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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第2回 兄は天才シロフォン少年

 

 「上海に行く」といっても、いまの若い人たちにはピンとこないかもしれないね。簡単にいうと、中国の上海という町は、当時、ほとんど「日本」みたいなものだったんですよ。
  もともと上海には「租界」があった。「租界」とは、他国民による居留地のこと。自治権も認められていて、いわば「外国の中の、そのまた外国」。イギリス租界、アメリカ租界、フランス租界があった。のちにこれらが一緒になって共同租界になりました。
  つまり上海は、当時のアジアでは最大の国際都市だったんです。
  もともと日本人は、明治時代の日清戦争に勝利した特権として、昔から上海にけっこう住んでたんです。多くはイギリス租界やフランス租界の中で暮らしていた。そのうち日本人がどんどん増えて「日本人町」ができ、長崎〜上海間に定期航路が開設し、上海は日本から1日で行けるようになる。日本人学校や日本企業なども進出し、日本総領事館もできた。だから上海は「外国」ではなく、ほとんど日本の一部みたいな意識だったんです。
  しかし、やはり他国へ無理やり入り込んだわけですから、いつかトラブルになるのは当然です。
  僕がまだ香港にいる頃の1932年(昭和7年)に、第一次上海事変が起きている。当時、日本軍はジワジワと中国に進出しており、反日ムードが高まっていた。そしてついに上海で戦闘状態になるんです。最終的に中国軍が撤退して停戦となりましたが、この戦闘で、3人の日本兵が、点火した爆弾を抱いたまま敵陣に突っ込んで血路を開いたというので、通称「爆弾三勇士」と称してたいへんな話題になったもんです。


皇族家に出入りしていた岩井一家

  僕が上海に移ったのは、小学校5年生になった1934年(昭和9年)ですから、もう上海の町も落ち着いていました。
 で、ここで前回の最後につながるわけですが、行ってみたら、兄の貞雄が天才シロフォン(木琴)少年として、上海で大スターになっていた。その人気ぶりは尋常なものではなかった。当時上海にいて、音楽に興味を持っている方だったら、間違いなく知っていたと思います。
 実は、父が遺したスクラップブックが数冊あるんですが、この中身がすべて、兄・貞雄の活躍を伝える新聞・雑誌記事、プログラム、チラシ類でぎっしり埋まっています。新聞記事といっても、日本語新聞だけじゃないんですよ。英語新聞、ロシア語新聞、とにかく当時上海で発行されていたすべての新聞に載っている。よくもまあ、こんなにたくさんの資料をきちんとスクラップしたものだと思います。父にすれば、息子の活躍が自慢というか、うれしかったのかもしれませんね。何しろ、記事類の日付をよく見ると、ほぼ連日、どこかでコンサートが開催され、話題になっているんですから。
 新聞記事にはよく写真も一緒に載っていて、兄がシロフォンを弾き、母がピアノ、後ろで父がヴァイオリンを弾いているものが大半です。これが、典型的な演奏スタイルだったのでしょう(ただ、中には父が弦バスを弾いている写真もある。器用な人だったんでしょうねえ)。

