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第11回上野信一打楽器リサイタル

日時:2005年9月13日(火) 19:00〜
会場:日本大学カザルスホール
レポート:KEIKO
◎あらゆる予想を裏切り、未知の「音の世界」へ
9月13日(火)に日本大学カザルスホールで開かれた「第11回上野信一打楽器リサイタルに行った。

「打楽器でソロ」といえば、和太鼓のイメージが先行。不安と期待が入り混じっての初聴取だったのだが、結果は、あらゆる予想を裏切り、未知の「音の世界」へ、その深遠へ、人を向かわせる迫力に満ちたものだった。
 以下、演奏中のメモをもとに、その世界を言葉で再現したい。

 しかし、それは果たして可能なのか・・・言葉の届かない世界へと、上野氏の演奏は我々を連れてゆこうとしていたし、実際、そうであったのだから。

 それにしても、この演奏については誰かが書き残さねば・・・。

 1回限りの、消えゆく演奏、音の世界―
 それが、聴き手の胸に直接的に響くのはその会場においてのみであり、その残響に再び耳をすますことは、高速で移ろう情報過多の現代ではもはや不可能である。
 とはいえ、このように深夜、ようやく1人パソコンに向かい、至福の時を蘇らせる時間を得られた時、どこまで遠くへと「音」が、上野氏の魔術師のごとき早業の「打つ手」が作り出す「音」が、世界を刻み、時を刻み、空間を刻み、リズムという名の「音」の「世界」を「新たな音の世界」を作り出したか、いまひとたび思いを至らせたい。

「エレクトロニクスを伴う打楽器ソロのための『6つの日本庭園』1993/95)<カイヤ・サリアホ>

 1.「南禅寺の天寿庵」
  
 声明と響きあう太鼓の世界。宇宙。いくつもの名も知らぬ打楽器が上野氏の手によって音を鳴らし、そうして命を与えられた音たちが、響きあい、奥行きのある空間を作り上げる。遠くへと聴衆を連れていってくれる。サウンドスケープ。

 4.「龍安寺の石庭」
 
  風が吹き抜ける。砂にさざ波がたつ。日本人の考える「石庭」というよりは、かなりおどろおどろしい、無数の声が、騒がしい石たちが語り始めた。そして、突然の〜間(ま)〜。あっちの世界が立ち上がる。すさまじい。

 5.「西芳寺の苔庭」
 深い、水が洞窟にしたたる音が、心に響く。

そしてラストの「打楽器ソロのためのパルサー(1997/05)<松尾 祐孝>改訂初演

 パルス。原点。世界が刻まれ、風景が失われ、物語が失われ、ただ音のみの世界へと、我々は声もなく連れてゆかれる。
 太古へ、始原へ、洒落た楽器など存在しなかった始原の世界の音へ。上野氏の手が空を舞う。太鼓を打つ。「打つ」という行為のなんとシンプルで、力強いことか。

「打ち鳴らす」。そう、私たちはいつから、ものを打ち鳴らし、興じることをやめたのか。ものをたたく喜び。打つ歓喜。太鼓から太鼓へ、微細に残響を手で止めながら、上野氏の手は、始原の歓喜を呼び覚ましながら、見る者を聴く者を、音の荒野へと狩り出してゆく。

出てゆけ、とそれは言っているようなのだ。あらゆる既知のメロディーから、あらゆる使い古された音の世界から、出てゆけ、と、それは我らを狩り立て、束の間、音の荒野へと我らを立たせるのだ。その世界は、過剰なものをすべて剥いだ、剥き出しの、音の世界だ。
 終わるな、打ち続けてくれ!


■ プログラム

「赤道のゼフィルス」(世界初演):福士則夫

「打楽器ソロのための「パルサー」」(改訂初演):松尾祐孝

 ティンパニソロのための「オプティカルタイム」:松下功

 エレクトロニクスを伴う打楽器ソロのための「6つの日本庭園」
   :カイヤ・サリアホ 、他

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