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吹奏楽ポップスの父 昭和大爆走!


第1回 幼少時代

 

 生れは大正12年(1923年)10月2日。
 生れた場所は、東京都新宿区牛込薬王寺44番地。いまの住所だと新宿区市ヶ谷薬王寺。ちょうど東京女子医大のそばの住宅街。いまの地図で見ると、国立印刷局の官舎のあるあたりだね。
  この大正12年10月2日っていうのは、まさに関東大震災(9月1日)の1ヵ月後。幸い、うちはそれほどの被害には遭わなかったらしいけど、それでも塀が倒れたりして大変だったみたい。しかし考えてみれば、大震災の時に、お袋は僕をお腹の中に宿していたわけで、もうほとんど臨月だったんだから、大変だったろうと思うよ。


■名前「直溥」の秘密

 名前は「直溥」[なおひろ]。
 この「溥」っていう字は、よく「珍しい」とか「読めない」とか言われる。いまでこそパソコンの時代になって簡単に出力できるようになったけど、ワープロ初期のころは、なかなかない字でね。よく出版社からゲラが届くと「博」になっていたり、あるいは、小さな印刷所だと活字がなくて「〓」になったりしていた。だから昔の楽譜や記事では、しばしば「岩井直博」となっていた。いまネットで検索しても「岩井直溥」「岩井直博」の両方が混在しているみたいだね。のちに一緒にバンドを組む、ドラマーで俳優のフランキー堺(1929〜96)の自伝に『芸夢感覚 フランキー人生劇場』(1993年、集英社刊)って本があって、中に僕のことがちょっと書かれてるんだけど、ここでも「岩井直博」となっている。
 でもね、実は本来は「直博」だったんですよ。
 父は、最初「直博」と命名した。ところが、役所に届ける前に、姓名判断に詳しい知人に見てもらった。そうしたら、苗字の「岩井」が「水」に縁のある文字だ、だから下の名前にも「水」にちなんだ文字を入れなさいと言われたんだって。「博」だと、左側が「木偏」[きへん]で、水とはかけ離れている。そこで「木」の部分を「 」にした。この「 」は、「水」の意味ですからね。「水偏」と書いて「さんずい」と読む。
 そんな名前を付けた父親のことだけど、その前に祖父のことを話しておこうか。

▲のちに上海へ移ったころの岩井氏(昭和9年、小学校5年生のころ)

■祖父は名門軍人

 祖父は野崎貞澄という明治の陸軍軍人です。けっこう出世した人で、昔の軍隊の資料類にしょっちゅう名前が出てきます。もともと鹿児島藩士だったけど、明治10年(1877年)の西南戦争では、官軍(新政府)側の討伐隊として薩軍(鹿児島)と戦っている。西南戦争とは、鹿児島を中心とする南九州の士族が、新政府に対して起こした反乱でしたが、官軍の勝利に終わっている。
 薩軍を征伐した祖父は、東京へ出てきました。たぶん、官軍の軍歌≪トコトンヤレ節≫(品川弥二郎・作詞、大村益次郎・作曲)、別名≪宮さん宮さん≫に乗って凱旋したんでしょう。

♪宮さん宮さん お馬の前に ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの 錦の"御旗"[みはた]じゃ知らないか
トコトンヤレトンヤレナ

 余談ですけど、この歌詞にある「宮さん」というのは、西南戦争で、鹿児島の反乱軍を討伐した有栖川宮のことです。
 で、祖父はその鹿児島藩士だったけど、官軍側で戦ったもんだから、東京へ来たはいいものの、もう鹿児島へは帰れない。そのまま東京にとどまった。しかも祖父は、この戦功で男爵位を授かって華族に列せられた。以後、軍人としてどんどん出世する。広島や仙台の鎮台司令長官を経て陸軍第六師団長。この第六師団とは、熊本を中心とする九州南部の師団です。そして陸軍中将として近衛歩兵第一連隊長までつとめた。いわゆる"エリート軍人"ですよ。
 で、この野崎貞澄中将の息子が、僕の父・岩井貞麿[さだまろ]です。生れは明治16年。「野崎」の息子なのに姓が「岩井」なのは、のちに野崎家から岩井家に養子に入ったからです。
  で、この父・岩井貞麿とは、どんな人で、何をやっていたのか……。
  これを説明するのが実に難しい。


