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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第4回 乃木将軍と音楽

 

 前回の最後で述べたように、父は1937年(昭和2年)に、『新しき笑いと教訓』という本を出しています。「笑い話・教訓集」なんですが、これを読むと、コントのような話のほかに、父がどのような音楽環境にいたか、また、明治から大正にかけての日本における西洋音楽の受容ぶりがたいへんよく分かります。
さらには、「ああ、この岩井貞麿という人は、確かに僕の父なんだなあ」と思わされる部分もあります。今回は、この本から、いくつかご紹介しましょう。


■乃木将軍家に出入りしていた父

 この本の中身は、いまでいうショート・ショートばかりですが、いくつかは、かなりの分量の項目もあります。
 そのひとつが≪乃木将軍と音楽≫。
 いま、これを読んでる若い方々は「乃木将軍」なんていっても、わかんないだろうねえ。
乃木希典[のぎ・まれすけ](1849/嘉永2〜1912/大正元)。明治時代を代表する軍人です。日清戦争(1894/明治27〜1895/明治28)、日露戦争(1904/明治37〜1905/明治38)で活躍した功労者。日露戦争では2人の息子が戦死し、「わが子を国に捧げた」といわれた。その後は学習院院長となり、特に昭和天皇の教育にあたられる。明治天皇が崩御すると、その大葬の夜、夫婦揃って自害し、あとを追った。
 まあ、典型的な明治の男ですね。
 で、父は、その乃木家と親交があったようなんです。
 ≪乃木将軍と音楽≫は、こう始まります。

 旅順口の戦で名高き乃木将軍!
  親しく接せざりし人は、その名を聞いただけでも怖い将軍と思い込み、気の弱い人は縮み上がってしまう。
  だが、突貫と肉弾よりほか知らぬ人だと思いがちだが、これが大間違い。文武両道に秀でる武将の典型である。
  私は音楽をやる。始めてから20有余年。我こそは世界一、日本一の大音楽家とは申さぬが、これでも音楽を知らざる人から見れば「先生様」だ。
  旅順口で戦死した将軍の令息2人は私の親友。遊びに行っては、僕はヴァイオリンを弾いたり菓子を食べたりしゃべったり、ある時などは朝から行って晩飯までご馳走になり、風呂まで入って帰ってきたこともしばしばあった。
  乃木将軍も始終、その部屋に顔を出されて私の拙劣なる音楽に耳を傾けてくださった。そして、「中国でも昔より<礼楽>と称し、音楽をもって修養の一科となしてある。おおいにまじめに研究せよ」と力づけてくださった。私もその言葉に感激して一生懸命「まじめの音楽」ということを標榜してこれをおさめた。私の今日あるのも、その賜物である。

 そして、日露戦争で、乃木将軍率いる第3軍が旅順を陥落させ、奉天に司令部を置いたとき、連戦連勝ムードに兵士たちの士気がゆるみ始めた。すると、

 将軍、おおいにこれを憂い、この惰気を一掃するのは音楽に限る、軍楽に限る、と思いつかれた。自ら志気を鼓舞せんがため、軍歌をつくられ、これを第3軍付属軍楽隊長に命じて作曲せしめて、朝に夕に集まりともに合唱せしめられ、その一方、軍楽隊に各宿営地を巡回せしめて奏楽させておおいに志気の涵養につとめられた。

 こういった戦場における軍楽隊の効用が具体的に説明され、

 将軍が凱旋後、よく私にこの話をされた。「軍隊に音楽の必要なことは戦地においてしみじみ、これを感じた。君もそのつもりで、一生懸命、頼む」といわれた。将軍がかく思われたくらいだから、よほど、その必要を認められたものと思われる。

 とまあ、いかに乃木将軍が音楽に理解があったかが、綴られています。
  そしてここからが父のいいたいことで、これからさらに戦争ともなれば、時代は「連合軍」となっているから、他国の軍人たちと接する機会が多くなるはずだ、というのです。そんなとき、

