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原町市立第二中学校吹奏楽部
オータム・コンサート

日時:2005年10月23日
会場:原町市民文化会館大ホール
レポート:伊左治 直(作曲家・東京音楽大学講師)
◎先生が本気で楽しんでいるからこそ
生徒や、さらには保護者たちにも自然と伝わっているのだと思う。

 私がこのコンサートへ足を運んだのは、自作品『南蛮回路』の演奏に立ち会うためだった。従って、自作品に関する内容が多くなると思うのと、このレポートは(わずか1曲とはいえ)演奏会関係者の筆によることを最初にお断りしておきたい。
 しかし逆に言えば、多少なりと舞台裏を知っていることで書けることもあるだろう。また、私はそれほど吹奏楽と縁が深い訳でもないので、「吹奏楽界」の外部の作曲家の視点で、これまでの吹奏楽との関わりで感じたことも書けるかもしれないと思い、今回レポートを引き受けた次第である。

 この日のコンサートでは委嘱作品の中橋愛生編曲、クルト・ワイル『「三文オペラ」より』の初演があり、中橋氏と私は東京から、また、原二中のアドヴァイザー的存在の渡部謙一氏(北海道教育大学函館校助教授)も遠く函館から駆けつけ、楽しい再会となった。

 さて、この日のプログラムに話を移そう。
 田代研一先生の指揮のもと、前半はコンクールに関連した作品が並ぶ。まず、課題曲の『パクス・ロマーナ』が演奏され、次いで自由曲の『南蛮回路』が演奏された。

『南蛮回路』は2000年に渡部氏の紹介のもと、「現代音楽に取り組みたい」という、ある高校のコンクール自由曲として委嘱を受けた作品。
 それまで私は吹奏楽というと「力技で派手に盛り上げて拍手喝采」といったネガティブなイメージがあって、全く興味を持っていなかった。そのため、意外な申し出に思われて、「現代音楽」といっても、その意図に温度差があって、曲の完成後に問題が起こるような気がしないでもなかった。

 そこであらかじめ自作品数曲の音源を渡し、作風を知ってもらった上、さらに、それら音源数曲を1つに纏めた感じの、いわば自作品の編曲的な作品に仕上げることにした。つまり万が一にも曲の完成後に過去作品と作風が違うと(否定的な意味で)言われる可能性まで考慮したわけだ。これならば新曲とはいえ、曲のほとんどの部分は概知だから作曲者と委嘱者にイメージのギャップが起こる筈はない。

 しかし、ここまで慎重な下準備のもと書かれたにも関わらず、その完成後は「盛り上がりに欠け、(演奏のコンクールでは)テクニックを見せる箇所もない」とのことで、1度も練習すらされずにお蔵入りになった作品だった(2003年に東京音大が録音及び舞台初演。因にこの舞台初演はこれまでの最高の演奏)。
 後にも先にもこのような経験はこの1度だけだが、作曲当時を振り返ると、この曲を一般の中学生が演奏するというのは、殆ど奇跡に近い思いがする。

 初演の東京音大や、渡部氏の北教大の再演では、学生も実に積極的に、時には作曲者のイメージを超えた解釈を見せてくれて、楽しく思い出深い交流となったが、今年の原二中もまた熱意を持って取り組んでくれて、感謝に堪えない。

 原二中は昨年、私への委嘱新作『夕焼けリバースJB急行』を演奏しており、その経験の上に今回の『南蛮回路』の演奏へと繋がっている。このように、曲を気に入り、そしてまた別の曲へと興味を拡げてもらえるのは、作曲家としては最も嬉しいことだ。そしてコンクールの演奏では、いわば大人には出せない、この年代だけに許された新鮮な世界を創りだしていたと思う。この曲には途中、歌われる箇所があるのだが、子供たちの歌声が(作曲者自身もそれまで気づかなかった)この曲の本質を示しているようにも思った。

 団体の演奏だから、演奏者全員が意欲的だったとまで私が言ってしまったら、ただの自己満足になってしまうだろう。だが、それでも尚、そこには楽しさと熱意にあふれた空気があったと言える。それは中途半端な固定観念やプライドに縛られていない、自由なアプローチからきていると思う。以下、8月に『南蛮回路』の練習に立ち会った中橋氏のブログを引用しよう。