■父は陸軍戸山学校の軍楽隊で……

 父は職業軍人の息子だから、最初は軍人を目指していたことは間違いない。現に陸軍戸山学校に入っていたらしい。いまの新宿区戸山、都立戸山公園(箱根山)にあった学校です。
 ここには軍楽隊があって、陸軍における吹奏楽教育の中心だった。日本の吹奏楽は、陸軍と海軍の軍楽隊が基礎となって発展した。特にこの陸軍戸山学校の軍楽隊がのちに「陸軍軍楽隊」となって、戦後は、短期間、宮内省禁衛府(皇宮警察の前身)の音楽隊となり、さらには日本放送吹奏楽団の母体となるんです。この「日本放送吹奏楽団」てのは、要するに"NHK吹奏楽団"。もっとも、すぐに解散しちゃうんだけどね。
 でも、日本の戦後の吹奏楽のある部分は、この陸軍戸山学校軍楽隊(=陸軍軍楽隊)が担ったようなもの。たとえばのちに陸上自衛隊中央音楽隊の初代隊長をつとめ、≪大空≫などを作曲した須摩洋朔さん(1907〜2000)や、日本の吹奏楽の基礎をつくった山口常光さん(1894〜1977)なども、ここの隊長だった。團伊玖磨(1924〜2001)や芥川也寸志(1925〜89)、≪ブルー・インパルス≫を作曲した斎藤高順(1924〜2004)なども、学生時代は、この学校の軍楽隊に"留学"して、吹奏楽を勉強してるんです。
 ただ、父が、この学校の軍楽隊で具体的にどんなことをやっていたのかは、どうもよく分らない。だけど、かなり入り込んでいたとしか思えないフシがある。これについては、あとでさらに詳しくお話しすることになるでしょう。
 ところが父は、身体を壊して、2年で学校を辞めてしまったらしい。で、以後、何をやっていたのか……これがよく分らないんです。
 僕は5人きょうだいのいちばん下です。上から姉が2人。3番目が兄・貞雄。4番目が姉で、いちばん下が僕です。このうち、いちばん上の姉は、つい昨年まで、91歳で元気で生きていました。ほかのきょうだいは亡くなりました。
 この、いちばん上の2人の姉が、ピアノを弾いた。実は母親がレッスン・ピアニストでしてね。いわゆるピアノ教師です。おそらくその影響で、姉たちもピアノをやるようになったんでしょう。
 そして、これもあとで詳しくお話しすることになりますが、三番目のきょうだい、兄・貞雄が、子供のころからシロフォン(木琴)を弾いていた。
 結局、父は、女房のピアノ・レッスンの稼ぎで、食っていたとしか思えないんです。もっとも父は、時折ヴァイオリンを弾いていました。だから音楽に感度はあったんでしょう(子供心にも、とてもうまいとは思えなかったけど)。で、時には父も母と一緒に音楽を教えていたようで、いま風にいうと"岩井音楽教室"をやっていたんですね。これはのちの話になりますが、作曲家で音楽学者の柴田南雄(1916〜96)も、子供のころ、この"岩井音楽教室"でピアノを習ってたんですよ。
 その上、父は、なにやら事業らしきこともやっていた。しかし、うまくいかない。僕が小学校2年の時だから昭和5年ころ、借金をこしらえてスッテンテンになり、日本にいづらくなって、家族全員で逃げるようにして香港へ引っ越した。日本軍が香港を占領するのは太平洋戦争勃発の昭和16年(1941年)のことだからもっと先だけど、すでにこの当時、日本人はずいぶん香港にいたんですよ。
 そして父は、僕と姉たちを、知人のやっている香港の「野崎商会」という店に預けて、母と兄・貞雄を連れて、上海へ行ってしまったんです。

