととて、換気そのほか、十分でないとの話。
  室内の温度はますます上がる一方で、インド洋の真ん中で腰湯をつかっている苦しさだ。ことにその日は、近来にない暑い日であった。
  僕は生来の油っ手であるので、油は汗とともに遠慮なく出る。夢中で弾けば弾くほど出て、指が弦の上を、諏訪湖のスケートのように滑る。自分ながらいやになるような音が出る。
  二分間休憩といえども、ただ汗を拭くだけだ。再び用意の信号とともに、また始めた。
  かくして予定の曲目を終わるやいなや、僕は一目散に室外へ飛び出した。
  アンコールの注文が、各所から電話できているので、事務員諸君は、その対応に忙殺されている。この上アンコールなぞやらされてみろ、暑がりの僕は、さっそく黒枠つきの死亡広告だ。アンコールは願い下げと、断然決めた。
  隣の休憩室の椅子にやれやれと腰を下ろし、背中に扇風機の風を浴びたら、たちまち蘇生の思いで、アムンゼン大佐の北極探検に加わったように涼しくなった。
  家へ帰ってみると、各所から「驚いた」「よく聞こえた」「面白かった」「あんな面白い曲なら毎晩でもいい」などと電話がくる。友人たちからは「なぜアンコールしなかったのだ」という電話だ。
  この日の曲目は、主として、故・北白川殿下よりそのご生前に拝領したる楽譜と、妃殿下がフランスより持ち帰りあそばしたものを、拝借して演奏したことを光栄といたします。
  姫宮様や、若宮様方のお好みの譜であるので、その夜は、各宮殿下、ご多忙中にもかかわらず、私どもの拙劣なる放送にもお耳をお傾けくださった、ありがたいことだ。
  その中に、某宮様ご直々に、妃殿下にお電話をおかけになったそうだが、
「いま、岩井がラジオをやっておりますから、それがすんでからおかけいたします」と、一度、電話をお切りになってまでお聴きくださったと、あとで承って、ますます恐れ多きを感じた。

 
  まあ、最初期のラジオ放送ってのは、それだけ珍しかったということでしょうね。いまでも、スタジオやホールで録音する際は、空調エアコンを切りますから、冬だと寒いし、夏だと暑い。昔から同じだったんですね。
 残念ながら、このとき、父と母が、具体的に何を演奏したのかは、出てこないんですが、最後に、こんな話が出てきます。

 ラジオ放送の日の新聞に、僕の出した曲名や作曲者名が、だいぶ違って印刷されている、のみならず、僕の名前の「岩井貞麿」が「岩井貞」と、放送局の印刷物に刷ってあったので、世の中には間違いがあるものだと思った。
 僕の友人に、面白い男がいて、案の定、電話をかけてきた。
 「君、あのスピヤメントと書いてあるが、あれはフランス語読みかい、ドイツ語読みかい、何だか変だねえ」
 「あれはスピヤメントではない、スペアミントの誤りだよ」
 「そうか。作曲者のチュリネーというのも、変だねえ」
 「うん、チュリネーではないよ、ツリヌーと、普通読んでいる。しかし正確なことは、僕もパリの区役所の戸籍係ではないから、明答はできないよ。日本でも、たとえば軍人で総理大臣だった山本権兵衛を、みんなゴンベーと読んでいるが、ゴンノヒョウエが本当なんだ。生まれたときに親父さんが、子々孫々に至るまでゴンノヒョウエと読めといって、軍艦の進水式のように、産湯の中で命名式をされたそうだ。権兵衛さんは僕の親類で、しかも叔父さんだからよく知っているよ」
 「おやおや、君は山本権兵衛総理の親類かい。長く交際していながらまったく知らなかった。初めて知ったよ」
 「うん。権兵衛さんは親類に違いないがね。僕の叔父さんの権兵衛さんは、ゴンベーが種まきゃカラスがくる、あのゴンベーどんなんだよ」
  やっこさん、一本まいって、電話口で吹き出している。

 とまあ、ラジオ最初期放送の話も、最後はこうです。
  ちなみに、後年、今度はNHKのTV試験放送で、僕が演奏することになるのも、何か奇妙な縁を感じます。


[引用部分は、全体を現代語表記に直し、一部、読みやすくあらためた/富樫]

【つづく】 

 

第6回は8月15日(水)正午〜、掲載予定。
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)

(C)岩井直溥・富樫鉄火/バンドパワー
※記事中の文章を、紹介引用の範囲を超えて、著作権者(岩井直溥・富樫鉄火)および出版権者(株式会社スペースコーポレーション/バンドパワー事業部)の許諾なく、紙誌・ネット上に再掲載することを固く禁止します。
※記事中の写真を、上記著作権者・出版権者の許諾なく、紙誌・ネット上に複写掲載することを固く禁止します。


その輝ける軌跡。巨匠、初の吹奏楽オリジナル作品集がついに登場!


『EVERGREEN 〜岩井直溥作品集〜』

岩井直溥&東京佼成ウインドオーケストラ

 日本音楽界の生き証人、岩井直溥の自作自演による吹奏楽オリジナル作品集。名アレンジャーとして名を馳せる氏の吹奏楽オリジナルといえば、70〜80年代にかけて綺羅星のごとく輝いたコンクール課題曲が有名だが、このアルバムではさらに自由曲として全国大会での演奏経験もあるオリジナル作品や、秘蔵の名曲も収録。岩井×TKWOのゴールデン・タッグによるこの記録は、日本吹奏楽にとって大いなる遺産となるであろう。

BPショップにて発売中 http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1548/

【収録曲】

編曲・作曲:岩井直溥(Naohiro Iwai) 【全曲】

1. シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」 【3:29】
   Syncopated March "Asuni-Mukatte"

2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
   On Main Street

4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

8. 響きかぎりなく 【7:02】 

9. あの水平線の彼方に 【11:38】

【ボーナストラック】

10.靴が鳴る/弘田龍太郎(arr.岩井直溥)

BPショップにて発売中 http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1548/

(2008.07.30)>>


■岩井直溥関連CD
■ニュー・サウンズ・スペシャル
■EVERGREEN〜岩井直溥作品集
■ベスト・ニュー・サウンズ・イン・ブラス100−ベスト吹奏楽II
jasrac番号吹奏楽マガジン バンドパワー