『先日に引き続き、福島県の某バンドの練習に伺いました。まさかあの年代であの曲を自由曲にするバンドがあるとは思っていませんでしたので、一体どんなことになっているのやら、と半信半疑&興味津々で行ったのですが・・・ いや、凄い。非常に高いレベルでの演奏が実現されていました。正直、恐ろしくもある。下手に知識のある大人よりも、まだ頭の柔らかい彼らの方が、もしかしたらあの種の音楽に適正があるのかもしれない、と感じました。なんというか、素直に受け入れているので、穿った解釈などがなく、実に透明な世界が展開されていました。』

 もっとも、最近、渡部氏や国塩哲紀氏(東京オペラシティ・プロデューサー)に聞いたところでは、この曲はやはりコンクール審査員には受けがよくなかったらしいし「このような不協和音を多用した曲を子供に演奏させるのは酷」「演奏技術を見せつけるために、指導者が子供に難解な曲を強要するのはいかがなものか」といった感想も多かったとか。

 批評や感想というのは、その対象(作品、演奏etc.)を浮き彫りにするように見えて、実のところは、その対象を通した、発言者の感性の表明に他ならず、浮き彫りにされるのは発言者自身である(もちろんこのレポートも同様に)。

 したがって、自分の作品について、ある程度は何を言われても全く構わないのだが、田代先生があたかもこの曲を生徒に押し付けたかのような発言には強く反論しておきたい。先生は、この曲の成立過程をもとよりご存知だし、だいたい、より「わかりやすい」つもりで書いた昨年の『JB急行』や他県の中学校が一昨年演奏した『活劇サイレント』からして難解と言われてきたわけで、更に難解と言われている『南蛮回路』を点数目当てで取り上げるだろうか。音楽的嗜好を「教育的配慮」にすり替える発言には疑問を感じるし、現場の熱気との温度差を感じないわけにはいかない。実のところ、吹奏楽との関わりで最も厄介に感じたのは、この、現場との温度差だった。


☆☆☆


 前半最後は、中橋愛生編曲『「三文オペラ」による』の委嘱初演。
 オリジナルの『三文オペラ』と組曲版『小さな三文音楽』をベースに、7分ほどの1曲として再構成されている。ワイルの原曲はその物語世界を反映して、意図的に「鳴らない」オーケストレーションを多用した、毒と皮肉とユーモア満載の「裏」をかいた音楽だ。

 そのために編成も、バンジョーなどを加えた特殊な管楽アンサンブルとなっている(見方を変えれば、これとて「通俗的な楽器を加えた、下手なオーケストレーション」と言われかねないが)。
 これをスタンダードな大編成吹奏楽曲に編曲するにあたって、中橋氏は「裏の裏」をかいた、ゴージャスなオーケストレーションを駆使した『豪華な三文音楽』(当初はこのタイトルを考えていたそうだ)に仕上げた。

 中橋氏は私とは逆に、中学高校時代は吹奏楽部で活動し、現在も吹奏楽に活動の拠点を置いている。この編曲は、まさに吹奏楽を知り尽くした彼ならでは。より響かせるために原曲には無い音を補強するなど、細部にわたり緻密な作業がなされていた。これが、原曲の奇妙で不安定な和音設定(おそらく転回形での音の重ね方)との相乗効果をあげていた。
 特にフィナーレでは、長三和音の大音響が鳴り響くのに、そこにあるのは朝日の煌めきではなくて、熟しすぎた果実のような、何とも据わりの悪い黄昏時の甘さだった。その物語の「ありえない」ハッピーエンドのように、この編曲もまた、ワイルの原曲全体への「ありえない」ハッピーエンドと言えるかもしれない。
 この編曲は今後、多くの団体によって演奏されていくことと思うが、そのときは是非、ブレヒトの原作やワイルの原曲に触れてほしい。それにより、一層この中橋版の魅力を感じ取れるに違いない。

 原二中はこれまでにも田村文生『バッハナール』の改編初演を行うなど、個性的な活動を続けてきた。これは、指揮者の田代先生の研究心というより、むしろ、音楽的好奇心によるものではないかと思う。先生の専門教科が音楽ではないことも、逆に音楽に対して自由な感性を持てる一因かもしれない。先生が本気で楽しんでいるからこそ、生徒や、更には保護者たちにも自然と伝わっているのだと思う。つまり根本には、曲を理解させる、教え諭す、といった姿勢ではなくて、まず、共有する姿勢があるのではないだろうか。それが生徒たちの(音楽世界への)衒いない感性を拡張する手助けになっているのだと思う。