▲これが典型的な演奏スタイル。兄・貞雄=シロフォン、
父・貞麿=ヴァイオリン、母・延枝=ピアノ(ロシア人向けコンサートのプログラム表紙)。

 それら膨大な数の新聞記事の中から、典型的なものをひとつご紹介しましょう。

 光栄の岩井氏一家 きのう夜、御前演奏
  十九日入港した練習艦隊旗艦「八雲」に、砲術長として御乗組の久邇宮朝融王殿下におかせられては、同夜、フランス租界の有吉公使の官邸で御晩餐をともになされてのち、特に御前に召された、岩井貞麿一家の音楽演奏奉仕に御興じあそばされたと、漏れ承る。
  上海の地で、宮様への御前演奏奉仕の光栄に浴したのは、この岩井一家が初めてであるが、同家はこれまで、内地において各宮御殿下よりお召しを蒙り、御前演奏を奉仕したこと前後三十余回。今回もその御縁故により特にお召しにあずかったものと拝せらるる。
  なお同夜、岩井一家が奉仕した演奏の曲目は、貞雄君の木琴独奏(姉さんの清子さんがピアノ伴奏)で、メンデルスゾーン作『コンツエルト第三楽章』、サラサーテ作『ザパチアート』、ベートーベン作『クロイツエル・ソナタ』。および、岩井貞麿謹作の『燦然たる光輝』。清子さんのピアノ独奏でシューベルト作『アンブロムブテュ』などであった。
  しかしてこの破格の光栄に感泣した岩井一家は二十日午後九時より約三十分間、XQHA放送局から練習艦隊歓迎放送をなすはずで、そのプログラムは大体左のごとく決定している。
  木琴独奏 岩井貞雄君
  ピアノ伴奏 同延枝夫人
  ヴァイオリン助奏 同貞麿氏
一、皇太子殿下御降誕奉祝行進曲『燦然たる光輝』岩井貞麿謹作
二、『クロイツエル・ソナタ(フイナーレ)』ベートーベン作
三、『ザパチヤード』サラサーテ作
四、『ロンド・ル・ルータン』プツヂニー作
五、『天壊無窮』岩井貞麿謹作

[昭和9年「上海日報」。掲載月などの詳細不明。一部、現代語表記に修正/富樫]

▲御前演奏を伝える新聞記事

 ここに出てくる久邇宮朝融王[くにのみや・あさあきらおう]という皇族は、昭和天皇のお后・香淳皇后のお兄さんです。海軍中将にまで昇った人ですが、婚約破棄事件を起こしたり、戦後は皇籍離脱して香水を製造したり、なかなかユニークな皇族だった。
  そのほか、当時の新聞・雑誌などのタイトルだけでも、こんなものがあります。
  「偉大なる木琴の天才児 岩井貞雄君の演奏会」「未曾有の盛況」「演奏会入場券はすべて売り切れ」「岩井少年演奏会、素晴らしい人気を呼ぶ」「降雨を犯して来場した聴衆五百 岩井少年の妙技に蕩酔す」「これこそ実際世界唯一の天才児」「ニッポン少年の花々しい国際的進出」「波蘭(ポーランド)宝石商 岩井天才少年に五万円の申し込み 欧州演奏旅行に」……きりがない。上海の米軍軍楽隊とも共演しているし、外国人向けの演奏会も頻繁に開催している。上海どころか、台湾にも演奏会に行っている。「あす訪米の旅から帰る」なんて記事もあるんで、アメリカにまで演奏旅行に行ったんでしょうね。それどころか、まるで「世界ツアー」でもやったかのような記事もある。

▲上海の劇場で米軍の軍楽隊と共演する兄・貞雄



■兄・貞雄の腕前
  とにかく上海での兄の活躍ぶりはすごいものだった……らしい。「らしい」というのは、僕自身は、ほとんどその場にいないから。だから、どれほどすごい腕前だったのか、僕にはわからない。
  ある新聞に演奏評が載っています。

『コンチエルト』(アレグロ)メンデルスゾーン作……重音に対して、あれだけのデリケートな表現を木琴でなしえたことは、技巧の熟達とあわせて敬服のほかはない。
『ハンガリヤン狂詩曲第二』リスト作……当夜の曲中、第一の出来の一つである。明朗の曲と軽快な演奏は、聴衆の心を激しくそそりたて、シロフオンという楽器の生む妙音を人はいまさらに味わったことだろう。
『ウ井リアム・テル』抜スイ クライゲル作……貞雄少年得意の曲である。軽快な駒の足並みのごとき全曲を通して、貞雄少年は自ら半分蕩酔して奏でていた。これはオーケストラの伴奏で聞き直したいような味である。この大曲を完全にマスターしている少年の技巧はねたましいものがある。

[「商工新聞」昭和7年6月2日付より抜粋。一部、現代語表記に修正/富樫]
 