 「日本の将校音楽(軍楽)を聴かせてください」「ダンスはいかがですか」と促されたとき、ガリガリ頭に青筋を立て、四角張ってサンマの干物のように堅くなって「私はダンスは知らんであります」「私は音楽なぞはわからんであります」とやるのが、これまで大部分であった。こんな風では、意思の疎通なぞ思いもよらぬ。これだから常に不利の位置に立たせられて馬鹿にされる、軽蔑される、日本の将校は野蛮だな、とあとで陰口を叩かれる。「日本の将校は戦が強いだけで、文学も音楽もわからない低級なものである、彼らはブルドッグに等しい」と。こんな調子では、甘い汁はいつも外国軍に吸われてしまいはいたさぬか。

 なかなか先見の明があったんですね。たまたま音楽を例にしていますが、これ、先日の洞爺湖サミットにおけるどこかの国の首相みたいじゃないですか。

 僕はぜひ、日本の将校連中に音楽を奨める。必ずしも自分自身でヴァイオリンを弾いたり、ピアノを奏したりすることは第二の問題として、聴くだけの力を養ってもらいたい。諸君が西洋料理を食べて、これはうまいとかまずいとかいう味覚を有しているがごとく、音楽を聴く力、すなわち「聴覚」をもおおいに修養することが必要だ。
  音楽をやったり聴いたりしたとて、決して恥にはならぬ。柔弱にもならぬ。もってのほかだ。
  音楽を聴いて、あの曲は○○行進曲であるとか、ダンスに用いる曲か、ワルツか、くらいはわからなくては、文明の今日、わが国の将校としてはその資格に乏しい。軍人の口癖にいう「攻撃精神」は、単に講話や訓示などではだめである、不足である。
  僕をしていわしむれば、兵卒に「音楽」、すなわち「軍楽」を聴かしむるに限る。すなわち「行進曲」をおおいに聴かすのである。

 ここから、「行進曲」の効用が綴られます。それがいちばん簡単な軍人教育である、と。
なのに、

 簡単にしてかつ実行しやすきことを尊ぶ軍隊において、なぜ、音楽を利用しないのであるかと、僕は平素より不思議に、かつ遺憾に思っている。
  軍隊には「軍楽隊」という立派な一団体があるではないか。
  なのに、それを兵卒教育に利用する道を知らぬ。知らぬがゆえに不用視される。軍楽隊は、ただ奉迎奉送、あるいは年に一、二度の観兵式にのみ用いるものと思っている。邪魔者扱いにされるのも無理はない。
  不用視したり邪魔者扱いにするのなら、軍縮のこの時期だ、きれいさっぱりと全廃したほうがよい。
  僕は、時勢に順応し、全国の各師団に一隊くらいの軍楽隊が設けられているものと思ったら、なんと、ドシドシ減らして、いまでは東京にたった一つ、大日本帝国の軍楽隊は哀れにその痕跡をとどめているだけだという。
  あるところで外国人に「あの軍楽隊は、どこの連隊の付属か」と聞かれて、僕は実に返答に窮した。まさか日本にたったあれだけだとは、大和民族たる僕の口からは言えなかった。実に哀れ無情を感じた。外国には連隊ごとにあるのだから話にならぬ。
  日本の軍楽隊は、明治の初め、現陸軍の創設当時よりある。明治4年ころにおいて、すでに軍隊に軍楽隊の必要を認めて、それを編成内に加えた西郷隆盛ドンたちのほうが、大正の今日の時勢に逆行しドシドシ打ち潰しにかかっている人たちよりも、実にえらいもんじゃ。諸君もそう思わないか!?

▲乃木将軍家とも親しかった、父・岩井貞麿

■芸者軍楽隊?