 ただ今回の演奏について、あえて客観的に述べると、残念ながら彼らのベスト・パフォーマンスとはいかなかった。『南蛮回路』はノーカット版(コンクールでは時間制限の関係から一部カット)での演奏だったのは嬉しかったが、かなりアンサンブルの細部が崩れて、聴いていてハラハラすることも多かった。『三文オペラ』も中橋氏の描くイメージには遠かったようだ。コンクールという年間最大のイベントを終えた直後、再びコンディションをピークにもっていくのは難しかったのだと思う。彼らの取り組む内容から、つい中学生であることを忘れてしまいそうになるが、12歳から15歳の演奏団体であれば、仕方のないことかもしれない。ご来場になった方々には、彼らの本領はこの日の演奏の遥か先にあるとお伝えしたいし、それ故にこそ、彼らの今後に大きな期待を持って見守っていただきたいと思う。

☆☆☆

 以上の前半のプログラムでは、渡部氏の司会のもと、私と中橋氏がそれぞれ自作の演奏に先立ちトークをおこなう構成で進められたが、後半、渡部氏はマイクをユーフォに持ち替えて、楽団の一員として全曲演奏に参加した。

 後半は楽しいプログラム。まず『メモリー』そして『イマジン』の2曲が、OBの宍戸吉由希氏(昭和音大4年生)をソリストに迎え演奏された。宍戸氏の素敵なアルト・サックスのソロで、会場は一気に盛り上がり華やかな空気で満たされる。卒業生やプロ奏者との共演は現役生にとっても、心強く思われたことだろう。

 次いでパート紹介的な『口笛吹いて働こう』、運動部の応援曲としても演奏されてきた『ドラえもんア・ラ・カルト』と続き、締めは『時代劇絵巻』(テレビ時代劇5曲のメドレー)。会場にはお孫さんの晴れの舞台を見に来たと思われる、ご年配の方々の姿も多く見受けられたから、演奏による素敵なプレゼントになったと思う。じつは私も、時代劇はかなり好きなので思いがけないお楽しみだったが、演奏会場で聴くのはもちろん初めての経験。ここで奇しくも、この曲が演奏会全体を纏めていることに気がついた。
 というのは、音楽の指向性において『時代劇絵巻』とプログラム冒頭の『パクス・ロマーナ』は全く同じだったからだ。そういえば昨年度の朝日作曲賞作品『風之舞』はじめ、この傾向は課題曲の多くに見られたことを思い出した。仮にこれらの課題曲を『時代劇絵巻』の中に紛れ込ませたとしても、全く違和感無く聴けるだろう。意外と課題曲の作曲家や選考委員の中には時代劇ファンが多いのかもしれないと、中橋氏と冗談まじりに談笑した。

 課題曲というからには、これらの音楽的傾向はコンクールのスタンダードなのだろう。そして皆が好きだからこそ、スタンダードになってきた筈だ。だが、正直言って、その音楽的良さがどこにあるのか、私にはこれまで全くわからなかった。小学生から社会人まで全国で数多くの団体が毎年演奏し続けている、その音楽的充実感はどこにあるのだろうかと。私自身、いわゆる「調性音楽」の作編曲も大事な活動の一つなので、幅広く親しみやすい音楽にしても、もっと豊かな内容の曲はあるのではないかと思っていた。だが長年、音楽大学にいる関係で無意識のうちに、コンクールという場と吹奏楽という西洋楽器による編成から(ジャンルでいうと)クラシックやジャズ的な視点で見てしまっていたようで、むしろ演歌という文脈から考えたら納得がいく。思わぬ発見だった。


 終演後、私たちゲストは保護者との懇親会に出席した。演奏会のマネージメントに目を向ければ、(大学生や社会人ならともかく)中学生の演奏会は保護者の方々のご協力がなければ成り立たないだろう。中橋氏と私はわずかな時間しか出席できなかったが、様々な感想や質問が聞けて、とても楽しい時間となった。
 東京から原町まで、4時間近い長旅だったけれど、世代を超えて多くの人々と交流が持てたことが、この日なによりの思い出。そして、2年に渡るお付き合いの中で、私も多くを得たように思う。皆さん本当におつかれさまでした。そして、ありがとうございます。

■「NAPPの部屋」〜現代音楽と吹奏楽(中橋愛生のHP)
http://www003.upp.so-net.ne.jp/napp/

■渡部謙一ウェブサイト
http://www.geocities.jp/watakenmmr/



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