▲母はピアニストだった

■香港で過ごした幼少時代

 だから僕は、小学校5年までの3年間ほどを、この香港で、両親と離れて暮らしました。
 預け先の野崎商会とは、昼間はオモチャ屋で、夜はすき焼き屋をやっている店でした。ここの2階で、姉たちと暮らしたんです。場所は、九龍[クーロン]地区。学校へは、フェリーに乗って通っていた。台風が来るとフェリーが欠航になるんでうれしかったなあ。
 このころで覚えているのは、映画。とにかくほぼ毎晩、映画館へ行って、映画ばかり見ていた。もちろん洋画ですよ。ずいぶん見たなあ……。マレーネ・ディートリッヒの『モロッコ』なんて、大ヒットしてて、もちろん見た。あまり面白いとは思わなかったけど。
 このころに観た映画でいちばん記憶に残っているのは、タイロン・パワー主演の『世紀の楽団』。原題が『アレクサンダー・ラグタイム・バンド』。バンドリーダーのタイロン・パワーと、女性歌手が恋に落ちるミュージカル映画だった。確か、アルフレッド・ニューマンが音楽監修をつとめてアカデミー音楽賞を受賞していますよ。ただ、あとになって調べてみると、この映画、1939年(昭和14年)の公開なんだな。そのころ、僕はもう上海へ行っちゃってるから、香港で観たはずないんだ。だけど、記憶の中では、香港の映画館が浮かんでくる。つまり、記憶がごちゃ混ぜになるほど、香港では、映画ばかり観ていたということなんでしょう。
 そんな音楽映画が好きで、母親もピアニスト、父も音楽好き、姉も兄も音楽をやっている……となれば、僕の中にも音楽の血が流れていて、このころから音楽に目覚めていたか……というと、それほどでもないんだなあ。香港時代は、まだ、音楽を身近に感じるほどではなかった。
 知人の店に預けられていたとはいえ、特にひもじい思いをしたとか、生活が苦しかったとか、その種の記憶はないんで、まあまあ、まともな暮らしをしていたんでしょうね。時々、姉が「上海の父からの仕送りが遅れている」なんて言ってたけど、明日の食べ物に困るほどではなかった。
 ところが、小学校5年生になった昭和9年、僕と姉も上海へ移ることになったんです。上海で父が何をやっていたのかは知らなかったけれど、おそらく、事業が成功して、生活に余裕ができ、僕たちを呼べるようになったんだろうと思っていました。
 ひさしぶりに家族全員が揃って生活できるというんで、喜んで上海へ行った。
そうしたら、確かに父は成功していました。ただし、正確に言うと、成功していたのは「父」じゃなくて、「兄」の貞雄だった。
 兄は、上海で、シロフォン奏者の神童として大スターになっていたんです。

▲(左から)父・貞麿、兄・貞雄、母

 

【つづく】 

 

※第2回は6月13日(金)正午〜、掲載予定。
(毎月15日・30日=土日祝日の場合は、直前の平日=に掲載予定)

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その輝ける軌跡。巨匠、初の吹奏楽オリジナル作品集がついに登場!


『EVERGREEN 〜岩井直溥作品集〜』

岩井直溥&東京佼成ウインドオーケストラ

 日本音楽界の生き証人、岩井直溥の自作自演による吹奏楽オリジナル作品集。名アレンジャーとして名を馳せる氏の吹奏楽オリジナルといえば、70〜80年代にかけて綺羅星のごとく輝いたコンクール課題曲が有名だが、このアルバムではさらに自由曲として全国大会での演奏経験もあるオリジナル作品や、秘蔵の名曲も収録。岩井×TKWOのゴールデン・タッグによるこの記録は、日本吹奏楽にとって大いなる遺産となるであろう。

BPショップにて発売中 http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1548/

【収録曲】

編曲・作曲:岩井直溥(Naohiro Iwai) 【全曲】

1. シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」 【3:29】
   Syncopated March "Asuni-Mukatte"

2. ポップス・オーバーチュア「未来への展開」 【4:42】
   Pops Overture "Development toward the Future"

3. ポップス描写曲「メイン・ストリートで」 【5:01】 
   On Main Street

4. ポップス変奏曲「かぞえうた」 【5:09】 
   Pops Variation "Kazoeuta"

5. ポップ・コンサートマーチ「すてきな日々」 【4:24】 
   Pops March "Wonderful days"

6. Jump Up Kosei 21 【7:46】  

7. 詩曲「渚の詩」 【8:50】  

8. 響きかぎりなく 【7:02】 

9. あの水平線の彼方に 【11:38】

【ボーナストラック】

10.靴が鳴る/弘田龍太郎(arr.岩井直溥)

BPショップにて発売中 http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1548/


(2008.05.30)
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■ベスト・ニュー・サウンズ・イン・ブラス100−ベスト吹奏楽II
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