 どうもこのころ(大正時代)は、陸軍の中央に軍楽隊があるだけだったみたいですね。
時代が時代ですから、こういった「提案」は、すべて軍隊や戦争がらみの話になっていますが、要するに父がいいたかったことは、もっと音楽を生活の中に組み入れよ、ということだったのでしょう。息子の僕がいうのもナンですが、けっこう、いいことをいっています。
ところが、ここから先が、なんというか、まさに「岩井貞麿」ならではというか、「ああ、やっぱり僕の父親だなあ」といいたくなる部分なんです。

 今日のごとく、わずかに痕跡をとどめる程度に軍楽隊の一小部隊を残しておくくらいなら、軍縮の今日、いっそ全廃したほうが国費の出費もいくぶん楽になる。もし観兵式などに音楽が入用とあらば、すべからく芸者の動員を行い、文金高島田、左褄をとって整列せしむる。
 「分列、前へ!」
  の号令とともに、三味線、太鼓に、笛、鼓で「コリャコリャ、ドンドン、チン、ツン、シャン」とやる。足は揃う、兵隊は喜ぶ、士官も喜ぶ。
 「頭[かしら]、右!」
  おっとどっこいと、頭を右に向けて芸者隊に敬意を表する将校も出てくるだろう。
  今後、また戦争が始まれば、国民軍も出れば、女軍も出征の覚悟が必要だ。芸者の動員のみならず、女軍が出れば女医も出る。産婆隊も編成されて分娩器具を馬に積んで「前へ!」。
  滑稽だ、空想だ、なぞと思ってはいかん。男も女も国をあげてつとめる覚悟が必要だぞ。

 さっきまでまじめに、戦争における音楽の効用や軍楽隊の必要性を論じていたのに、急にこれでしょう。
  でもね、僕が後年、特にポップス・アレンジで使う手法に、どこか似てるんですよ。ある時点までカッチリ進んでいたのが、途中からガラリと姿を変えるスタイル。やはり「血」なんでしょうか。


■女子学習院、音楽教育のルーツ

 ただし、この≪乃木将軍と音楽≫の章は、この手のお笑いでは、終わっていません。
 最後に、乃木将軍がいかに音楽に理解があったか、具体的なエピソードで締めています。
 現役を引退し、学習院の院長になった乃木将軍のもとに、あるとき、女子部の生徒数名が「自習用のピアノを備えてほしい」と懇願にきたそうです。
 で、タバコを吸いながら話を聞いていた乃木将軍、その日の昼食時、姿が見えなくなった。いったい、どこに行ったのかと思いきや、

 将軍の乗馬姿が銀座の楽器屋の店頭に現れた。店員は将軍のご来店とあって、頭が地べたにつくほどお辞儀をした。
  院長は馬上より三軍を叱咤する大声とはうって変わって優しい声で、
 「ピアノを2台、すぐ学校に届けてくれよ」
  と、生徒のためにピアノを注文せられ、再び馬首をめぐらして帰っていかれた。
  翌日、荷車に積んだ新しきピアノ2台は、エッサカホイの掛け声勇ましく運ばれ、自習室に備え付けられた。
  生徒は飛び上がって喜んだ。自習室からは妙なるピアノの音がもれてくる。院長もこれを喜んで聴いておられた。これが基礎となって、女子学習院で、今日、秩序的にピアノを教えるようになったのである。

 つまり女子学習院でピアノ教育が行われるようになったのは、乃木将軍のおかげだというわけです。
  そしてさらにラストで、こんな話が紹介されて、≪乃木将軍と音楽≫は、終わります。

 ××子爵に会ったとき、
 「岩井くん、うちの娘もピアノを習いたいといっているが、いったい、音楽なんてものは嫁に行っても必要かね」
  と聞く。
  なんという愚問だろう。いまどきの紳士、○○大学卒業生、枢要な地位、光栄なる職にいる人が「音楽が嫁に行っても必要か否か」とは。
  僕は「回答の限りにあらず」と答えてやりたかったが、
 「音楽は女子学習院でも教えておりますよ。女子学習院は皇后陛下の思し召しによって建った学校です。その学校で教えているからには、皇后陛下が音楽を必要と思し召されたからでしょう。嫁に行っても必要であるや否やは、私にはわからない。皇后さまにうかがってごらんなさい」
  ××子爵、ギャフンとまいった。


[引用部分は、全体を現代語表記に直し、一部、読みやすくあらためた/富樫]

【つづく】 

 

※第4回は7月30日(水)正午〜、掲載予定。
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)

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2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
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   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
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6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

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