  この記事は、単なるお世辞記事ではないようですよ。その証拠に、ほかの曲では、こんな突き放したような評もありますから。

『ホーム・ス井ート・ホーム』(ヴアリエーシヨン)ホーマー作……人口に膾炙する静かな静かな名曲。曲は甚だ木琴向きではない。しかしこれは曲と楽器の性質の間に横たわる隙間であるから如何とも致し方ない。
[同上]

 兄が演奏していた曲は、これらでわかるとおり、いまでいう「通俗名曲」がほとんどだったようです。しかし、かなりの腕前だったことは、どうも間違いないようですね。それに、子供が「半分蕩酔して」シロフォンを弾くんですから、見た目も面白かったでしょう。
これらの新聞記事からわかることは、

[1] すでに日本にいるころから、岩井家は皇族のもとに出入りしていた。
[2] 父・貞麿は作曲もこなしていた。
[3] 兄がシロフォン、母がピアノ、父がヴァイオリンのトリオで演奏することが多かった(時には姉も加わった)。

 ということ。
  で、おそらく読者の皆さんは、そんな「岩井トリオ」に僕が加わって、それが音楽の道に入るきっかけになるのだろう……と思っているでしょう? 残念でした。僕は、この「岩井トリオ」には、まったくかかわらないんです。
  父は、兄のマネージャー役であり、後ろでヴァイオリンを弾く共演者であったと同時に、一種の音楽プロデューサーもやっていた。そのため、共同租界にあった自宅には、しょっちゅう、音楽関係のお客が来ていました。しかも外人も多かった。いまでいう「外タレ」ですよ。指揮者だの歌手だの演奏家だの。それにとにかく軍楽隊が好きだったから、アメリカやイギリスの軍楽隊のコンサートをひんぱんに主催していた。上海グランドシアターで、よくアメリカ軍楽隊のコンサートをやってました。時折、僕も連れて行かれた。最後は必ず≪星条旗よ永遠なれ≫で終わっていたのを覚えています。新聞記事の中には、「岩井音楽研究所主催」なんてのもあるから、おそらくそんな名前で主催していたんでしょうね。


■父は作曲も……

  ちなみに、さっきの新聞記事に、父・岩井貞麿作曲の、皇太子殿下御降誕奉祝行進曲≪燦然たる光輝≫というのがあったでしょう。この曲も、当時の上海では、けっこう話題になったみたいで、楽譜写真付きで、デカデカと新聞に紹介されています。

▲父・貞麿が≪燦然たる光輝≫を作曲したことを伝える新聞記事。
ピアノスコアの上に、パッチ楽長の署名がある。

 ここでいう「皇太子」とは、今上天皇のこと。御降誕(誕生)日は昭和8年(1933年)12月23日です(いま、この日が天皇誕生日ですよね)。これを祝して、翌年の2月に父が作曲したマーチが≪燦然たる光輝≫です。
 新聞の写真を見ると、マーチといっても、ピアノスコアで作曲したみたいだね。記事によれば、「わが上海の楽壇に貢献多い楽人の岩井貞麿氏」が、「皇太子御降誕の報を耳にするや、湧き上がる感激の情を禁ずるに能わず、いわゆる一種の霊感に打たれて思わずペンをとった」そうです。
 で、そのスコアを共同租界工部局オーケストラのパッチ楽長に見せたところ、「その出来栄えを賞賛して、わずか一、二箇所に修正を加えたのみ」で、表紙に「皇太子殿下の御多幸を祈り奉る」旨のサインをしてくれたとか。「工部局」とは、上海の共同租界を統治していた外国による役所のことです。ここにオーケストラがあったんですね。
 いま、このスコアは残っていません。どんな曲だったのやら……。なお、父が作曲した曲はほかにもありますが、これらに関しては別の回で述べましょう。
  さて、やがて僕も、小学校を卒業して、いまでいう中学校、上海「日本商業学校」に進むことになった。
 そして2年生の昭和12年(1937年)8月、第二次上海事変が起きるんです。

【つづく】


※第3回は6月30日(月)正午〜、掲載予定。
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)

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2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
   On Main Street

4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

8. 響きかぎりなく 【7:02】 

9. あの水平線の彼方に 【11:38】

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